全力疾走の定春に乗りなれていない新八は最初振り落とされないようにしがみ付くのが精一杯。
けれど暫く走るうちに速度にも慣れ、少しずつ景色を見る余裕ができてきた。
江戸の町は既にはるか後方だ。。
ここは散歩でよく通る川沿いの土手道。
ここまで来てようやく定春は速度を落として歩き出した。
はるかに続く土手は一面緑に覆われて、風が撫でるとまるで緑の海が波打つようだった。土手の脇に一台、見慣れた原付を目に止めて。
心の中に安心が広がるのがわかる。
それは新八にとっての幸せの目印のようなもので。
自然と笑みが零れた。
視線で土手を下へと辿っていくと揺れる緑の色の中、色鮮やかな点が咲いていた。
タンポポの黄色やツメクサの白、咲き誇る春の草花達。
その中で一層鮮やかな銀時の白と神楽の赤。
それはきっと朝から無意識に探していた色。
花を摘んでいた神楽が定春に気がついて、上に乗る新八と目が合った。
神楽の手が寝転がった銀時を揺する。
のそりと起き上がった銀時とも目が合って。
「ありがと、定春。もういいよ」
頭を撫でてやると定春が屈んでくれて、降りた新八は定春と一緒に土手を降りた。
何もないのに昼からは必ず来いといわれて、定春にここまで連れて来られた。
未だ訳はわからないけれど。
ここに二人がいるのなら、もうどうでもいい事のような気がした。
座る二人の傍に来て、合わせて新八も緑の絨毯に腰を下ろす。
「おはようございます」
昼だけど、やっぱり一番馴染む挨拶をして。
「おう、はよ」
「おはよーアル」
銀時は相変わらずな表情だが神楽はやたらと楽しそうだ。
「今日は一体何なんですか?」
とりあえず、ターゲットを銀時に絞って半日の疑問をぶつけた。
「あー、なんだ、その……慰安っつーかよ」
午後からの絶対出勤を命じた上司はガシガシと頭をかきながらぶっきらぼうに言い放つ。
「慰安?」
「うちはお金なくて旅行できないアル。だからピクニック考えたネ」
銀時のフォローなのか神楽が横から補足をする。
慰安旅行というのは良くあるけれど、新八の中でそれは万事屋には結びつかない。
「旅行」なんて贅沢ができない事も勿論承知している。
だからって、それを試行錯誤して替わりに慰安ピクニックだなんて。
可愛くてつい笑ってしまう。
言い出したのはどっちなのだろう。
見れば二人の傍らには大きな包み。
「それは?」
風呂敷に包まれた大きな四角。
「勿論お弁当ネ」
「お弁当って……まさか銀さんの手作り?」
「そうアルヨー、銀ちゃん朝から弁当作り。私も手伝ったネ」
「えー、そうなんだ。凄い……」
得意げな神楽とは裏腹に銀時は照れ臭いのかそっぽを向いている。
「でも、それなら言ってくれたら僕も手伝ったのに……」
万事屋での慰安なら、自分だって一員なんだからちゃんと手伝いたかったのに。
「それじゃ意味ねーんだよ」
「え」
「今日はお前の慰安なの」
「僕の……って、どういう……?」
「新八、今日は何の日か知ってるアルカ?」
「今日?」
神楽に言われて考える。
考えるけれど特にこれといって浮かぶものはない。
自分達の間に記念日などというものはないからだ。
そういう事をまめにやるような人間はこの万事屋に存在しない。
せいぜいお互いの誕生日を祝うくらいだが、万事屋の中に5月生まれの者はいない。
「ごめん、思い当たるものがないんだけど……何の日なの?」
あっさり降参すると神楽は不満そうに口を尖らせた。
「何でわからないアルネ、今日は新八の日ヨ」
まるで常識だとでも言わんばかりの神楽の口調。
けれど新八の誕生日は8月だし、最近祝ってもらうような何かがあったという記憶もない。
「そんなこといわれても……わかんないよ。僕の日って?誕生日はまだだよ」
「も〜、違うアル。今日は母の日ネ、だから新八の日!」
「は?」
焦れたような神楽の告白に、けれど新八は言葉がでない。
意味が全く分からなくて、答えをくれそうな銀時を見た。
「俺はよ、まぁ純粋にお前の慰安……って思ってんだけどよ。神楽がな」
