「もういい加減堪忍袋の緒も切れるってもんだろが。お前の姉ちゃんはいーい店で働いてもらうからな」
「姉さんっ」
借金取りに拘束されて、連れて行かれそうな姉に新八は必死で追いすがる。
いかつい男に跳ね除けられて、小柄な新八の身体は簡単に転がった。
「っ……」
「新ちゃんっ」
転んだ拍子に眼鏡が外れて姉の姿がゆらりとぼやける。
「私はどこにでも行くからっ、弟には乱暴しないでっ」
必死に自分をかばう姉。
非力な自分が悔しくて外れた眼鏡を握り締めた。
眼鏡をかけなおし、手近にあった折りたたみの簡易椅子を手に取り先ほど自分を跳ね除けた男に殴りかかった。
けれど振り上げた椅子はいとも簡単に腕で止められて身体を掴まれる。
回した腕で首をぎゅっと締め上げられた。
「っ……離せっ」
じたばたともがくけれど体格のあまりの違いに新八の足はつま先が微かにつく程度まで浮き上がる。
「あんま痛めつけんなよ。姉弟揃って作りはいいからな。そっちの弟にもいい店紹介してやれんぜ」
「だったらっ僕が行くから姉さんを放せっ。それでいいだろっ」
「新ちゃん、馬鹿なこと言わないでっ」
ずっと、精一杯頑張ってきたけれど。
それでもどうにもならなくて、取立て屋から逃げる毎日。
もうどこにもいく場所がなかった。
「おいおいおい、麗しき姉弟愛は結構だけどな」
姉と自分を拘束しているのとは別の男がおかしそうな口調で新八の前に来る。
顎を持ち上げ親指で唇をなぞられた。
「お前一人でどうにかなるような額じゃねーんだよ。二人でしこたま稼いでもらわねぇとな」
触れる感触が気持ち悪くて新八は男の指に歯を立てた。
「痛っ!……何しやがるっ」
男の手が反射で新八の頬を殴った。
唇の端が切れて血が滲む。
「痛めつけんなっつったのお前じゃんよ。何してんだよ」
「わり、条件反射だよ。ったく。まぁいーじゃんよ、この顔なら多少傷物でも身体がよけりゃ釣が来るって」
「まぁなー。俺、男犯ったことねぇんだけど、こいつすげー試してみてぇ」
首を締め付けている男の片手が背後から服の裾を捲り上げる。
「やっ……離せっ、さわんなっ」
撫でるような男の掌が肌を這い回る感触に鳥肌が立つ。
「すげ、こいつスベスベなんだけど。なんか触ってるだけでエロい」
耳元の興奮したような声と息遣いに吐き気がする。
「離せっっっ」
「やめてっ新ちゃんに触らないでっ」
もがいて身を捩ってももう一人の男に足も拘束されてどうする事もできなかった。
嫌で嫌で嫌で、泣いてしまうのは悔しいのに、目からは涙が溢れて止まらない。
約束したのに。
銀色の、きらきらでふわふわの優しい人と約束をしたのに。
泣いてもいいからちゃんと笑えといってくれた約束は、きっともう守れない。
もう、笑うなんてできないと思った。
「なんだこれ」
胸をまさぐる男の手が何かを見つけて引きちぎる。
頼りない紐がぷつんと音を立てて切れた。
首に微かな痛みを残す。
男の手が掴んでいるのは小さな袋。
新八が肌身離さず身に着けていたものだ。
「何か入ってんのか?」
足の拘束が解かれて男に袋が手渡される。
「それにさわんなっ返せよっ」
汚い手で触れられたくなくて新八は必死に叫んだ。
「へー、大事なもんなんだ。金目のもん?」
「木の実……どんぐり?……わけわかんね」
肌身離さず持っていた大切な銀時との約束。
新八の宝物だったのに、男の手が無理やり暴いて、呆れるみたいな表情でそれを投げ捨てた。
「なにすんだよっ」
「こんなもんが大事なの?お金ないと価値観おかしくなっちゃうのかねぇ」
三人の男が同時に笑う。
