煌々と灯る明かりが路地裏の薄暗さを一層引き立てる夜の大通り。
品のない色とりどりの電飾は、まるで夏の夜の誘蛾灯のように人を誘う。
黒の上下に羽織った着流し。
白い袖を片方抜いた出で立ちで、銀時は疲れきった足をずるずると引きずり歩いた。
裾にあしらった薄青の波模様がゆらゆらと通りをたゆたう。
金もないのに毎晩毎晩飲んだくれて。
ツケをしまくったかぶき町中の飲み屋は既に一巡りしてしまったかもしれない。
「こーいうのを飛んで火に入る夏の虫っつーのかね」
キラキラと輝くネオン。
あの灯かりに飛び込めばどうなるか、わかっていても止まらない悪循環。
帰ったところで誰が待っているわけでもない。
自嘲気味に息を吐いた銀時は、今日も灯かりに誘われる虫の如く煌めく光の向こう側へと脚を踏み入れた。
「うぃーっす」
くぐったのは嫌というほどの顔馴染み“スナックお登勢”
俗にオヤジの聖地と言われている、綺麗なオネェちゃんのキの字もない店だった。
今時自動でもない薄汚れた引き戸の向こう側で、その扉に負けないくらい年季の入ったオーナーのお登勢が咥え煙草で銀時を迎えた。
「なんだい銀時、随分と久しぶりじゃないか。もしかして殊勝にツケでも払いに来たのかい?」
「おいおいおい、客に対して開口一番そういう態度ってねーんじゃねぇの?」
顔を見るなりツケの催促。
いらっしゃいませの言葉もないもてなしに銀時は軽く文句をつける。
「ねーのはお前だよ、バカタレ」
お登勢の口からは紫煙を絡めた呆れ声が吐き出された。
「あんた一体どれだけツケが溜まってると思ってんだい。客扱いして欲しかったらまず耳を揃えて払うもん払いな」
「はぁ、世知辛い世の中だねぇ……」
「ったく、どの面提げてそういうこと言うんだかね」
「うるせぇな。ない袖振れたら苦労はしねぇんだよ」
「開き直ってんじゃないよ、可愛くないね」
「俺が可愛かったら世も末だっつの」
お登勢の言葉は耳に痛いがとにかく今は疲れた身体を休めたかった。
カウンターにスツール席が四つ、ソファで囲んだBOX席が数個あるこぢんまりとした店内。
ゆっくりしたい銀時は指定席のスツールを素通りして真っ直ぐに奥のソファへと向かった。
先客は誰もいない。
いつもならそこそこ賑わっている店なのだがタイミングなのか何なのか、今日は銀時以外の客の姿が見当たらなかった。
「閑古鳥が鳴いてるなんて珍しいじゃねぇの。オヤジの聖地はどうしちまったのよ」
「オヤジは皆家族のために汗水たらして残業してんだよ。開店と同時に入り浸れるあんたの方がおかしいんだよ」
「そりゃご苦労さんなこって」
辿り着いたソファに身を沈めると安物の硬いスプリングがギシリと鳴って、ぐったりと預けた背中を受け止めた。
本当ならばこのまま沈んでしまいたい。
だが今それをしてしまったら確実に意識を失う気がする。
「マジで水も無しかよ……」
カウンターに凭れて優雅にタバコを燻らせるお登勢は一応の客である銀時にもてなしの準備をする気は微塵もなさそうで。
まさか本当に放置されるとは思わなかった銀時は恨みがましくその顔を見た。
見たからといってどうにかなるわけもなく。
金を払わない自分が悪い自覚は十分にあったので催促は諦めた。
乾いた喉が張り付いて、ひりついた。
この店にはオーナーのお登勢の他にもう一人、キャサリンという従業員がいる。
猫耳に対する冒涜のような胡散臭い片言キャラだ。
そいつはさっきからカウンター内のTV画面に釘付けで、銀時が店内に入った時から目線を寄こすことすらしていない。
完全に舐めた態度が癪に障る。
