目が覚めた。
締め切った障子窓は外の日差しをそこでさえぎり室内をぼんやり照らすように奇妙に浮きあがる。
僅かに黄ばんできた和紙に透ける光は薄闇になれた寝起きの目にはかなりきつく、銀時は目を細めた。
既に正午近いのかもしれなかった。




「あー……」
だるさ全開で唸りながら上半身だけのそりと起こし、天然と寝癖の混ざった白銀に両手を突っ込み混ぜ返す。
「はー……だりぃ」
ひとしきりかき混ぜぱたりと両手を落とすと溜息のようなぼやき。
睡眠時間は十分過ぎるくらいのはずなのに、眠りは浅く身体は重い。
普段から無いやる気が更に削げる。
今日の仕事は夕方から一件。
寺子屋に通う女の子を家まで送る依頼があるだけだ。
今の時刻はわからないが、多分まだ依頼時間までは十分にあるだろう。
起き出す気にもなれなくて銀時は再び身体を後ろに倒した。
大の字になって見上げる天井。
寝起きの頭は上手くものを考えられなくて、視線の先、桝目のように正しく並ぶ木の板を端から順番に数えてみる。
上下、左右、順番を変えて桝目を四順。
数えている時間を邪魔するものは何も無かった。
家の中はひっそりとしている。
表の通りからは人々の活動する喧騒が耳に届くのに。
この建物の中からは自分以外の気配は感じられなかった。
ひとり。
それは一度全てを失った銀時にとって、もうずっと当たり前の事だった。
もう二度と手にはすまいと決めていた。
一人でいいのだと思っていた。
けれど。
二人と一匹。
自分はまた抱えてしまった。
そして、それを心地よいと思っている。
気配の不在を寂しく思うほどに。





らしくない感情が照れくさくて、誤魔化すようにぐるりと寝返りを打つ。
けして大きくはない一人用の煎餅布団。
いつも程よく清潔に保たれている敷布はもう三日取り替えていない。
小言を言いながら、いつまでも寝ている自分から布団を引き剥がす少年を想って銀時はくすりと笑う。
銀時が営む万事屋の助手を務める眼鏡の少年、志村新八。
通いの彼は日暮れ前には帰宅するが、遅くなった日は泊まっていく。
そんな日はいつもここが少年の指定席だった。
抱きこんで眠る時、ちんまりと収まる細めの身体。
丁度鼻先にくる素直な黒髪からは安物の洗髪料の、けれど清潔な香り。
新八自身の匂いも含んだそれは優しく甘く、いつも銀時を眠りに誘う。
取り替えてから布地に一度も触れていないはずのその香りが微かに鼻を掠めた気がして、銀時は敷布に顔を半分埋めてみた。
一緒に眠った日は、自分を起こさぬように気遣いながらそっと腕から抜け出す気配で。
そうでない日は「おはようございます」の声が空気を震わせる気配で。
彼はいつも銀時を眠りから引き上げる。
目覚めた後は部屋に起こしにくるまで彼の生み出す生活の気配を感じて布団の中。
包丁がまな板を打つ音。
朝食の匂い。
押入れで眠る少女を起こす声。
ペット兼従業員(?)の朝の一吠え。
交わされる挨拶。
襖一枚隔てた向こうでゆっくりと動き出す一日。
最後に、それを開いて彼が自分と動き出した日常とを繋げてくれる。
当たり前になってしまった毎日。
その当たり前の日常が無くなって、今日で三日目だった。





『無くして初めてわかるって言うけどねー……かなりきついわ、これ』
万事屋という、この銀時の居場所に新八が来なくなったこの三日間で。
押しかけられてなし崩しに雇う羽目になった少年が、いつのまにか自分の中でこんなにも大きな存在になっている事を思い知らされて。
十分に大切な存在になっていると感じていた。
新八も、神楽も、定春も。
頭ではわかっていたけれど、それは単純に幸せの上に胡座をかいていただけなのだ。
なくす怖さは十分に知っているはずだったのに。
あまりにも当たり前に与えられる日常に贅沢になりすぎたのかもしれない。
不在という事実をつきつけられてガツンと自覚させられた。
『あーくそっ、ぎゅーーーーってしてぇ』
もう三日触れていない新八の、髪の香りに触発されて全てが甦る。
新八とは好いて好かれた仲だ。
いつからなんて覚えていない。
少しずつ自分の中に浸透していて気がついたら心の中に住んでいた。
大人のずるさで新八に好きと言わせるように仕向けた銀時ではあったが、彼の気持ちも自分に向いていると知った時の喜びようはただの餓鬼とかわらなくて、思い出すと柄にもなく顔が熱くなる。