「だって新八は万事屋のマミーネ、母の日なら当然新八の日アルヨ」
常日頃、新八をマミー呼ばわりして憚らない神楽は得意げで。
銀時も満更ではなさそうな表情だ。
母の日に新八の慰安。
トンチンカンな気もするけれど、彼女らしいといえば納得もできるのかもしれなかった。
けれど。
「ありがと、神楽ちゃん。でもね…………母の日、もう終わっちゃってるよ?」
今日は5月の第三日曜日。
母の日は先週既に終わっていた。
新八の言葉に神楽の大きな目が丸くなる。
新八を見た後、銀時にゆっくりと渡っていく視線。
「あれ、5月の第三日曜日とかってやつじゃなかったっけか?」
どうやら神楽はきちんと知っていたわけではなく、銀時に教えられた知識だったようだ。
しかも。
銀時の知識もあやふやらしかった。
「母の日は第二日曜日です。第三なのは6月の父の日ですよ」
新八は正しい情報を教えてやった。
「あ、そうなの?わり、神楽、先週だったってよ」
既に終わってしまった事を告げれば銀時は多少申し訳なさそうな表情で頭をかく。
「銀ちゃん酷いアル!」
「んだよ……別にいーじゃねーか。一週間遅れたからって死ぬわけじゃねーだろ?」
「……そんなだから銀ちゃんはいつまで経っても天パネ」
「天パは一切関係ねーだろが」
「うっさいアル」
折角のサプライズが台無しになってしまった事がよほど不満なのか神楽は頬を膨らませている。
自分に非があることを認めざるを得ない銀時は強くも言えず困ったような表情で新八に視線を寄こした。
普段なら適当な言い逃れはお手の物なくせに、こういうときには何故か不器用な銀時が可愛くて。
新八はつい噴出してしまった。
「何笑ってんだよ、おら」
「いえ……えっと、神楽ちゃん。過ぎちゃったのは残念だけど、でも気持ちだけでも凄く嬉しいよ。銀さんだって悪気があった訳じゃないんだし、許してあげようよ、ね」
頬を膨らませたまま膝周りの草をぶちぶちと千切っていた神楽は手を止めジトリと新八をねめつけた。
「甘いアル。新八は甘過ぎヨ、さすが銀ちゃんの大好物だけあるネ」
「か、神楽ちゃんっ、何言ってるのっ?」
「腹いせアル」
新八が慌てるとふんとそっぽを向く。
「いや、それ間違ってるから。僕への嫌がらせになってるから」
「知らないネ」
一層ぷーっと脹れた神楽は新八の身体に飛びついた。
「わっ」
新八は神楽を抱えたまま草の上に倒れこんだ。
「銀ちゃんの馬鹿〜」
新八の胸に顔を突っ伏して神楽が足をばたばたさせる。
よほど悔しいのだろう。
歳相応な幼さを感じて、可哀想だとは思いつつもつい笑みが零れてしまった。
神楽が顔を上げ、銀時に向かって思い切りあかんべをする。
「銀ちゃんがここで新八にこうやってたら絶対警察に捕まるアルネ」
そう言ってまたぱたりと顔を伏せた。
それもなんだか微笑ましくて、新八は慰めるように頭を撫でてやった。
今日は下ろして両側で縛っている柔らかな髪がさらりと手の甲を滑る。
気配を感じてふと見れば目が合った銀時のなんだか情けない表情。
新八は笑いを堪える事が出来なかった。
「ねぇ、神楽ちゃん。日付なんてさ、きっとそんなに大事なことじゃないと思うよ」
小さな背中をそっと撫でるように叩く。
「今日お祝いしたいって思ってくれたその気持ちが凄く嬉しいから、それだけで僕は十分。だから、いつまでもそんな顔してないで、ね……お祝い、してくれるんでしょ?」
やんわりと諭せばそろそろと神楽の顔が上がる。
「むー……仕方ないから新八に免じて許してやるアル……」
神楽も本気で腹を立てていたわけではない。
だから新八の助け舟に素直に乗ってくれた。
しぶしぶ、という態度を崩さないのは照れ隠しだ。
「悪かったって。海より深く反省してっからよ、勘弁してください」
「銀ちゃんは運がいいアル」
「ホントにな。新八様様だな、ほれ」
伸びた銀時の手に新八はゆっくりと身体を起こされた。
上に乗っていた神楽も一緒に器用に起き上がる。
「はい、じゃあこの話はこれでお終い」
