台所の床に座って、銀時は濡らしたタオルで新八の顔をそっと拭いてくれた。
涙の跡を優しく拭って眼鏡を戻してくれる。
切れた唇の端をそっと触って。
「痛てぇだろ」
眉をひそめた。
痛かったけれど、銀時の指が触れるだけで不思議と痛みが引く気がして新八は首を振った。
「痛くない」
「嘘つけ」
「ほんと」
「んじゃ、もっと触ってもいい?」
「?……うん」
頷いたら銀時の顔が近付いた。
舌先が傷口に触れて新八の肩先がピクリと揺れる。
そのままゆっくりと舐められた。
唇の端でうごめく銀時の舌に新八は心臓が爆発しそうになる。
目を瞑り膝の上で両手をぎゅっと握り締めた。
くすりと笑う吐息が触れて。
「終わったぞ」
目を開けるとやっぱり銀時の顔が目の前にあった。
終わったと言われて、良くわからないままに触れられていた傷口に手をやると、そこにはもう何もなかった。
傷跡も、痛みも。
不思議な気持ちと驚きを隠さずに銀時を見つめるとまたそっと唇で触れられた。
もう傷跡のない場所に。
「銀さんの魔法、パワーアップバージョン。新八限定使いきり」
葉っぱ無しで使えんだぜ、と悪戯っぽく言われて。
伝えたい事が多すぎて、でも本当は何も伝える事なんかないのかもしれない。
目の前にいるこの人が全てだったから。
何も言葉にならなくて、新八はただ目の前にある温もりにしがみ付いた。
出会った時の、小さな自分ではもうない。
それなのに、銀時の腕はあの頃と変わらずに新八の身体を包んでくれた。
「新八無口になっちゃったな。あん時はすげーお喋りだったのに」
銀時の言葉に新八は胸に埋めた頭を否定に動かす。
「なに、喋っていいのか……わかんない」
「そっか」
「……うん」
銀時がごそごそと動く。
「?」
「新八向こう向いて」
腕の中で身体をくるりと回されて足の間に座らされる。
そうして、後ろから伸ばされた銀時の腕にお腹の辺りから抱きこまれてしまった。
「もう膝の上にはちょっと乗っけてやれねぇけどな」
背中に当たる温もりと、耳元から聞こえる銀時の声。
さっきの、あんな男の不快な声や体温とは何もかもが違う。
「凭れても、いい?」
「どうぞ」
そっと背中を預けた。
温もりや匂いに包まれているとだんだんと気持ちが落ち着いてくる。
「銀さん」
「ん?」
「銀さん」
「何だよ」
名前しか呼ばない新八に銀時はおかしそうに笑う。
「名前、ずっと呼びたかった」
「なかなか呼んでくれなかったな」
銀時の指が新八の黒髪を弄る。
「新八、ちょっと頑張り屋さん過ぎねぇ?俺、すんげー待ったんだけど」
「だって……」
「大事にしてくれてありがとな」
「……うん」
暫く背中にそっと凭れて、今度は新八がごぞごぞと動く。
「どした?」
くるりと身体を捻って。
「銀さんの顔が見たい」
正直に言ってみた。
温もりを感じてもいたいけれど、今はこの目でその姿を見ていたかった。
「おし、んじゃ俺の足跨げ」
「え……」
向かい合わせで自分の足を跨げと銀時は言う。
恥ずかしかったけれど、顔が見たいといったのは自分だから新八は頬を赤くしながらも銀時の足を跨いで腰を落ち着けた。
「銀さん、変わった?」
「んにゃ?強いて言うなら新八がおっきくなったから、じゃね?」
よくよく思い返してみれば、銀時のスキンシップはどちらかといえば過剰な方だったのかもしれない。
けれど、嫌だと思った時は一度としてなかったし、今だって恥ずかしいだけで、決して嫌なわけではないのだ。
「こういう人だったんだ」
「人聞き悪りぃーよ。俺は欲望に正直なの。好きな相手限定でな」
「好き?僕のこと?」
「勿論。流石にあん時どうこうって気はなかったけど、時々お前の事見てたしな」
「の、覗きっ?」
「んー、まあ平たく言っちまえばそうかもな」
別に見られて困るような事は何もないけれど、銀時に見られていたという事実はそれでも何故だか恥ずかしい。
「葉っぱ乗せっとよ、5分くらいだけ水溜りに好きなもん映せんだよ。だから、時々見てた」
限りのある枚数の大切な葉っぱで、ずっと見ていてくれたのだ。
「早く、傍に行ってやりたかった」
目の前の首筋に新八はぎゅっとしがみ付いた。
「覚えててくれたから、それだけでいい……」
ずっとずっと会いたかった人に会えた。
そうしてその人に抱き締められて、好きだといってもらえて。
それだけで十分だった。
腕を解いて銀時と向き合う。
「銀さん、年取らないの?」
出会った頃と寸分違わぬその姿は時を止めたようで。
「この間まではな」
「?」
「新八が、俺んとこに来てくれただろ?」
迷い込んでしまった庭から続くあの森で、新八は銀時に出会ったのだ。
「俺のためにいっぱい泣いてくれて。あん時のお前の想いが凄い栄養になったみたいでさ。あの木、一気に成長して枯れちまったんだよ。んで、これ作った」
そういって銀時は一本の木刀を見せた。
「星砕ってつけた」
「……洞爺湖って書いてあるよ?」
「まぁそれは遊び心ってやつ?まんま星砕って入れたら照れんじゃん」
「名前付けてる時点で駄目だと思うけど……」
「男のロマンだって」
「なんか、子供みたい……それでどうなったの?」
「んー、いろいろ反省して。お前のために生きようかなーって心入れ替えたら、呪いが解けた……とかってやつ」
「あそこにずっといたのって呪いだったの?」
「嘘みたいなほんとの話」
「信じる。だって銀さんここに居るもん」
「頭、柔らかだね」
「だって目に見える現実だもん」
「……すげー嬉しい」
ぎゅっと、抱き締められた。
「ねぇ銀さん。僕もうキスの意味、わかるよ」
幼かった4歳の自分は、ただ銀時の見えない涙を止めたくて触れたのだけれど。
今ならばわかる。
あの時も、きっと幼いながらにも、この魂を愛しいと思ったのだ。
そしてその想いは今なお続いて強くなるばかりだった。
だから。
頬を包む銀時の手の温もりに瞼を閉じて。
唇が触れる瞬間をじっと待っていた。
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