人となりそのものに惚れているので男同士という所に特にこだわりはない。
新八の方にもそれがなかったのには驚いたが、新八の性格の素直さを考えるとそれはとても自然な事のような気もした。
だから自分のことを「好き」だという新八の気持ちは本当に坂田銀時と言う人間自身を好いてくれていると感じられて全てが満たされるのだ。
ただ、十六歳という新八の年齢に、自分の中に相反する二つの感情が常にあるのが現状で。
未だに手は出せていない。
それでも触れずにはいられない中途半端な状況で銀時の理性は日々鍛えられていくばかりだった。
代わりになど到底ならないが、銀時はかけ布団を丸めて抱え込み両手の隙間を埋めてみる。
何かを発散するようにぎゅーっと腕に力を込めて暫し。
溜息と共に脱力した。
『……無理。布団なんかじゃ代わりになんてなんネーよ。新八はもっとこうあったかくてさらっとしてて丁度肩にでことか乗せてくると耳とか見えて可愛いし旋毛もチューしたくなるし項はたまんネーし腕ン中にすっぽり収まるし……ってなんだこれ。俺どんだけぞっこんなのよこれ。メロメロじゃネーの?どーすんだよこんなんでよ。でもあいつホントかわいんだよな。たまんねんだよな。触りてー』
新八とは似ても似つかぬ、けれど腕はどうしようもなく寂しくて銀時は未練がましくいつまでも布団を抱えていた。





「とうとう壊れたアルか」
がらりと襖が開かれて、特徴あるイントネーションで少女の声が降ってきた。
抱えた布団はそのままで首だけひねって見上げてみれば、定番の酢昆布をくわえながら神楽が蔑むような目で銀時を見下ろしていた。
「そりゃどういう意味ですか」
「見たまんまアル」
愚問ネ、というような顔をして神楽は酢昆布を咀嚼しながら銀時を覗きこむようにしゃがみこむ。
「新八ここに来なくなって今日で三日。そろそろ銀ちゃん壊れる頃と思ったネ。寧ろ三日ももった事が凄いアルよ」
新八不足で壊れたネ、と笑って酢昆布の粉のついた指を服で拭った。
布団を抱えてぼんやりとしていた所を見られた気まずさもあるが、神楽の言う事は正に今自覚していた所で。
布団を蹴飛ばし遠くにやると起きあがって頭をガシガシと掻いた。
「……わかりやすいか?」
ちらりと神楽に目をむければ。
「……わかりやすいヨ」
しゃがんだ膝で頬杖を支えながらにやりと返された。
「独占欲丸だしアルね」
「…………そか」
日頃の自分の言動を顧みて、思い当たるふしがなきにしもあらず。
「でも銀ちゃんの気持ちわかるヨ。新八可愛いネ」
「は?」
予期せぬ神楽の発言に、銀時は一瞬自分の耳を疑う。
思わず膝を正して神楽と向き合った。
勿論手は膝に。
「神楽さん。今、新八の事可愛いって言いましたか?」
問う銀時の顔は真剣だ。
そういう顔は仕事の時にしてください、と新八なら言いそうなほどに。
「言ったネ。新八可愛いアルよ」
「っ……おまっ、何言っちゃってンの?」
常日頃、ダメガネだなんだと本人に向かって言い放つ神楽である。
勿論新八のことを好いているのは間違いないが、まさかこんな発言が飛び出すとは思っても見ず、年頃なだけに銀時の焦りは増す。
ちょちょちょ神楽さん、それってまさか。
「私と新八はグラさん、ぱつっぁんと呼び合う仲ネ」
神楽の発言に不穏な記憶が甦る。
以前銀時が風邪を引いてダウンした時、既に受けてしまっていた依頼を新八と神楽だけで片付けたことがあったのだ。
気になって、襖の隙間から覗いていた銀時の目に映った二人は意外にも絶妙のコンビネーションを発揮していて。
新八の、神楽に対する絶妙なツッコミ。
何、お前、俺の前でそんな笑顔見せた事ねーじゃん的な。
軽く頭を殴られたような衝撃が走ったのを覚えている。
「ホント、独占欲丸出しネ。銀ちゃん面白いヨ」
普段感情をあまり出さない銀時の軽い動揺に、神楽はいたずらっ子の表情で舌を出した。
「……あんまおっさんで遊ぶな」
気まずさを打ち消したくて、本当に面白そうな顔をしている神楽の額を軽く指ではじいた。
新八の事になると感情が暴走気味になる自分を初めて自覚を持って認識してしまった銀時だった。
「銀ちゃんいっつも新八一人占めしてずるいからたまにはいいアルよ」
口の端に指を引っ掛けて神楽は思いきり「いー」をする。
「新八は俺のもんなの」
小さな頭にヘッドロックをかけてごく軽くグーでグリグリ。