別にこの女ににこやかに迎えられたいわけではないが、機会があれば一度後ろから蹴ってやりたい程度には腹に溜まったものがある。
けれど今は考える事すら面倒で、余計に疲れる気がした銀時は早々に猫耳面を思考から追いやった。
「俺だってよ」
お登勢に対して。
「別に遊んでばっかいるわけじゃねぇんだって」
言い訳がましいとは思ったけれど、つい。
「へえ、珍しい。じゃあ今日は仕事帰りかい?」
「まぁな」
銀時はこのスナックお登勢の二階に居を構え(お登勢と銀時は家主と店子の関係にある。因みに家賃も滞納気味だった)“万事屋銀ちゃん”という看板を掲げている。
頼まれればなんでも請け負う何でも屋と謳ってはいるが、年中不定休という気ままな営業方針に加え気分次第で仕事を選ぶので殆ど流行らない。
立ち上げ以来自業自得の開店休業が続いている状態だった。
それでも一人身の気ままなその日暮らしには自分の口が凌げる稼ぎがあれば十分で、銀時の労働意欲は上がらないまま日々は過ぎていた。
だが最近は連日連夜の飲み歩きが祟り、ここしばらくはその一人分の口すら凌げないほどの困窮が続く毎日。
いつもならギャンブルで渡れる綱も落ちまくるツキの無さに流石の銀時も焦りだした。
どうにかしようと重い腰を上げたところに天の助け。
今日は朝から電話が鳴り響いたのだ。
しかも立て続けに三件。
最初の二件が犬と猫の捜索願い。
偶然の一致にこれ幸い、と纏めて探す算段をしていたところにかかってきたのが三件目。
『探してください』の第一声でしめたと思い、軽い気持ちで引き受けてしまったそれに、まさかのオチが待っていようとは。
『ペット探しですか?はいはい承りますよー』
『じゃあカメレオンのカメちゃんを』
と事後承諾で告げられれば今更否とも断れず。
カメレオンとか逃がしてんじゃねェェェっ、と声にして突っ込むわけにもいかず、どう探せばいいのか分からないような依頼を受ける羽目になってしまったのだった。
そんなわけで今日は朝から江戸中を駆けずり回り、文字通り足が棒になっている。
一日で三匹とも見つけられたのはまさに奇跡。
内緒だが、カメちゃんを見つけた時に銀時はちょっぴり泣いてしまった。
「俺だって明日食う米がなくなりゃ流石に本気出すんですぅ」
「自慢気に言ってんじゃないよ、気持ち悪いね」
やれば出来るのにやらない銀時をお登勢は知っていて、事あるごとに説教をされるけれど直す気はあまりなかった。
「尻に火がつかなきゃ本気出せないようでどうすんだい。あんたもいい加減ふらふらしてないで嫁さんでも貰いな」
「俺は一人が性に合ってんだよ」
「難儀な男だね」
「うっせーな、聞き飽きたっつーの」
「こっちだっていい加減言い飽きてんだよ、その自堕落っぷりを何年見せられてると思ってんだい」
お登勢の眉間に皺が寄った。
気苦労をかけているのはわかっているけれど。
自分の事を想っての言葉とわかってはいても、こればかりは受け容れ難かった。
身を固めろというお登勢の言い分は尤もだとわかっている。
それが世間で言うところの倖せなのだろうという事も。
けれど銀時はそれが自分の望むものではない事を知っている。
自虐的になっているわけではなく、ただ自分の倖せはそこにはないのだ。
新八の手で終わるその日を迎える事。
それが唯一つの銀時の倖いだった。
「お登勢さん」
聞きなれない声がして銀時が視線を上げるとお登勢の後ろに少女が一人立っていた。
うぐいす色の大人しい着物。
両側で束ねた黒髪の三つ編と洒落っ気のない眼鏡。
その向こうにある、黒目がちの大きな瞳。
