放課後。
つってももうとっぷり日も暮れた夜。
俺の机の上にはノートが山積みになっている。
一番上には日誌。
これを日直が持って来た時はまだ夕日の赤が空を染めていた。
昼休み以来、やたらと身体ん中が甘ったるくて余韻が消えない。
やるべき事にやる気が出なくて俺は二本目の煙草に火をつけた。
職員室には他に誰もいない。
夜の窓ガラスはまるで鏡みたいで。
遠目に映る自分の姿を客観的に眺める。
銜え煙草で頬杖突いて、ま、そこそこいい男だと思ってるけどやっぱおっさん……だよな。
新八は、こんな俺でいいんだってさ。
一体これはどういう幸せなんだろうねぇ。
柄にも無く噛み締めたくなんだけど。
「坂田セ・ン・セ」
背後から聞こえた声に俺は隠さずに舌打ちをした。
猿飛あやめ。
一気にぶち壊し。
「やっと二人きりになれたわね」
お前俺に敬語とか使う気ねぇだろ。
傍でくねんないでほしいんだけど。
「うっせ。用事はなんもねぇから帰れ」
新八との甘い余韻が台無しじゃねぇか。
「そんな冷たい態度とったって無駄よ。どっちかっていうと燃えるわ、いいえ……寧ろ、萌えるわ」
燃え尽きちまえ、このやろう。
相手をするのもバカらしくて俺は積み上げられた一番上の日誌をようやく手に取った。
取りあえずこれだけ片付けりゃノートは今日じゃなくてもいいからな。
猿飛が隣のデスクのイスに勝手に腰を下ろすけど無視して日誌を開く。
「うちのクラスの志村新八君」
無視を決めこむ気でいたのに。
猿飛の口から出た新八の名前に、俺はつい手を止めちまった。
「今日の五時限目、煙草の匂いがしてたの」
卓上に頬杖を付いた女の指が煙草のパッケージを軽くはじいた。
黒地に金のJPS。
「珍しい煙草吸ってるのね」
「何が言いてぇの?」
「やだ、怖い顔。ドキドキするじゃない」
指先が、俺の口から煙草をするりと抜いて自分の唇に運ぶ。
火種が赤く灯って紫煙がすーっと立ち昇った。
「今時の十六歳ってこういう煙草、吸うのかしら。でもあの子は吸うようなタイプには見えなかったけど」
俺は舌打ちをして猿飛の指から煙草を毟り取る。
灰皿にねじ込んで。
「まどろっこしい事してんじゃねーよ。はっきり言やいいだろが」
新八は、俺の胸に鼻先を埋めて「煙草の匂いがする」って言った。
あの身体を何度も抱き締めた。
だからそれは間違いなく俺の移り香だ。
「その煙草の匂いは……」
「僕、吸いましたっ」
全部ぶちまけようとした瞬間、ここにあるはずの無い声が耳に飛び込んで。
「煙草、僕が吸いましたっ」
開け放したままの入り口に、立っていたのは新八だった。
「新八……」
なんでここに。
そう問いかけようとして、新八が私服なのに気付いた。
手には教科書。
多分忘れ物を、取りに来たんだろう。
「僕が自分で煙草を吸いました。停学でも何でも処分は受けます。だからっ……坂田先生は、関係ないですっ」
緊張の所為か震える指先が教科書を落す。
右手が、教科書を落とした左手の震えを押さえ込むように手首を掴んだ。
新八は、小刻みに震える指先と逸らさない強い視線で俺を、俺なんかを守ろうとしてる。
一瞬で、全身に鳥肌が立った気がした。
ああ、すげぇ。
こんな時に、こんな事思うのって、めちゃめちゃ不謹慎なのかもしんねぇけど。
でも今の俺ん中にはそれしかなくて。
俺、何で新八に会えたんだ?
まるっと丸ごと。
この「志村新八」が俺のモノなの?
それっていいのか?
いいの?
マジで?
夢じゃなくて?
