ぽんぽんと掌が小さな背中を叩いてくれる。
「おまえ、なんでここにこれちゃったのかねぇ」
「ぎんさんにあうためだよ」
涙の乾いた頬を拭い、銀時の顔を見ながら新八は言う。
「ははは、だったらいいな」
「そうだよ。ぼくがいまきめたもん」
小さな唇でそっと銀時に触れる。
「なに?」
「しらない。でもてれびでみた。ないてるおんなのひとにこうしてた」
「泣いたのは新八だろ?」
「もうないてないもん」
「銀さん泣いてないだろ?」
「ないてるよ。おとうさんとおんなじ目だもん」
母を亡くした時の新八に確かな記憶はないけれど、傍に寝かされて、ずっと覚えているのは押し殺したような父の泣く声。
新八がだんだんと大きくなっても、父の目は母を捜すばかりで。
愛されていないわけじゃない。
見てくれないわけじゃない。
それでも、父の目はいつも泣いていると思っていた。
「なみだがでなくてもないてるんだよ」
どうしたら涙を止められるのか。
口付けの意味などわかるはずもないのに、小さな心で精一杯考える。
「ありがとな」
お返しみたいに銀時の熱が目尻に触れて、身体をぎゅっと包んでくれた。
「でも、もう帰んねぇと駄目だぞ。よい子はおうちに帰る時間だ」
「わるいこでいいよ。ぎんさんがさみしくないならわるいこになる」
「姉ちゃんが寂しくて泣いてたらどうする?」
銀時の言葉に新八の瞳からまた涙が溢れだす。
きっとこんな選択は大人にだって難しい。
幼い新八にはどうする事もできなくて、結局は同じところをぐるぐる回ってしまうのだ。
「新八。このどんぐりはお前にやるから」
小さな掌に握らせてその上から包むように銀時の両手が覆う。
「お前が大きくなって、姉ちゃんが寂しくて泣かなくてもいいようになったら銀さん呼んでくれよ、な?」
「わすれちゃうもん」
どんぐりをぎゅっと握り締めて。
「たくさんねたら、ぎんさんぼくのことわすれちゃうよ……」
零れ落ちる涙を止められなくて。
「忘れねぇよ。ちゃんと覚えてる」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「やくそくする?」
「する」
「じゃあやくそく」
小さな小指を銀時に差し出す。
長い小指が絡まって。
「ゆーびきーりげんまんうーそついたらはーりせんぼんのーます、ゆびきった」
「新八?」
お呪いを唱え終わっても、新八は絡めた指を離す事ができなかった。
握り締めたどんぐりと、一本だけの絡めた小指。
銀時と繋がっているためのたった二つ。
「ぼくなかないってきめたのに」
父を見て、姉を見て、幼いながらも泣いてはいけないのだと思った。
「ぎんさんといるとなみだがいっぱいでる……」
「新八」
絡めた指はそのままで、空いている手が髪を撫でてくれて。
そうして、唇がそっと降りてきた。
「しょっぱいぞ」
唇まで伝う涙を舐めて。
「銀さん本当は甘いのが好きなんだよ」
「しょっぱかったらぼくきらい?」
「嫌いじゃねぇよ」
「あまいのがすきなんでしょ?」
「そ、だから。泣いてない新八のが、泣いてる新八より好きだな。泣いてない新八はきっと甘いと思うぞ」
「ほんとに?だったらもうなかない」
膝の上で銀時を見上げて新八はごしごしと袖口で涙を拭った。
「新八。泣いてもいいぞ。悲しいときや辛いときはちゃんと泣け。ちゃんと泣いて、そんで涙が乾いたら一杯笑え、な?」
「うん、ぼくいっぱいわらってちゃんとあまくなるからぎんさんぼくのことわすれないでね」
「忘れねぇよ」
「じゃあもういっかいやくそく」
絡めたままだった小指にもう一度二人でお呪いをかける。
そうして今度は。
「ゆーびきーった」
離れる直前、一度だけ指先に力を込めた。
「ぼくどうやってかえろう」
庭で遊んでいたら迷い込んでしまったこの場所がどこなのかもわからない。
くぐってきたはずの緑のトンネルもいつの間にかなくなっている。