見た瞬間、心臓がドキリと跳ねた。
少女の姿が心の奥にしまってある大切な面影にとてもよく似ていたから。
一瞬で銀時の記憶はあの頃に帰る。
あれから十余年。
幼い頃のあの日の姿しか知らないけれど、成長していれば丁度このくらいだろうか。
「ああぱち恵、ご苦労さん、ここに置いとくれ」
「はい、失礼します」
ぱち恵と呼ばれた少女は軽く会釈をすると銀時の足元に膝を付いた。
手にした盆を片手で支え、上に並んだ物をテーブルの上に移していく。
おにぎりとお茶を置いて最後にお絞りを手に持つと盆をテーブルの脚に立てかけて。
「どうぞ」
湯気の立つ蒸したお絞りを両手で広げて差し出してくれた。
温かそうなそれに自然と手が伸びる。
「悪ぃな」
「いえ」
目が合うと人懐こい笑顔が返ってきた。
「初めまして。今月からこちらでお世話になってます、ぱち恵と申します」
柔らかな挨拶だった。
初めて見た時女の子と間違えてしまった事を思い出すとぱち恵の姿に新八を重ねる事にあまり違和感は無い。
「あんた幾つ?」
「え?……っと十六、ですけど」
「へぇ……姉弟、いる?」
「姉弟、ですか?」
「ああ、弟とかさ」
「いえ、弟は……姉が一人いますけど」
「姉ちゃんか……」
唐突な銀時の質問に驚いてはいたけれど、ぱち恵は丁寧に答えを返してくれた。
「あの、それが何か?」
「あー、知ってる奴にさ、あんたちょい似てて」
そんな都合のいい偶然が有るはずのないことはわかっている。
ただそうであればいいと思う銀時の願望が、雰囲気の似ているぱち恵を余計に新八の面影に近づけているだけなのかもしれなかった。
それでも、その姿に新八を見る事は銀時の気持ちを穏やかにさせた。
あの日の約束を、銀時は一日も忘れた事はない。
会いたくて、会いたくて。
日々を過ごす毎に勝手に新八の事を好きになっていく自分がいた。
いつかその手で終われたらと思うけれど。
同時に身勝手に押し付けた、一方的な約束など忘れてくれていればとも思う。
銀時にとっての倖いが新八にとってはそうではないのだと、情けないけれど十余年をかけてやっと気付いた。
あの日の記憶など綺麗に忘れて倖せな日々を送ってくれていたら……。
それこそ身勝手だと自覚して口元を歪ませた。
会いたい気持ちと自分になど会わない方がいいと思う気持ち。
その二つは銀時の中に矛盾して存在している。
「そんなに似てるんですか?」
「ん?……まあな」
「どんな方、なんですか?」
「どんな……か」
どんなというほど知りはしない。
けれど、それだけ知っていれば十分だというほどに、あの日銀時は魂の全てで新八を感じた。
「そうだな……ちっこくて、ころっとしてて、髪と目が真っ黒で……あとすげぇあったけぇんだよ」
肌で覚えた新八は脳裏に残る映像よりも遥かに鮮やかで。
腕に抱いた温もりの記憶はずっと銀時の心を温め続けてくれている。
「新八はこの世で唯一俺の生殺与奪権を持ってんの」
「生殺与奪……?」
「そ。新八になら俺は殺されてもいいし……それだけの事、しちまったからな」
罪の償い方は未だにわからないけれど。
銀時が新八に与えられるものは、この命唯一つだった。
「そんなの…」
銀時の告白を聞いていたぱち恵は表情を曇らせた。
「そんなのって不健全ですっ」
「え?」
「隣っ、座ってもいいですか?」
「あ、ああ」
何故かぱち恵は唐突に憤り銀時に詰め寄った。
気圧されて、銀時はたじろぐ。
「お登勢さんに言われておにぎり作ったんです」
立ち上がった細い身体が隣に納まって、おにぎりの載った皿を銀時に差し出す。