銀時との大切な思い出を穢される事は自分の身を汚されることなんかよりもずっと辛くて悲しくて。
なのに自分はあまりにも非力だ。
唇を噛み締める新八を掴んでいた男がどんと突き飛ばした。
「惜しいけど、流石に売りもんに手ぇ出すわけにはいかねぇしな」
「姉ちゃんは連れてくからな。三日だけ時間やるから用意できるなら耳そろえて持ってきな」
姉の拘束を解かないまま男たちが引き上げようとする。
「姉さんっ」
「新ちゃんっ」
追おうとする新八をもう一度突き飛ばして笑う。
「お前が店でたら買ってやるよ。身体中にぶっかけてやっから楽しみにしとけ」
下卑た捨て台詞を残して男たちは去っていった。
残ったのは荒らされた部屋と千切れた紐。踏みにじられた小さな袋の傍にはどんぐりが光っていた。
新八はどんぐりを掌に乗せる。
ぎゅっと握り締めて、握り締めた掌を胸に抱く。
「……ぎんさん」
涙が後から溢れてきて、もうずっと止まらないんじゃないかと思った。
こんな自分がこの名前を呼んでもいいのかわからない。
それでも、唇からこぼれるのは大好きな銀色の名前だけだった。
辛いとき、いつも胸の中で呟いたけれど。
あれから一度も声に出した事はなかった。
声にしたら魔法が解けてしまうんじゃないかと怖かったから。
たった一度しか使えない魔法。
でも。
もう最後だと思うから、声に出して呼びたかった。
「銀さん……銀さん、銀さん」
あの人に。
この声が届いても、届かなくても。
大好きな気持ちは変わらない。
「銀さん、僕忘れてないよ」
銀さんが知っている自分とは、きっとずいぶん変わってしまったけれど。
「もう変わりすぎちゃったから見つけられないのかもしれないなー」
自嘲気味にわらって床に寝転んだ。
これからどうしよう。
目を閉じてこれからの事を考える。
何の力もないけれど、姉だけは助けなければいけない。
自分はどうなっても構わないから姉だけは救いたい。
頭の中で一生懸命考えていたら。
不意に頬を風が掠めて新八は目を開いた。
窓は開いていないはずなのに。
起き上がり、部屋を見回してみてもやはり窓は閉じている。
それなのに、カーテンは名残を受けて揺れていた。
ことり、と微かな音がして、新八は振り向く。
扉の開く音も、足音も、新八以外の動くものの気配は何もなかったはずなのに。
カーテンの揺れる窓辺に立っていたのは。
窓から入る陽の光を受けてきらきらに輝いている銀色だった。
「……ぎんさん?」
立ち上がれないままきらきらを見上げる。
「呼んでくれんのずっと待ってた」
ゆっくりと近付いてくるその姿は夢なんかじゃなくて。
傍まで来た銀時は見上げる新八と視線が合うと高さをあわせるみたいにゆっくりとしゃがみ込んだ。
新八の掌をゆっくりと開かせてどんぐりを取り出す。
銀時の指に挟まれたどんぐりの実。
新八の目の前で、ポンという小さな音で帽子がはじけて煙みたいに消えてしまった。
残った銀時の指先を見つめていたらそれが動いて頬に触れて。
「眼鏡、かけてんだな」
指先でそっと撫でられた。
あんなに望んだ姿なのに、さっきまで名前を呼んだ人なのに。
目の前に姿のある今の方がずっと夢みたいで。
新八はまだ言葉にする事ができないでいた。
「もう忘れちゃったか」
銀時の言葉に固まっていた新八の身体がようやく動く。
ゆっくりと首を横に振る。
何度も、何度も。
触れる掌をそっと掴んで。
「忘れてないよ……忘れたことなんて、ないよ」
どうしたらいいのかわからなかったのに、目の前の腕がぎゅっと抱き締めてくれた。
変わらないふわふわの銀色からは、やっぱりお日様の匂いがした。