新八が風邪を引いたらしいと風の噂で聞いた(いや、洒落とかじゃねーから、これ)。
季節柄、インフルなんとかってのが流行ってんだと。
俺のクラスでも何人か休んでるし、校内でもやたらゴホゴホ聞こえてくる。
俺?俺は別になんともない。
流行とかに左右されるような軽いタイプじゃねぇからな。
あ、今何とかは風邪引かない、とか思っただろ。
それ正解。
俺、新八馬鹿だから。
まあそういうわけで気になってはいんだけど、志村姉にも新八の担任の近藤先生にも聞くに聞けない微妙な立場で。
ここ数日悶々としてる俺なんだけども。
折しも今日は金曜。
へたすっともやっとした週末を迎える羽目になるわけだ。
聞けはしねーけど気にはなる、そういうのってやっぱ態度に出ちまうわけで。
授業中も気がつくと志村姉(以下志村、な)に視線がいっちまう。
思考が新八に飛んじまうとさ、無意識に、ああこいつは新八と一緒に住んでんだよなぁってなんじゃん?
そうすっと、ああ、新八どうしてっか教えてくんねぇかなー、とか。
気ぃ付けねーとそのうちセクハラで訴えられるかもな。
「坂田先生」
ほらな、気にし過ぎて幻聴が。
「坂田先生」
いや、俺別に志村の事はなんとも思ってねーし。
誤解だし。
「おい、こら坂田……」
「んあ?」
振り向いたら額に青筋立ててにっこりしてる志村がいて……幻聴じゃなかったみたい。
けど、今呼び捨てませんでした?俺の事。
こんなんだけど俺、腐っても担任だよ?
「先生、何度も呼ばせないで下さい」
「あー、悪ぃ。ちっと考え事」
「そういうことは他所でやっていただけませんか?」
「休み時間なんだから勘弁しろよ」
ゆっくり新八の事考えてーのによ。
こいつは家に帰ったら新八がいて、顔見たりできんだよなぁ。
それってめっちゃ羨ましい。
くそ。
「んで? 何か用なの?」
一番前の生徒の机に尻を乗っけて。
「用がなければわざわざ(あんたなんか)呼んだりしません」
あれ、今副音声になんなかった?
聞こえちゃいけねー本音の部分が聞こえたような、なかったような。
俺が悪かったのは認めますけど。
にっこり怒らないでください……もっそい怖いです。
「すんません。用件をどうぞ」
蛇に睨まれた蛙は大人しく呑まれるしかないわけで。
悲しいけど下手に出ながら俺はちょいと高くなった志村の笑顔を見上げた。
黙ってればしっとりとした和風美人、って感じの志村はやっぱ姉弟だよなと思わせる。
新八に、顔立ちは良く似てる。
姉弟って関係上、新八が志村に似てるって言う方が正しいんだろうけど俺にとってはあくまでも新八ありき、だかんね。
それに似てるとはいっても単に顔形。
俺の好みは断然新八。
同じ入れもんでも中身が違うとこうまで違うかねってもんでさ。
新八のが纏う雰囲気が柔らかい。
もし性別が逆だったとしても、新八がこいつになるとは思えねぇんだよな。
この姉にしてあの弟ありって上での人格形成なら俺はこいつに感謝すっけど。
思考を新八に飛ばしてたら耳元でポキポキ何かが鳴った。
ふっと視線をずらしたら、それは志村の指の骨。
ちょ、姉ちゃん勘弁して下さい。
「さ・か・た・先生、時間旅行はお済ですか?」
何かオーラ的なもんがメラッと見えてるよ。
「わりわり、糖が脳にいっちまうのか最近どうもぼんやりしがちでよ」
「先生の血糖値なんて興味ありません」
さいでっか。
新八君はすげぇ心配してくれますけどね。
「まぁいーわ。んで?」
「これ」
いいながら志村が差し出したのは一冊のノート。
「……これ?」
わからないながらも俺は差し出されたそれを反射的に受け取る。
黒い厚紙の表紙で綴られたクラス日誌。
日直が毎日記入する、何の変哲もない代物だ。
名前を書いた人物が死ぬとかそんな要素はこれっぽちもない。
勿論死神だって見えません。
ああ、でも名前を書いたら会いたい誰かに会えるとか、そういうのがあったら良いかもしんねーとちょっと本気で思っちまった。
ラブノート?