「お腹が空いてるからそんな不健全な事考えちゃうんですよ、これ食べてください」
「え、あ……いただきます」
突然のぱち恵の変貌に驚きはしたけれど、そこに押し付けがましさは全く無くて。
銀時はただこそばゆい様な感覚に身を包まれた。
勧められるまま皿の上からおにぎりを一つ取り口へ運ぶ。
それを見るぱち恵は嬉しそうだ。
一口齧ると舌に触れたそれは何故か甘かった。
「甘……」
「え?」
おにぎりの感想ではありえない言葉が銀時の口から漏れて、ぱち恵がきょとんとした顔をする。
「これ、何かすげえ甘いんだけど」
銀時が齧ったおにぎりは塩ではなく砂糖の味がした。
だが甘いと思っただけで別段不味いと感じたわけではない。
銀時はオリジナルでご飯に小豆餡を乗せた宇治銀時スペシャルなるメニューを考案するほどの甘党だ。
塩が砂糖になったくらい気にするほどのものではない。
ただおにぎりは塩という先入観が違和感に繋がっただけで、脳に指令が行き渡ってしまえばなんの問題もない。
「え、え、なんで……」
だが作ったぱち恵はおにぎりが甘いといわれて軽く混乱したようだ。
おにぎりが甘いといわれたら普通はこうして少しは慌てる。
銀時のように平気な顔で食べ続けたりはしないものだ。
しばらく混乱していたぱち恵はやがて思い当たる事があったようで、二口目を運ぼうとする銀時の腕を両手ではっしと掴んで止めた。
「ごめんなさいっ」
それ以上は食べないでと訴えるぱち恵の瞳が少し潤んでいる気がする。
健気さが可愛くて、銀時は止める手に逆らうようにおにぎりを口に運ぼうとした。
「駄目ですっ」
銀時の腕にしがみ付かんばかりの勢いで、ぱち恵はもう必死だ。
「あの、あの、坂田さんが甘党だってお登勢さんが教えてくれてっ……」
ぱち恵の口から自分の名前が出た事に少し驚いて銀時は手を止めた。
「俺の名前、知ってんの?」
「え?」
「名前。なんで?」
「あ……上に住んでる方だってお登勢さんが」
「ふーん」
「そんなことよりおにぎり食べないで下さいってば」
「なんで?美味いよ?」
二口目を齧ると具にあたった。
白飯の間から覗いたのは真っ赤なウインナー。
目が合うとぱち恵の頬が仄かに赤らんだ。
「お登勢さんに具は残り物でいいって言われたから、ウインナーとかから揚げとか入れちゃったんです……だからっ、お砂糖なんて余計に合わないからやめて下さいっ」
「いやいや、別に不味くねぇって」
甘いご飯にウインナー。
普通に考えればありえないのかもしれないが、食べてみれば言うほどおかしいものではなかった。
銀時の舌は一般的ではないかもしれないが、食べているのはその本人なのだから何の問題もないだろう。
「でも……」
「いやマジで大丈夫だって。何なら味見してみっか?」
冗談で顔を近づけて……激しく後悔した。
大きな黒い目が銀時をじっと見たからだ。
「ぶっ」
ぱち恵に向けていた横顔めがけて何かが飛んできた。
何が、と思った次の瞬間膝に落ちたのは既に冷え切ったお絞り。
飛んできた方に顔を向けると咥え煙草のお登勢が目を吊り上げて立っていた。
片手にはいつの間にやら用意してきたらしい琥珀色を満たしたグラスがある。
「金もないのにうちの子に気安く触ろうとすんじゃないよ、このろくでなし」
「なっ」
“金もないのに”
銀時の思考はお登勢の台詞のその部分に釘付けになる。
「まさか金出したらとかやってんじゃ……」
「馬鹿なこと言ってんじゃないよっ」
ダンッとグラスが置かれ、琥珀が数滴飛び散った。
「ここはオヤジの聖地スナックお登勢だ。勝手に如何わしい店にしてもらっちゃ困るんだよこの腐れ天パがァァァァッ」