一件落着と一息ついてふと傍らを見れば弁当とは別にもう一つ風呂敷包みが置いてあるのが眼に入った。
「これもお弁当?」
その包みは形はなく、何かガサリとしたものが大雑把に包まれているようだった。
神楽の顔がぱっと上がって。
「お花!」
嬉しそうに教えてくれた。
新八の身体から離れると嬉々として結び目を開き中を見せてくれる。
開いた紺色の布の中には二色の花。
赤紫の蓮華草とシロツメクサがどっさりと入っていた。
「前にそよちゃんと遊んでる時にたくさん咲いてる蓮華畑みつけたヨ。そこから取ってきたネ」
「白いのはこの土手中から集めさせられた……」
楽しそうな神楽とは打って変わって銀時はややぐったりしている。
「何言ってるネ、一杯咲いてるからそんなに大変じゃなかったアル。銀ちゃんは日ごろぐうたらし過ぎヨ。たまには動いたほうが健康のためネ」
神楽の言うとおりシロツメクサは結構な割合で群生していて、まだ緑の中に咲き誇っている。それでも銀時にとってはかなりの運動だったのだろう。
「あんなぁ、弁当作んのに早起きした時点で俺ァエネルギー残量エンプティーだったんだよ」
「……マダオアル」
「年寄りを労りやがれ、このやろう」
「惜しいネ銀ちゃん、労る心メーターが赤ランプついてるアル。酢昆布食べないと満タンにならないヨ」
「酢昆布は飯の後、だ」
「入ってるアルカ!?」
「おう、重箱の三段目に箱ごと突っ込んである」
「さすが銀ちゃん、無駄にマダオじゃないアルネ」
「褒めてねぇよ、ったく…………新八、笑いすぎ」
「だって……」
銀時に指摘されて一旦は顔を引き締めるけれど、すぐにまた頬は緩んでしまう。
どんな顔をして花を摘んでいたのか想像したらちょっと我慢ができなかったのだ。
「でもこんなにたくさんどうするの?」
広げた布の上で山になっている花たち。
一抱えできそうな量だ。
「決まってるネ。新八、冠作って」
「って、花冠?」
「うん!前にアネゴが新八は作るのが上手いって言ってたアル」
「姉上が?」
神楽の言葉で新八の脳裏に子供の頃よく蓮華畑で姉と遊んだ記憶が蘇る。
妙は千切っては投げ、の方が断然得意で良く追い掛け回されたものだ。
逆に新八は捩じっては編んでいく地道な作業が楽しくて、そういえばよく作らされた。
「覚えてるかなぁ……」
昔は何も考えずに作れたけれど、もう久しくそんな事をしていない。
できるだろうかと首を捻りながら、新八はシロツメクサを手に取った。
数本を束にして茎を交差させ捩じる作業を繰り返し繋げていく。
やり始めると意外に手が覚えているもので、自分の事ながら驚きつつも形を作っていく。
頭に載せられる程度の輪っかにして茎を結ぶと白と緑の花冠が完成した。
「はい。神楽ちゃん、今日はありがとね」
出来上がったものを神楽の頭に載せてやった。
神楽の赤味を帯びた柔らかい髪に白い花冠は綺麗に映える。
「わお、ありがとアル。私似合うネ?」
「うん、よく似合ってるよ」
神楽は宇宙最強の夜兎族だけれど、外見はやはり歳相応の女の子。
花がよく似合うと思う。
嬉しそうな神楽を見ると自然と笑みが零れた。
新八は今度は蓮華草を手にとって、神楽のものより大きい花冠を一つ作る。
「はい、定春も。今日はご苦労様」
銀時たちの計画に協力して頑張った定春の白い毛並みに赤紫の花冠をそっと載せた。
「ワンッ」
「定春似あうネ、私と色違いアルヨ。ちょっとそこら辺回ってくるアル」
「早く来いよ。あんま遠くに行くと先に食っちまうからな」
「わかってるアルヨー、定春、行くネ」
「ワンッ」
赤と白のコンビは連れ立って緑の中を駆けていった。
「元気だなー」
その後姿を見送って、新八はボソリと呟いた。
「なに言ってんの、16歳。お前がんな事言ってたら銀さんの立場なくなんだろが」
新八の16歳らしからぬ発言に、頭の後ろで手を組み寝転がっていた銀時が傍らから面白そうに見上げてきた。
「銀さんは今更だからいいじゃないですか」
「…………そういうこと言いますか、16歳」