……今日、こんなんばっかだけど。
この一日が全部夢オチだったら多分俺、目が覚めたら泣く。
いい年扱いて、おっさんで、キモく乙女で。
それに加えて更に「泣く」なんて最低最悪かもしんねーけど。
これは泣く、マジ泣くから。
立ち上がって新八に近付く。
髪をくしゃっとかき混ぜて、俺は新八の身体を思い切り抱き締めた。
「すげー好き」
腕の中で。
体温と匂いと新八の形を感じ取って、確信する。
これは絶対夢じゃねぇ。
新八はここに居る。
「せ、先生っ」
「新八が、そんなに頑張る事ねーよ」
多分息も止まるくらい。
ぎゅうぎゅうに抱き締める。
心も身体も何もかも。
新八の全部を俺の中に取り込んじまいたかった。
「別に俺、ガッコ辞めてもいいし」
教師と生徒だからこその禁忌なら、そうじゃなくしちまえばいい。
そんな単純な話じゃねぇ事なんかわかってるし、そんな事しても新八が十六なんだって事実が無くなる訳でもねぇ。
それでも、新八にそんな選択させるくらいなら俺が選んだ方がずっとましだと思える。
これで結構器用だったりするから、どんな仕事だってそれなりにこなせる自信はある。
ま、教師ってのもそれなりに楽しかったけどな。
「そんなの駄目です。絶対駄目ですっ」
情けない俺の告白に、白衣を握り締めた新八が窮屈な腕の中から見上げてくる。
「辞めたりしないで下さい」
真剣な表情で。
「僕、二年でも三年でもいいから絶対に先生のクラスになるって決めてるんです。例えそれが叶わなくても、いつか絶対先生の授業受けるって決めてるんです。だから……っ」
「すげーくだらねえ授業だぞ?」
「それだって、先生となら思い出です」
こういうの、殺し文句って言うんだっけ?
たまんなくてくらくらする。
「もっと、若者らしい夢とか無ぇの?」
「……ほっといてください」
拗ねる新八の顎を捉えて唇を交互に甘噛みする。
上唇と下唇。
順番に。
何度も何度も、食べるみたいに柔らかく噛む。
グミみてぇ。
「ん……」
緩んだ隙間から舌を差し込んで、入り口から全部、丁寧になぞる。
もうあれだ。
舌入れちゃ駄目とか、そんなん言ってる場合じゃねぇよ。
綺麗に並んだ前歯をゆっくりと舐めながら指先で耳を辿ると白衣がぎゅっと引っ張られた。
舌を、舐める。
「ぁ……っ」
絡めてしまうほどには激しくなく、俺は緩やかに新八の舌の形を辿る。
新八の中は柔らかくて温かい。
触れるそれはただひたすらに甘いばかりで。
舌先を軽く吸って一度離れる。
覗きこんだ瞳に約束違反を咎める色は見えなかった。
それでも、二度目はほんの少し新八に選択の余地を残してやる。
いつでも嫌だと言える速度で、伸ばした舌を唇に這わせた。
右端からゆっくりと滑らせる。
そうしたら、新八の唇が開いて。
俺の舌を招き入れてからそっと吸い返してくれた。
うっすらと赤い目元が俺を見る。
止まるわけが、なかった。
腰を抱き寄せて、もう一度唇を合わせる。
角度を変えて繰り返せば、合わせる度に触れて離れる粘膜がそっと濡れた音を立てる。
それと同時に新八の身体が少しずつ熱くなる気がした。
舌の、裏側を擽ってやると肩が揺れる。
刺激に唾液が溢れた。
そのまま数度擽って撫でてやる。
絡めたままで触れていると俺の唾液が伝い落ちていくのがわかる。
触れたままの唇からも移っていくそれは上向かせた新八の喉の奥に少しずつ溜まっていく。
余裕のない新八の、だんだんと荒くなっていく呼吸。
きっともう鼻でするだけじゃ苦しいんだろう。
しがみ付く手の力も強くなってきてる。
親指の腹で耳から顎の骨を辿って喉に滑らせる。
滑らかな喉仏を擽るみたいになぞってやればその刺激に驚いて。
