江戸の町。
じめじめとした梅雨の合間を縫うように久々に姿を見せた太陽は一番高い
位置でその姿を輝かせていた。
夜を生業とするスナックお登勢。
店は今、明かりを落とし世間の活気とは裏腹にひっそりと暫しの眠りについている。
そのスナックのオーナーお登勢が大家である二階に居を構える万事屋事務所。
一階から延びる鉄階段の先にある扉の奥は日中の営業時間であるにもかかわらず、開店前の一階に負けず劣らず静まり返っていた。
四角い部屋の真中に四角いテーブルが一つ。
それを挟むようにソファが二つ。
大人一人が横になれる長さの端っこにメガネの少年、隣に洗濯物の山。
少年の手が山から一枚拾っては膝の上で畳み、目の前のテーブルに積んでゆく。
とる、たたむ、おく、とる、たたむ、おく。
繰り返されるルーチンワーク。
淀みのないリズムは一定の間隔を保ち機械的な作業を思わせるが、それを生み出す手の動きはとても柔らかく目に心地よい。
この作業は普段であれば隣にある和室で行われる。
だが現在和室は使用不可能。
降り続く梅雨の長雨にとうとう天井からも雨が降り出したのだ。
要するに雨漏りなのだが、突然のことに対応しきれず一部畳がやられてしまった。
屋根の修理は終わっているが、水を吸ってしまった畳が上げられた状態で(今日の天気を利用して乾燥中である)部屋として使用する事は出来なかった。
この部屋の一応の主、坂田銀時(四捨五入で三十)はソファの真中で足を組み、頭後ろで手を組んで「死んだ魚のような」と評される目を向け正面で作業を続ける助手の姿をぼんやりと見ていた。
助手。
せっせと洗濯物をたたむ少年、志村新八(十六)は家政婦でもなんでもなく、れっきとした万事屋の社員である。
もともと別の所でバイトをしていた新八だったが、とある揉め事を起こして首になってしまい再就職を余儀なくされた。
その原因はお前にある、とかなり強引に押しきられ、半ば脅されるように(事実彼の姉に逆らえば今ここに銀時は居なかっただろう)万事屋で新八を雇う事になった。
経緯はどうあれ、今現在新八は万事屋従業員。決して家政婦として雇ったわけではない。
それが何故洗濯物を畳むのか。
その訳は……などともったいぶって特筆すべきような事はなにもない。
理由は至って単純明快。
仕事がないのである。
仕事がない=やる事がない。
銀時一人の時ですら一月に一度依頼があればいい方で、基本的には開店休業状態だったのだから仕事が無い所へ人だけ増えても何の意味もない。
寧ろマイナスだ。
この万事屋(正式には「万事屋銀ちゃん」という看板を掲げている)は今ここにはいない一人と一匹を含め、四名(?)で構成されている。
新八を除く他三名がいずれもやる事を増やしても減らすという事をしない。
日毎にゴミだめになって行く事務所。
足の踏み場がなくなっても、それを踏み越えてゆくような輩ばかりなのである。
となれば。
必然的にその状況に耐えられなくなったものがやらざるをえなくなる。
銀時がやれといったわけではないし誰が強制したわけでもない。
ないのだがしかし。
幸か不幸か新八は万事屋でただ一人まともな神経を持ち合わせた常識人だった。人として最低限のラインは保ちたいと思って当然ではないだろうか。
ぼんやりと時間を持て余すのが苦手な性分でもあるのだろう。
最初は単なる暇つぶしだったものが、いつの間にやら日課となりつつあるのが現状だ。
時々は不満を漏らしながらも、特に苦にした様子もなく日々万事屋を磨く事に時間を費やし現在に至る。
万事屋は新八のおかげでなんとか人並みの環境が保たれているようなものだった。
洗濯物を、取るために上げた顔が畳むために伏せられる。
それに合わせて真っ直ぐな黒髪がさらりと流れた。
組んだ掌に当たる、自分の癖のある銀髪とはあきらかに異なるもの。
真っ直ぐで癖のないそれは、目の前の少年の心根そのもののようでとても好ましい。
新八が動く度に合わせて揺れる前髪が可愛くて、銀時は視線を手元から前髪へと移した。