「それよりお前どこ行ってたの?飯どーした」
万事屋の食事は一応当番制で持ちまわりなのだが朝は殆ど新八が作っている。
だが、不在の二日間は銀時が作っていた。
三日目の今日はさっき起きた所だから当然食事の支度は出来ているはずも無い。
「卵かけスペシャル食べて定春と遊んできたアル」
「……あっそ」
恐らく神楽の辞書に「満腹」は無い。
スペシャルと言う事は、米粒は言うまでも無く卵も既に冷蔵庫からは姿を消しているだろう。
底無しの胃袋に合わせた彼女の調理(米を炊くだけだが)は常に監視の目が必要なのだ。
時既に遅し。
食料が無いと自覚した途端空腹を訴える胃袋を、銀時は慰めるようにさするしかなかった。
「ねぇ銀ちゃん」
「あん?」
いたずらっ子の瞳がなりを潜めて銀時を見た。
「朝は新八の味噌汁じゃ無いと嫌アル」
起きるといつもテーブルの上には温かそうな湯気が昇る食事がある。
「朝は新八が起こしてくれないと嫌アル」
最初は遠慮がちだった起こし方もこの頃は容赦がない。けれどそこには確かな愛情が見えて。
「ボケても新八がいないからつまらないアル」
新八の声が響かないだけで自分たちは驚くほどに静かになってしまう。
「小言ばっかでうるさいけど、やっぱり新八の小言が無いと寂しいアルよ」
いつもいつも、小言を言われない日はないけれど。もしかしたら言われたくてしているのかもしれない確信犯的な自分もいる。
「ん……そだな」
ぽつりと零れるのは神楽の本音。
神楽も感じているのだ。
新八不在の寂しさを。
成り行きで集ってしまったような自分たちだけれど、繰り返された日々の中でそこには確かな絆が生まれていた。
誰一人欠けてもそれは不完全で。
だから神楽は寂しいという。
きっと本人の前では死んでも言わないだろうけれど。
「迎えに行くか」
そう言って銀時は桃色の髪をクシャリとまぜて、小さな頭をそのまま左右に揺らしてやる。
「ほんとうアルか?」
「骨折って入院してるだけだしな。寝てるだけならどこでも同じだろ。金ががかからないだけここのがきっといいはずだ、うん」
銀時の言葉に神楽はすっくと立ち上がり、早く着替えろと急かす。
定春と待ってるから早く降りてこいと言い置いて部屋を飛び出していった。
喜ぶ神楽を見て銀時は微笑ましいと同時に微妙な気持ちになる。
やはりあの風邪っぴきの一件は新八と神楽の絆をそれなりに深めてしまったらしい。
良い事だと思っているのも本心なのだが。
どうにも新八がらみだと狭量になる自分に苦笑しつつ着ていた甚平を脱ぎ捨てた。





「新八、帰るぞ」
「帰るアルよ」
「え?」
がらりと病室の扉が開くなりそう宣言されて、新八はただきょとんとするのみ。
当然である。
新八にしてみれば入院三日目のいつもと同じ一日。
退院許可を貰った覚えもないのだから。
だがそんな新八の困惑などお構いなしに銀時は荷物をまとめ出す。
大した物は殆どないのでガサッと風呂敷にひと包み。
「銀さんも、神楽ちゃんも、お見舞いに来てくれるのは嬉しいですけど。言ってる意味がわかんないですよ。僕入院中なんですけど」
片足を固定された状態で、それでも律儀に新八は対応する。
それを聞きながら、やっぱり新八は良いなぁ、などと二人がしみじみ思っているなんてことは知るはずもない。
「だからぁ」
訳がわからないという顔をしている新八の、ベッド脇に椅子を引き寄せ腰を下ろすと銀時はそっと顔を寄せた。
「金がねーのよ」
こそりと打ち明けるように告げる。
「入院費もばかになんネーだろ。足動かさねーように寝てるだけならわざわざ金払う事ねーだろが」
もっともらしい主張だが、銀時自身骨折経験も無ければ医者でもない。
単なる口からでまかせだ。
最も、金が無い事だけは紛れも無い事実だったが。
だが。
真面目な新八は銀時の言葉に顔を青ざめさせる。
「そ、そういえばそうですよね。お金……病院ってお金かかるんだった……しかも入院っ。もう三日目じゃないですかっ。どうしよう……取りあえず姉上に連絡して迎えに……っ」
骨を折った事で勢いのまま入院生活などを送ってしまったが、考えてみたら日々の食事代すら息切れしそうな毎日を送っているのだ。
ばか高い入院費など一体どこから捻出するというのか。
「まてまてまて。何でねーちゃんなのよ。お前は俺が連れて帰るよ?」