新八の喉がコクリと動いた。
「ん……は……ぁ」
唇を離すと新八が息を吸い込む。
大きく上下する肩を慰めるように撫でながら、唇の端を濡らす唾液を舐め取った。
「飲んじゃったな」
そう言って目尻に溜まった水滴を拭ってやれば、瞬間頬が赤くなった。
それでもどこか麻痺しているのか、言葉は綴られなかった。
まだ少し呼吸の早い新八を座らせようと、その肩を抱いて俺は振り返る。
一歩を踏み出そうとして。
「うぉっ」
でかい塊に危うく躓きそうになって多々良を踏んだ。
そこには猿飛あやめが何故か座り込んでいた。
「てめっ、びっくりすんじゃねーかっ」
やべ、居るの忘れてた。
ちょっとだけ早くなっちまった鼓動を誤魔化すべく、俺は少し声を荒げる。
まずは新八を俺の椅子に座らせた。
「何してんだよ、お前は」
酷いとは思ったけど、自分の事は棚上げする。
猿飛はいつものわかんねぇスイッチが入ってるらしく、頬が赤くて目が少し虚ろだった。
「二人して、無視するなんて」
ボソリと呟く。
「放置プレイ、嫌いじゃないわ。しかも目の前で、あんな……。いいのよ、見せ付けてるつもりかもしれないけど、あんなの私なんともないんだから。寧ろ、その切なさが私を感じさせるの」
あー、もしかして。
俺が思ってる危機的状況とは違ったりすんじゃねーの?
なんかこいつちょっとずれてるかも。
「お前さぁ、どうしたいわけ?」
しなだれてる猿飛の脇にしゃがみ込む。
「そんな……どうしたいかなんて、私の口から言わせる気?」
……多分それ、俺の聞きたい事じゃねーと思う。
「ちげーよ、バカ。俺と新八の事学校にチクる気でいんのかって聞いてんだよ」
煙草の移り香で俺と新八の関係を仄めかしてきたからてっきりそれをネタに、ってやつかと思ったんだけどどうもこいつはそういうタイプじゃないらしい。
「学校に?そんな事する訳ないじゃない」
何故鼻で笑う、そして何故そんなに自信ありげ?
「密告とか、そんな小細工する必要ないわ」
眼鏡を直して立ち上がった猿飛が俺を見下ろす。
新八を指差して。
「志村君、あなたを私のライバルとして認めてあげるわ。でもいい事、坂田先生は渡さない。これからは正々堂々と勝負よ!」
勝負って、お前同じ土俵にも上がれてねぇ事わかってんの?
「お前バカだろ」
「あんっ」
だーかーら、赤くなんなっつの。
俺も立ち上がって猿飛を見下ろす。
「黙っててくれんのには感謝すっけど。俺達の間に入り込む余地は一ミクロンもねーから」
「いやだ、そんなに熱く見詰めないで」
…………もしかして、沈黙は金?
「さっちゃん先生」
痛む頭をおさえてたら傍で新八が立ち上がった。
「僕、男だし……先生の事好きっていう気持ちしか自信はないけど。でも……」
俺と猿飛の間に入って、少しだけ上にある女の顔を新八は見上げる。
「坂田先生のこと、渡したくないです」
後ろ手に伸ばした新八の手が俺の白衣をぎゅっと掴んだ。
「あら、あなたがそう思っていてもそれを決めるのはあなたじゃないでしょ?」
お前が決める事でもねぇんだよ。
「なら選択権は俺にある、って理屈になるよな?」
俺は、俺の前に立つ小柄な身体に腕を回した。
ホントは、選択権もクソもない。
新八が俺を選んでくれた、それだけが俺にとっての大事な事実。
選んでもらえたのは俺の方だ。
「悪ぃけど、俺にとっての選択肢は一つしかねーから」
抱きこんだまま傍にある椅子に腰を下ろす。
勿論新八は膝の上に座らせる。
「入り込む余地はねぇ、つったろ?」
新八の肩口に顎を乗せる。
「諦めてくんない?猿飛センセ」
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