「……銀さん」
少し高めの甘い声。
だが裏腹にそのトーンには少し棘がある。
声が耳に届くと同時に気持ちのいいリズムを刻んでいた手の動きがぴたりとやんだ。
「んー」
甘い棘がちくりと耳を刺し、銀時は前髪と戯れていた視線を少し下げる。
きらりと光る眼鏡の奥から大きめの目が睨んでいた。
あきらかな不満をあらわにした瞳に、しかしぼんやりと銀時は「でっけぇ目だよな」などと暢気な感想を浮かべる。
新八は常から眼鏡をかけている。
大抵はその眼鏡に気を取られて地味キャラだなんだと見落とされがちだが、その下の素顔は黙っていれば美人の部類に十分入る彼の姉に引けを取らない。
けれど、それは自分だけが知っていればいい事だと銀時は思っている。
できる事なら誰にも気付かせたくはない。
「なーに?」
明らかに怒っている新八に銀時はまるで真剣みのない返事を返す。
火に油を注ぐとはこの事か。
「なーに?じゃないですよっ」
注いだ油は確実に新八の火を大きくする。
ダンッ。
音がするならば、きっとそれくらいの勢いで。
しかし、実際にでたのは音にならない音、バフンッ。
新八は丁寧に畳んだ一枚を、テーブルの上に積まれた山の一番上に叩きつけるように乗せた。
「あんたねぇ、ちょっとくらい手伝おうとか、そういう殊勝な気持ちはないんですかっ」
叩きつけた勢いのままソファから立ち上がり、遠慮の欠片もない言いぐさで新八は名目上の上司に文句をつけた。
新八の言い分は最もだろう。
梅雨に入って毎日毎日雨ばかり。今日は三日ぶりの晴れ間だった。
たまった洗濯物は単純計算で三日分。
それに加えて性質の悪い事に、直射日光を浴びる事が出来ず普段日傘を手放させない約1名がここぞとばかりに外を満喫したものだから更に倍率ドン、みたいな。
日毎に山となっていく洗濯物に、新八は毎日毎日じりじりしていたのだ。
そして今日、待ちに待った待望の日差し。
出勤してから朝食を作り片づけをして洗濯機を回す。
三日ぶりの洗濯をかたづけようと朝からせわしなく立ちまわる新八を、銀時は手伝うわけでもなく朝食を食べてからずっとソファに踏ん反り返って横目で見ていただけなのである(さすがに畳をあげる時は有無を言わさず手伝わされたが)
テーブルの上には畳み終わってできたブロックが三つほどあるが、新八の隣の山はまだこんもりとしていた。
この状況で、ここまでいわれて。
良識ある人間であれば(そもそも良識ある人間ならこういう状況にはならないのだが)とるべき行動は自ずとわかるはずである。
だが、ここにいるのは坂田銀時なのである。
良識って美味しいの?とか言い出しそうな人間なのである。
「あー、んー、そうねー」
気力の欠片も感じられない間延びした返事を一つして相変わらずの姿勢を崩さないのだった。
誠意の欠片も感じられない応答に大きな深い溜息が一つ。
ぼふんっと洗濯物の山をひとはねさせて新八が再び腰を落ちつける。
きっ、と銀時をひと睨みしてから再び山を減らす為に手を動かし始めた。
こんな事は日常茶飯事。
言うだけ無駄だとわかっているし、新八だって半分は憂さ晴らしのようなもので事態が改善されるとは思ってはいない。
わかっているのについつい口にしてしまう、銀時はそんな律儀なまでの新八の生真面目さが好きだった。
「新八」
四つ目のブロックが完成した頃、今度は銀時が新八を呼ぶ。
「何ですか」
新八は声だけで返事をして五つ目のブロックを積み上げ始める。
「こっち来いよ」
「……」
なんとも身勝手な銀時の要求に返事はなかった。
「しーんちゃん……しんぱっつぁん……新八くーん」
無視、無視、無視。
「しーむーらーしーんーぱっ」
「うっさいっ」
怒声と共に結構な勢いで飛んできたクッションが銀時の顔にまともにヒット。
「新ちゃんひどい」
大して痛くもなかったが、一応のポーズとして顔をさすってアピールしてみる。
「どっちが酷いんですか。僕はやる事が正に山積みなんです。どうせ手伝う気ないんでしょ?だったらせめて邪魔しないで下さいよ」