銀時がみなまで言う前にお登勢の罵声が遮った。
「けど、あんな言い方されりゃもしかしてって思っちまうじゃねーかっ」
「もしかしてもクソもないんだよっ。うちはお触り禁止。静かに酒を楽しめない奴はお断りだよっ」
「や、OKだとしても丁重にお断りしますけど……」
お登勢とキャサリンしかいないスナックでお触りOKだったとして一体誰が得をするのか。
隣でぱち恵がくすりと笑った。
「あーっとその、悪かったな……」
ともあれ悪ふざけが過ぎた事は認めなくてはいけないと、銀時は素直に謝罪した。
「いえ……大丈夫です」
ぱち恵はゆっくりと首を振った。
「でもなんで砂糖?」
逸れてしまった話題を思い出して銀時は訊ね直した。
ぱち恵の手は銀時を止めていた名残で未だ着物の端を掴んでいる。
無意識の仕草は酷く可愛い。
「坂田さんの好物がご飯に餡子を乗せたモノだってお登勢さんが教えてくださったんです。だから砂糖で握ってみたらどうかなってちょっと考えちゃって……並べて迷ってたからしまい間違えちゃったみたいです。ちゃんと確認しなくてごめんなさい」
「や、結果オーライだって。砂糖も美味いよ」
「ホントですか?」
「馬鹿だね、信じてんじゃないよ」
素直に感心するぱち恵に呆れたお登勢が茶々を入れた。
「そんなもん美味いなんていうのはそこの残念な脳みそ砂糖漬けだけだよ」
「んじゃいっぺん食ってみろよ」
「やだね、あたしゃ辛党なんだよ」
おにぎりを挟んで銀時とお登勢が殺伐とした空気を醸し出す。
「あ、あの私責任取って一個食べますっ」
自分の作ったものが原因だと感じたぱち恵が慌てるように割って入った。
こんな言い合いは日常茶飯事。
もともと本気ではない二人は健気なぱち恵のその気遣いにすぐに空気を和ませた。
「こんな馬鹿に気ぃ使う事ないよ」
「馬鹿は余計だっつの……けど、これ本気で美味いから俺食うし、気にすんなって」
「可愛い子には優しいねぇ」
「うるせぇんだよ、辛党ババァが」
からかう口調とは裏腹なお登勢の眼差しがむず痒くて、銀時はぶっきらぼうに言葉を返した。
「お登勢サーン、ソロソロ時間デスヨー」
「あいよ」
カウンターの方からキャサリンの声がかかってお登勢が答える。
「ぱち恵、悪いけどそろそろ準備頼むよ」
「はい」
ぱち恵が立ち上がると同時に入り口が開いて客が一人入ってきた。
その後に数人が続く。
どうやら混み出す時間帯に入ったらしい。
「じゃあ坂田さん、ごゆっくりどうぞ」
ぱち恵は柔らかな微笑を一つ残して席を外した。
カウンターに入るぱち恵を見送っているとお登勢がふっと笑う気配がした。
視線を戻すとすっかり氷の溶けてしまったウイスキーをちびりと向かいで飲んでいる。
「おいおい、これから忙しくなるんじゃねぇのかよ、なに寛ごうとしてんの?」
「固いこと言ってんじゃないよ、カウンターはあの子に任せといたら大丈夫さ」
何しろ皆ぱち恵目当てだからね、とお登勢は美味そうにグラスを干した。
空のそれを掲げて振ると忙しいぱち恵に代わってキャサリンが水割りの一式と徳利の載った盆をテーブルに置いて戻っていく。
「冷でいいだろ?」
「ああ」
銀時の手に猪口を持たせ、お登勢が手ずから徳利の酒を注いでくれた。
一口煽るとお登勢好みの辛口の酒が乾いた喉を熱く焼く。
「随分毛色の違うの入れたんだな」
「気に入ったかい?」
忙しそうに、けれど笑顔で立ち働くぱち恵をちらと見て告げればお登勢は意味ありげにニヤリと笑った。
「別に、そういうんじゃねぇよ」
「ふ」
