「どうして先生がうちに居るんですか?」
枕に沈んだ新八が尤もな質問をする。
あれから。
新八を布団に入れて俺は下に座りなおして。
今俺達は同じ高さで向かい合ってる。
ベッドにのっけた腕に顎を乗せて。
「ダメダメな坂田先生が、新八君に会いたくて堪らなかったからです」
俺は当たらずとも遠からずな回答を返した。
答えをどう感じたのか。
新八は布団を引き上げて口元を隠す。
「本当ですか?」
見えるのは、ちょっとだけ疑わしいみたいな色を隠さない目だけ。
「ホントだよ」
嘘の塊みたいな俺だけど。
新八に関することに嘘を持ち込みたくはない。
「ありがとう、ございます」
「ん」
涙の名残で少し赤い、目元のままで新八が俺をじっと見る。
視線の距離はほんの数十センチ。
顎の下で押さえ込んでるこの手を伸ばせばいとも簡単に触れられる。
「風邪引いてんならさ、ちゃんと教えてくんねーと。何のための携帯よ」
布団の淵を掴む指先をそっと外して。
「だろ?」
布をずらせば口元が困ってた。
「だって……心配、するし……」
やっぱね。
それが出来ないからこその新八なんだってわかってっけどさ。
教えてもらえねーってのは恋人として(このフレーズもっそい恥ずかしいんですけど)かなり寂しかったりするわけよ。
「わかっけどさ。俺が風邪引いて休んでて、新八はそれ知らなかったらやじゃね?」
自分がされて嫌な事は人にはしない。
その道理がわからない新八じゃねーだろうけども、やっぱこういう事は苦手なんだろな。
もしそれを俺に言ったとして、じゃあ何をしてやれるっていったら何もしてやれないわけで。
きっとそういう遠慮みたいなもんもあるんだろうと思う。
やっぱね、謝んなきゃいけねーのは断然俺の方だよな。
矛盾してんなー、俺。
ただの我侭だよ、これってさ。
「先生」
「んー?」
視線が合うと、布団をずらしたまま放り出してた俺の手を新八が掴む。
すっと引かれた指先に、次の瞬間触れたのは唇だった。
「びっくりしたけど。来てくれて嬉しいです」
はにかみ気味の言葉とともに。
ああ。
花が綻ぶように笑うって、こういうのなんだなって。
不覚にも目頭が熱を持って、俺は咄嗟に奥歯を噛み締めた。
「もう、熱とかねーの?」
絡んだままの指先をキュッと握り締めれば同じ力が返される。
「はい。あと土日の二日寝てれば大丈夫です」
「そか、よかったな」
「はい」
繋がった指は離しがたくてこのままここを動きたくない。
でも。
最初から暗かったから目は慣れてるけど、いい加減この距離でも顔の判別がつきにくくなるほどに室内は暗くなってきた。
「電気つけてもいいか?」
「どうぞ」
座ったまま腕が伸びればいいのにとか思いつつ、俺は泣く泣くその場を離れた。
カチカチと点滅して蛍光灯の明かりが灯る。
暗闇に慣れた目には少し眩しかった。
改めて見た新八の部屋はイメージ通りっつーかなんつーか、青系で統一された清潔感のある部屋だった。
「一応コンビ二で適当に買ってきたんだけどさ、何か食う?」
新八の脇に戻りつつ、買ってきた物を袋から取り出す。
お茶とかスポーツドリンクとかヨーグルト、ゼリー系とかね。
「先生は?」
「俺は10秒チャージ」
「そんなんじゃ栄養偏りますよ」
「や、取り合えずだから。帰ったらちゃんと食うって」
「またカップ麺なんじゃないですか?」
「そら新八の手料理以外は何食ったって一緒だし」
流石に家に来て作ってもらうって時間はなかなか取れねーけど、たまに作ったおかずをタッパーに詰めて持ってきてくれる。
チンして食べてね、っていう愛情料理は心にも身体にも行き届く栄養満点食なわけ。
それ食っちまったらもう他に何食ったって味気ねーもんよ。
「早く元気になれよ」
グレープフルーツの果肉入りゼリーをぺリリと開けてスプーンに掬う。
横になったままの新八の口元に届けてやれば少しだけ躊躇した後そっと口が開いた。
ほんのりと朱を刷いた頬は熱の所為か俺の台詞の所為か。
色を湛えたままもごもごごくんと食う新八はヤバイ位に可愛かった。
腹に物入れさせて、ちゃんと薬も飲ませて落ち着いて。
もうなんもする事ねーんだけどまだもう少しだけ顔見てたくて。
見舞いなんだからさっさと帰んなきゃいけねーこともわかってるのに帰り難い。
俺はベッドに寄っかかって新八の手を弄ってた。
普段学校じゃ気軽に触れねーからこういう時に欲が出る。
「先生が、今日来てくれたのって……」
「ん?」
手を弄ってた俺の人差し指を新八がぎゅっと握った。