怒ったような、呆れたような。
新八の表情に銀時の口端が上がる。
「新八、こっちおいで」
繰り返される要求。
「来てくんないなら銀さんがそっちいってその山の上に座ってもいいけど……?」
いつも。
理不尽な事をいうのは大抵銀時で。
怒って、文句を言いながらも最終的には新八が折れる。
今だって、新八の腰はもうソファから浮いている。
テーブルを回って、けれど銀時の隣に座る事はせず、見下ろすように前に立つ。
「なんだってあんたはいつもいつも……ず、るぃっ」
最後までは明確な言葉にはならず新八は口をつぐむ。
堪えきれない感情が胸の奥から湧いてきて、悔しくて仕方が無いというように新八は銀時を睨みつける。
唇は真一文字に引き結ばれ、硝子越しの瞳は水の膜を張っていた。
縁にだんだんと溜まってゆっくりと水かさが増していく。
それが零れてしまうのを気遣うように銀時はそっと新八の手を引いてその身体を自分の膝の上に納めた。
引かれるままに座った後も新八は銀時の目を見ようとはせず、その肩に置いた自分の左手あたりを凝視している。
少しでも動けば零れてしまう涙をこらえるように、呼吸すら忘れてしまったかのように唇は引き結ばれたままだ。
銀時の手が眼鏡をはずす。
そうして。
「新八」
引き結ばれた唇に、触れるだけの口付けを落とした。
瞬間。
堪えていた瞳の縁から涙は溢れて、とうとう滑らかな頬を伝い落ちてしまった。
そうして限界を超えてしまっても新八の視線は頑なだった。
瞬きを忘れたようにただ一点、銀時の右肩に置いた自分の手だけを見つめたまま。
「仕事はしないし……ジャンプばっか読んでるし……パチンコはすってばっかだし……目は死んでるし……糖尿だし……意地悪ばっかだし。あんたなんていいとこ一つもないのに、なのに、僕ばっかこんなに……っ」
一つ言葉を紡ぐ毎に肩口の新八の手に力が入り布地に皺を作ってゆく。
五指が限界まで布地を手繰り寄せた時、新八は堪えきれなくて其処にそっと顔を埋めた。
「一つも無いは酷くね?それに銀さんまだ糖尿予備軍なんだけど」
「っ……うっさいっ……」
肩口を掴む手の力。
ゆっくりと布地を濡らしてゆく暖かい水。
嗚咽を堪えるように震える細い身体。
頬に当たる優しい髪。
首筋に溜まってゆく熱。
何もかもが愛しくて、銀時はその温もりを腕の中に閉じ込めた。
室内に新八が時折鼻を啜る音がぐすりと響いて空気を揺らす。
銀時は自分の腕の中で丸まった背中をあやすようにゆっくりと叩いた。
ゆっくりと、ゆっくりと。
自分の心臓の鼓動に合わせて薄い背中を優しく叩く。
新八の鼓動が自分と同じリズムを刻んでくれるように。
「新八さぁ、泣くほど銀サンの事好き?」
呼吸が少し落ちついた頃、肩口に埋まったままの小さな頭にそっと聞いてみる。
「……あんた、なんか……嫌いに、なり、たいっ」
銀時の肩を濡らすほどに、溢れる涙はもう隠せないのに。
それでも必死に嗚咽を堪える新八の声。
ぎゅっと。
肩を掴んだままだった手が銀時の首に回る。
「嫌いに……なりたい」
言葉とは裏腹に腕の力は強くなって。
「じゃあ今はまだ好きでいてくれてんだ」
襟足から覗く健やかな項に口付けながら新八の言葉尻を捕らえてみる。
腕の中で小さな身体がひくりと揺れて。
もう一度小さく鼻を啜ってゆっくりと新八が顔を上げた。
濡れた瞳が真っ直ぐに銀時の視線を見据える。
「あんたの、駄目な所なんて、数えたら両手じゃ足りないし」
泣きはらした眼の縁の、うっすらとした紅色が綺麗だと思った。
「良い所なんて片手で余ります」
涙で揺れる黒い瞳が愛しいと思った。
「でも、良い所も悪い所も、全部含めて銀さんだから。何があったって、嫌いになんてなれないです」
絡んだ視線のその先で、ゆっくりと新八が瞬きをする。
まるで銀時の心を洗うように透明な雫が一粒頬を伝った。
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