さっきよりもかなり濃い目の水割りを完成させてお登勢は取り出した煙草に火をつけた。
ゆっくりと一口吸って煙を吐き出す。
「あの子ね、最初は西郷のとこに居たんだよ」
「西郷の?」
お登勢の口から出た名前を聞いて銀時は一人の人物を脳裏に浮かべた。
マドマーゼル西郷。
このかぶき町で“かまっ娘倶楽部”を経営している男気溢れるオカマのママだ。
「待てよ、そこに居たって……」
“かまっ娘倶楽部”はその名の通りオカマバーだ。
そこにいたとなれば性別は自ずと絞られる。
「あの子、男の子だよ」
頷いたお登勢に告げられて、銀時は軽く混乱した。
「詳しい事は知りゃしないけどね」
吸い差しを灰皿に載せ、水割りで喉を湿らせながら語りだす。
「あの子、ここにあんたを訪ねてきたんだよ」
「俺を……?」
「西郷の所でなんかの拍子にあんたの名前が出たらしくてね、うちの事教えてもらって訪ねてきたらしいよ」
思いもよらぬお登勢からの告白に、銀時は驚きながらも不思議と落ち着いていた。
面影の一致は偶然などではなく、ぱち恵は新八なのだと自然と心が納得する。
ずっと想い続けて。
もしも再会できたのなら、自分は一体何を思うだろうと考えていたけれど。
実際にその時が来てみると気持ちはただ穏やかなばかりで。
満たしているのは確かに喜びなのに、どうしてか言葉にはならなかった。
だが困る事は何もない。
新八の望む全てを受け入れる準備はできているのだから。
「あの子、一体なんなんだい?」
カウンターのぱち恵を見詰める銀時の横顔。
それを見ながらお登勢が尋ねる。
ぱち恵として働いた数日で恐らく人となりは信頼しているのだろうけれど、声に滲む僅かな心配は隠せていなかった。
「あいつは……ずっと待ってた俺の倖いって、やつかな」
安心させるようにそう告げて、銀時は今日幾度か見詰めたぱち恵の瞳を思い出した。
黒目がちの大きなそれは出会ったあの時と何ら変わりなく。
澄んだ、淀みのない真っ直ぐな成長を感じて嬉しくなった。
「飯とか、いつもありがとな」
厳しい事を言いながらも何かと気にかけてくれたお登勢。
親を知らない銀時は、気恥ずかしくありながらも内心ではいつも感謝をしていた。
十年以上世話になって、礼を口にするのは初めてだったけれど。
「ちょっと……やめとくれよ、気持ち悪い」
「人が折角殊勝な気持ちになってんのに気持ち悪いとか言ってんなよな」
「煩いね、そんな殊勝な事言う暇があったら堪ったツケか家賃ちゃんと払っとくれ」
滲む不安を振り払うようにお登勢が普段の調子を努めてくれる。
気遣いに感謝した。
「飲もうぜ」
ちぐはぐだと思いながら、銀時は自分の猪口をお登勢のグラスにカツンと当てる。
「何の乾杯だい」
付き合って、お登勢もグラスを軽く掲げた。
「そりゃ俺の倖いに、だろ」
待ち望んだ倖せが、手を伸ばせば届くところに今はある。
「あんたがそんなに臆面ないとは知らなかったよ」
「俺も……知らなかった」
想うだけでこんなにも甘い気持ちになるなんて。
「ずっと、待ってたからかもしんねぇな……」
「そうかい」
まるで母のように、お登勢がそっと眼差しを細めた。
ぱち恵の……新八の姿を愛しげに見つめながら銀時は杯を傾ける。
誰かを想う事。
誰かが想ってくれる事。
知らなかったそれを、あの日新八が教えてくれた。
「見つけたんなら、倖せにおなりよ」
辛口の酒精がゆっくりと体内を巡る中、銀時は願うようなお登勢の呟きが耳の奥に沈んでいくのを感じていた。
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