「もしかして、姉に……頼まれたんですか?」
込められた力はまるで縋るみたいで。
もう片方の手を上から被せて俺はそこに顎を乗せた。
「違げーよ。寧ろ逆っつーかね、無理やり来た、みたいな感じよ?」
俺を見る黒い瞳は何故か不安気に揺れていて。
「志村が今日早退させてくれっつーから理由を述べよって話になって、したらお前が風邪引いてるって知ってさ」
「姉さん早退したんですか?……気付かなかった」
「見舞いに行きてーっつったら最初は却下されたかんな。食い下がったら休めねーバイトがあるからって感じで渋々許可してもらったってわけなのよ」
俺の説明を聞いてもまだ新八の表情は浮かなくて。
何か少し妙な感じがする。
志村の態度と新八の気にし具合。
もしかして関係あんだろーか。
「あんさ新八、さっき俺見た時泣いただろ?……理由、聞いてもいいか?」
俺との事が色々辛くて、積もり積もって溜まったものが弱った心に拍車をかけた。
単純にそう思ってたけど。
それも少なからずあるとしても、俺を見た瞬間に泣き出した理由はまた別にあるのかもしれなかった。
じっと見つめると新八は戸惑いを隠さない。
けど、やがて観念したようにボソリと喋り出した。
「風邪引いて熱が出て、僕朦朧としてたんです」
「うん」
「自分が起きてるのか、それとも夢を見てるのかよく分からなくて……」
40度近く出たって言ってたもんな。
「なんとなく気配がした時に僕……多分先生を……呼んで、しまって」
指を握る手に力が篭る。
「目を開けたら姉が居て……でも呼んだ自分の声が夢なのか現実なのかわからなくて……怖くて聞けなくて……」
そこまで喋って新八は目を閉じた。
これで漸く合点がいった。
新八はわからないって言ってるけど、多分声に出てたんだろう。
そして志村は聞いたんだ、新八が呼ぶ俺の名を。
だから勘付いちまった。
こういう関係を想定してんのかはわかんねーけど、少なくとも俺に不信感は持っただろう。
「看病してくれてるのは姉さんなのに僕が呼んだのは先生で……最低なのに、起きたら居た先生を見て嬉しいって……僕……」
閉じた瞼の間からつっと涙が伝い落ちた。
ぽとりぽとりと静かに落ちて、それは薄い水色を濃く変える。
ばれたかもしれないとか。
そんなくだらない理由じゃなくて、志村に対して誠実であるが故に悲しくて。
だから新八は泣く。
わかってた事だけど、改めて見せ付けられたこいつの綺麗さに俺は我慢が出来なくて。
「布団、入ってもいいか?」
この状況でいきなり何言ってんのって、我ながら引く。
新八も良く理解できなくてきょとんとしてるし(ショック療法で涙が止まったのはラッキーかも)。
けどそんな事気にしてる場合じゃねぇんだよ。
布団を捲って潜り込んで、俺は否も応も言えない新八をぎゅっと抱き締めた。
だってよ、今抱き締めねーでいつ抱きしめんだよ。
だろ?
新八もなんとなく俺の意図を汲んでくれたみたいで、遠慮がちに腕が回された。
俺の手のひらに誂えた様にぴったり嵌る新八の後頭部。
綺麗な丸みをゆっくり撫でると気持ち良さそうに肩口に擦り寄る。
狭いシングルベッドだけど、新八が腕の中にいたらそれだけで十分だって思えるこの充足感は何ものにも代え難い。
なんかもう……ぜってー譲れねぇ。
「姉ちゃんに黙っとくのも限界かもな」
声は無く、ただコクリと頷く気配。
「けど。新八が黙っときたいなら先生努力するよ?」
そう言ったら新八の頭がもそりと上がった。
抱き合って向かい合う、新八の視線は俺を見て。
「僕、先生が好きです。この気持ちを知られる事を恥ずかしいとは思わないし、姉にだって……別に知られてもいいんです」
風邪の所為で少し掠れたその声は、弱っているはずなのにどこか力強くて。
「でも、何かあったら僕の年齢の所為できっと先生に迷惑がかかっちゃうから、出来るならまだ……」
俺達の事を知った志村がそれを盾にして俺を脅すかもしれねーとか、そういう事は思ってねーけど(た、多分な)少なくともあと二年は。
「そうだなー。辛いけど、頑張るわ」
今回のフォローの為にもう少し新八を解放してやる事も必要かもしれねーなと思うとホント色々複雑だけど。
きっと姉ちゃん孝行もしたいだろうしな。
「ごめんなさい」
「新八君」
「あ……」
親指で、謝る唇をキュッと押さえれば新八はすぐに過ちに気付く。
「いいけどな。俺も新八に謝んなきゃいけねー事一杯あるし」
「そうですか?」
素で思い当たる節は無いって感じの新八が怖いんですけど。
そんな風だと俺、つけ上がるばっかだよ?