年齢に拘るみたいな銀時の発言。
「なんか、あったんですか?」
蓮華草を手にとって新たな冠を編み始めながら新八は問う。
「んー、なんかなー」
よっと腹筋で起き上がった銀時は花を手に取り指先でくるりと遊ばせる。
暫く新八の手元を眺めた後、徐に編み始めた。
その手つきを見て、つくづく器用な男だと新八は感心する。
(おそらく)初めてだと思うのに、その指先は新八よりもずっと滑らかに動くのだ。
結構なスピードで編み薦めていく器用な指につい手を止めて魅入ってしまう。
「神楽が母の日だっつってはしゃいでてよ。よく考えっと俺は神楽の親でもおかしくない歳なんだってことに気付いちまったわけよ」
編みながら、ため息混じりの銀時の告白。
「それこそ今更じゃないですか」
「そうなんだけどよ……16歳はそういうこと気になんねぇ?」
あっという間に編み終わった完成品をぽんと頭に載せられた。
新八を見る銀時の目は声の軽さに反して真剣で。
編みかけの蓮華草をそっと下に置いた新八は銀時にきちんと向き合った。
銀時と新八の、一回り以上ある年の差。
気にならないといえばそれは嘘だ。
新八の心の隅にそれは常に引っかかっていて、ふとした拍子に顔を覗かせる事もある。
でも、どんなに全力で走ったとしてもこの差は決して埋められないのだ。
出会う前の銀時にはどうしたって会えないのだから。
時々見える銀時の過去。
遠い目をする寂しい背中に、まだ触れる勇気はないけれど。
いつか、銀時がくれるというのなら。
傍にいて、過去も未来も受け止めたい。
大それた望みかもしれないけれど。
「僕、人間って年を取ったらみんなちゃんとした大人になるんだってずっと思ってました」
「…………なんか含みがありませんかね」
言外に匂わせた駄目出しに銀時は微妙な顔をする。
「銀さん、僕がいないと駄目じゃないですか」
駄目な部分が、本当は全部一人で出来てしまう銀時の甘えなのだと知っている。
だから。
今出せる精一杯の勇気で強がりを言う。
この先の、銀時の生に触れていられたら。
そう強く願いながら。
「そだなー。銀さん、身も心も新八君に餌付けされちゃったしな」
にやりと笑う銀時は、きっと全てを承知していて。
「っ、すぐそういう…………人聞きの悪いこといわないで下さいっ」
カッと頬が熱くなった。
「新八」
「何ですかっ」
ほんの少しの憤りを滲ませたのに。
「右見て」
意味のわからない言葉に力が抜ける。
いわれるまま、素直に右を見てしまった。
「左見て」
同じように。
「んじゃ、もう一回右」
首振り人形のように、いわれるままに左右を見回したけれど。
「何ですか、これ」
「安全確認に決まってんだろ。誰かいたか?」
「べつに誰もいませんけど」
時間帯が中途半端な所為だろうか。
見渡す視界に人影はなかった。
夕方ならたくさん見かける犬の散歩も今は皆無だ。
「じゃあいいですねー」
「は?」
引き寄せられて口付けられた。
「んっ!?」
突然の事に新八は目を閉じる事も出来ない。
見開いた瞼の先で銀時の瞳が笑う形に細められた。
ぐいっと大きな手に顎を上げられると載せてくれた花輪が髪からずれて、ぱさりと草に落下する音が耳から入る。
でもそれはとても遠くて。
塞がれたままの口内に容易く入り込む銀時の舌が全てになる。
悔しいのに、撫でる舌の温度に全身の力は抜けていく。
ここは外なのに。
ゆっくりと瞼を閉じれば新八の中にはもう銀時しかなくて。
いつ誰が通りがかってもおかしくない場所なのに、全部がどうでも良くなってしまう。
思い切ってそっと触れれば銀時の舌が掬ってくれる。
角度が変わって唇が離れるとほんの僅かの隙間が出来て。
「ふ……ぁ……」
そこから息を吸おうと思うのに、絡め取られた舌に気がいって息は苦しくなるばかりだった。
涙が滲んで、布を捕んだ指に力が入る。
慰める指が髪を滑って。
舌を吸われたら指先が震えた。
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