あわあわと、焦りつつもまず妙に連絡を取ろうとする新八を銀時の俺様ルールが許すはずもなかった。
「え、でも僕自由に動けませんし、万事屋にいても仕事にならないですし」
「別にいつもと変わらないアルね」
「ちょっとぉぉ、神楽ちゃん!?」
小指を鼻に突っ込みながら言い放つ神楽にツッコミつつも、女の子が人前で〜などと小言も忘れない新八。
在るべき日常。
二人のやり取りが作り出す空気が心地よい。
「とにかく、お前は万事屋に連れて帰るから」
そういって抱き上げるために身体を近づけた銀時に新八は慌て出す。
「や、ちょっ……いいですっ。わかりましたっ。自分で歩きますから松葉杖借りて来てくださいっ」
「なんでよ。めんどくせーから俺が運んでやるって。定春に乗っけて帰っからよ。下で待ってるしすぐだって」
「駄目ですっ」
「何で駄目だよ」
「駄目ったら駄目ですっ」
「だからなんで……」
ぐいぐいと銀時を手で押しやって必死の抵抗をする新八。
「おい、しんぱ……いだだだだだ」
大概強引な銀時も新八のあまりの抵抗ぶりにさすがに不安になってくる。
押し返す腕を無理矢理両脇に縫いとめ上から圧し掛かる。
本気を出した銀時に、新八が力で勝てるはずもなく。
息がかかるほどに顔が近づく。
「やだっ」
もうこれ以上逃げられないのに。
それでも精一杯離れようとするかのように顔をそむける新八。
必死の攻防に息はあがり、その目は何故か潤んでいた。
「新八?」
涙目の新八に銀時は本気で困惑する。
泣くほど帰りたくねーの?
まさか病院の看護士と恋に落ちて離れたくないとかっ?
それとも先生と?
入院患者と?
誰かの見舞い客に見初められたとかっ?
新八くんんんんんんん!?
新八が知ったら鉄拳が飛んできそうな妄想疑惑が銀時の頭の中でぐるぐる回る。
「……から」
「え?」
妄想にとらわれすぎて大事な部分を聞き逃す。
なになになんですか?
なんて言ったのっ?
聞き取り損ねた言葉を聞くために必死の銀時は、新八をベッドに縫いとめたまま穴が開くほどその横顔を見つめた。
「だから……僕お風呂入ってないから。傍にきてほしくないんですってばっ」
真っ赤な顔で言い放ちぐいっと銀時の顔を押しやる新八。
「は?」
なにそれ。
なにこれ。
なにこのかわいいいきもの。
心臓鷲掴み、である。
「っそりゃ一応拭いてはいましたけど……でもやっぱり……てっわっ銀さん!?」
いきなり身体を担ぎ上げられ、新八は思わず目の前の背中にしがみついた。
米俵のように肩に担ぎ上げられ銀時の腕が腰と、折れた足を支える。
「行くぞ」
「行くぞって、あんた人の話聞いてんですかっ。やだって言ってるでしょーが。降ろしてくださいってばっ」
新八は逆さまになったまま目の前の背中を叩き、動く方の足をばたばたさせて必死に抵抗する。
だが暴れる新八を乗せたまま、銀時は有無を言わさず歩き始めた。
冷静を装っているがその心中は穏やかではない。
こんなかわいいいきものを、三日もこんなところに置いておいたなんて。
迂闊にもほどがある。
さあ帰ろう。
すぐ帰ろう。
さっさと家に帰るのだ。
新八の可愛さを三日ぶりに目の当たりにして銀時は自分の迂闊さを呪いつつも、入院の元凶が自分であることは綺麗さっぱり追いやって、ずんずん歩を進める。
だが、いつもならさっさと折れる新八が、今日に限ってなかなか暴れるのをやめなかった。
肩口で暴れ続けられてはさすがの銀時もバランスがとれず上手く歩けない。
取りあえず立ち止まり、どうなだめたものかと頭を掻いていると思わぬところから救いの手が述べられた。
「いー加減にするアルよ、このバカップルが。ここをどこだと思ってるネ」
神楽である。
二人のやり取りを酢昆布噛みつつ傍観していた神楽だったが、いつまで経っても埒のあかない攻防にいい加減飽きてしまったらしい。
珍しくまともな神楽の意見は、これまた珍しく場を忘れて取り乱す新八を正気にかえした。
そう言えばここは病院だったのだ、と冷静さを取り戻した新八が頭を持ち上げて見まわしてみれば、自分たちは好奇の視線のど真ん中だった。
「帰るぞ」
「……はい」
観念して脱力した新八の尻を軽く叩いて銀時は今度こそ病室を出るために歩き出した。


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