ホント、めちゃめちゃ愛しくて堪んねぇ。
「いろいろあっけど……まぁ最大のやつは布団にいきなり潜り込むような変態でごめんなさいって事?」
疑問形にして口端をにやっと上げれば普段は逸らさない真っ直ぐな視線が困ったように左右に泳ぐ。
「別に、それは……嫌じゃない、し……」
「志村君は先生に甘過ぎ」
「だって、本当に嫌じゃないですもん」
「あ〜も〜あ〜も〜〜〜〜〜新八っ」
「は、はいっ」
「人間の我慢の限界は何処だと思いますかっ」
「わっ」
俺は新八を、ぎゅうぎゅうに抱き締めた。
これは俺が勝手にしてる我慢であって、新八は何も拒まない。
だから限界だなんだって悶絶してる俺の行為は新八にしてみれば逆切れか八つ当たりかってとこだ。
けど……だけど、よ?
例えばずっと食うもんがなくて、久しぶりに食事にありつけたとすんじゃん。
その後どんだけそれを欲しがる自分がいるのか、想像したらめっちゃ怖くね?
勝手に飢えてんのは自分だってのもわかってんだけど、きっとわかる奴はわかってくれんじゃねーかとも思う(賛同者求む、なんつってな)。
「新八ぃ」
我ながら情けねぇ声。
「腰から肉ぶら下げて狼の檻に飛び込むのやめて。狼さん、腹ペコだから……」
「た、食べればいいと、思います……けど?」
ニャロ、この特攻ウサギめ。
抱き締めてた身体を反転させて新八を下に敷きこむ。
そりゃ勝手に断食してんのは狼さんですけどもね。
自分でソースを塗りたくって誘惑すんのはやめてくんない?
唇で、顎先から耳まで辿って首筋に降りて。
柔らかい脈を探るように無防備な肌にそっと歯を立て舌で撫でた。
「新八味」
無自覚大胆な誘惑をするくせに、こういう行為には顔を真っ赤にする新八。
どんだけ俺のツボを押さえりゃ気が済むのよ。
「ぼっ僕、お風呂入ってきますっ」
「いやいやいやいや何処いっちゃうの、新八君」
「だって」
「風呂なんかいいんだって……って入ってないのがいいとかそういうマニアックな意味じゃなくてよ?」
ホント、新八といるといい意味でペースを崩される。
「姉ちゃんに“くれぐれも”って五寸釘刺されちゃったのよ」
とか言いつつも、きっとこの時点で既にアウトだろーけどな。
「ばれたら絶対殺されっから。先生、新八残して死にたくねーよ」
強ち冗談とは言えないこの台詞が実に怖い。
「姉ちゃんに殺されたってお前の事諦めるつもりは毛頭ねーけど、でもやっぱ今日はな」
今日って日もそうだけど、やっぱこの家で……ってのは志村に対してフェアじゃねぇっつーかさ。
「優しいですよね、先生」
「新八がそう感じてくれてんなら嬉しいけど。お前にしかこんな事しねーもん」
「そうなん、ですか?」
「ですよ。新八君はもっと愛されてる自覚を持つよーに」
「う……はい」
「よし……っと、腕疲れたわ」
新八を敷き込んで両脇に付いてた肘が限界。
ドサリと脇に倒れこんだ。
向き合った、下に向かって素直に流れる新八の髪に指を通す。
「初めては、先生ン家でしような」
どんだけ如何わしい教師だよってツッコミが聞こえてきそうですが。
目の前で、ピンクのほっぺで頷いてくれるこいつがいたらね。
そりゃ世界中が敵でも構わねぇってなりますよ。
怖いもんもなくなりますよ。
きっと俺にとって世界で唯一つ。
怖いのはこいつだけだ。
「せんせ」
「ん?」
撫でる俺の手に、眠そうに溶けた目で新八が差し出す小指。
同じ指を絡めてやれば安心したように唇が綻んだ。
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