失くさないようにどんぐりをぎゅっと握り締めて、新八は森をぐるりと見回した。
「銀さんに任しとけ」
木の根元に座って未だ新八を膝に乗せたまま銀時は言う。
傍にあった落ち葉を拾い銀の髪にそっと乗せた。
「みたことある。たぬきさんがへんしんするやつ」
「なー、これかっこ悪くてやなんだけどよ。新八のためだからな」
「ぼくとくべつだから?」
「そだよ」
「ありがと。でもなにするの?」
「この葉っぱはな、そのどんぐりの実が生った木の葉っぱだ。まあこの後ろの木なんだけどな」
新八は掌の木の実を見て、後ろの大木を見上げる。
さわさわと木の葉が風に揺れる。
緑の葉は力強くゆれ生命力に溢れていた。
「この木は枯れねぇから、あんま葉っぱも落ちねーんだけど、たまにひらひら落ちてくるわけ。んでそれが枯れていー感じの色になったら、こうすっとちょっとだけ銀さんは魔法が使える」
頭の葉っぱを指差した。
「ぎんさんようせいじゃないの?まほうつかい?」
「銀さんは万能だってことだ」
「わかんない」
「いいよ。銀さんは凄いって覚えとけ、な?」
「うん」
「じゃ、目ぇ瞑っとけ」
言われた通りに新八はぎゅっと目を閉じた。
耳を掠めるのは風が木の葉を揺らす音。
葉を揺らす風が新八の頬を優しく撫でてゆく。
身体を包む銀時の体温と、耳元の微かな呼吸。
だんだんと眠りに誘う優しいそれらに新八は身を委ねる。
完全に意識を手放してしまう直前に、温もりがそっと額に触れた。
「新ちゃん、新ちゃんてば、起きて、新ちゃん」
身体をゆさゆさと揺すられて、新八の意識は浮上する。
目を開けた先には青い空を背にした姉の顔。
「おねぇちゃん」
目を開けた新八が身体を起こすと妙は呆れたような声を出す。
「新ちゃん、何でこんなところで寝てるの。遊ぶのもいいけどお昼ごはんのじかんになったらおにわのトマト取ってきてっていったでしょ?」
小さいながらも数種の野菜が育てられている家庭菜園。
新八は真っ赤なトマトが色付いたその傍で眠っていたらしい。
「おねぇちゃんさみしかった?」
「なに言ってるの。さっきまで一緒にお掃除したでしょ」
朝食を食べてから姉と一緒に家の掃除をするのは新八の日課だ。
今日も一緒に掃除をした。
それから昼食までの僅かな時間を、庭の野菜の収穫ついでに少し遊んでいたのだった。
あんなに長くすごした銀時との時間は夢だったのだろうか。
急に怖くなって新八は自分の手を見た。
掌は無意識になのかぎゅっと握り締められたままだ。
右手の中に、何かの感触がある。
そっと開いたそこには、ぴかぴかの茶色いどんぐりが立派な帽子を被って収まっていた。
「すごい、おっきなどんぐりね。どうしたの?」
「おにわにおちてた」
「どんぐりの木なんてないのに?」
妙は庭をぐるりと見回して首をかしげた。
新八は妙が欲しがるんじゃないかとちょっとドキドキしながら隠すように握り締める。
けれど妙は木の実には興味がないらしく、砂に塗れた新八の服を払いながらそっと起こしにかかった。
「お父さんがご飯待ってるから新ちゃん探してたのに、こんなとこで寝てるんだもん」
「ごめんなさい」
「トマトは私が持っていくから、新ちゃんも早く手を洗ってきなさいね」
「うん」
真っ赤なトマトを二つもいで妙は家に戻っていった。
その後姿を見送って、新八はもう一度掌のどんぐりを見る。
大きくてぴかぴかのどんぐりは夢じゃなくて。
銀時の手が握らせてくれたままでここにある。
何より新八の身体には包んでくれた銀時の温もりが残っていた。
最後に触れられた額にも。
だから。
あれは夢なんかじゃない。
もっともっと大きくなって。
誰も泣かずに済むようになったら。
このぴかぴかの実を握り締めて、優しいあの名前を呼ぶのだ。
決して忘れたりしない。
ふわふわできらきらで温かかった森の妖精。
最後に見たのはタヌキみたいだったけど。
いつか絶対にこの声で呼ぶのだ。
「まっててね、ぎんさん」
3へ 戻る