どっかのラブホに置いてそうだ。
……っと、やべ。
いい加減にしねーとそろそろ命が危ねぇ。
「私、今日の日直なんですけどちょっと用事があって。これで早退させていただけませんか?」
「早退?」
今はまだ二限目が終わったとこで授業は半分も消化できてない。
「日直の仕事があるので朝は来ましたけど、本当は今日休みたかったんです」
何をするってわけでもないけど日直はこまごまとした雑用があったりする。
だからわざわざ登校するなんて、結構責任感あんのね。
「早退理由は?」
あの噂があって、そのさなかに志村が早退したいっていう。
俺の中にはもしかしたらって気持ちがあった。
ずっと悶々としてた噂の真相を知ることができるかもしれねぇって。
「弟が寝込んでるので」
ビンゴだ。
「風邪?」
「多分」
「多分て……」
「病院に行ってないので……」
「あー……そか」
こいつん家の事情を鑑みて、深くは追求しなかった。
「酷いのか?」
たった二人きりの姉弟だ。
傍に、居てやりたいんだろうな。
「まだ熱が少し」
志村の回答は端的だ。
なんとなく見えない棘が突き出てる気がする。
熱に魘された新八が一人で布団の中蹲ってんのかと思うとたまんねぇ気持ちになるよな。
何で俺、ここにいんだろな。
「下がんねーの?」
「夕べは38.9度でしたけど」
……さんじゅうはちどくぶって、人間の体温?
「それってやべんじゃねぇの?」
俺はそんな高熱出した経験ねぇから実感としてはわかんねーけど、9度近かったら意識朦朧なんじゃね?
「今朝は7度近くまで下がりましたから。それより」
志村は一旦言葉を切って小さくため息をついた。
「あの」
少し苛ついてる雰囲気が空気でわかる。
「私、早退したいんですけど。許可していただけるんでしょうか」
「あー、まあ理由が理由だしな。いいぞ」
「ありがとうございます。じゃあ失礼します」
許可した途端さっさと踵を返す志村。
なんだ?
なんか怒らすような事、俺したの?
「志村、ちょい待ち」
呼びかけに、一歩踏み出そうとしてた志村が足を止める。
舌打ちが聞こえてきそうな止まり方だった。
「まだ何か用ですか?」
声に温度があるのなら、これは間違いなく零度以下だ。
こいつ、確実になんか怒ってる。
少なくとも俺に何か含むところがあるような気がする。
「なんかさ、俺にできることあったら協力するぞ」
「……どうしてですか?」
向けられる視線は冷ややかだ。
「どうしてって」
その疑問は尤もだ。
そんな事される理由は志村にとっては無いに等しい。
でも俺の中では大有りだ。
めちゃくちゃなこじ付けだって構わねーから何とかして新八の見舞いに行きたい。
「まあ、お前の担任だし。弟君とは何かと縁があっただろ?初詣だって一緒に行った誼(よしみ)じゃねーのよ。友達の見舞いに行きたいとかじゃ駄目なの?」
授業中に怪我した新八を家まで送っていったり、それを理由に初詣に誘ってもらったり、考えてみたら結構地味に外堀が固まってきてたりする。
どれもこれも意図したものじゃない辺り、これって愛の成せる業?
俺の言葉に志村の視線が一瞬きつくなった気がした。
もしかして……俺と新八の事、なんか勘付いてんのか?
いや、でも、そんな気付かれるような事はなんもしてねーつもりだけど。
「だったら……」
諦めにも似たため息。
「休めないバイトで今夜家を空けないといけないので。先生の都合が良ければ弟に付いてていただけますか」
決して本意ではない事を、志村の口調は隠そうとしない。
「行っていーの?」
「弟を一人にはしたくないので」
声は険を含み、目は俺を見ない。
「よろしくお願いします」
軽く頭を下げて一方的に言い残すと今度こそ踵を返す。
自分の席で帰り支度を整えるとさっさと教室を出ていっちまった。
志村の不機嫌は、多分俺が新八を気にした事に起因してる気がする。
大っぴらに出来るような事じゃ決してない。
けど身内である志村にいつまで隠しておけるもんでもない。
いつかは覚悟を決めなきゃなんねーと思ってはいるけど。
もしかしなくてもばれてるとか?
マジで?
そんなへましてねぇつもりなんだけど……あー、どうすっかなー。
つっても、志村に目の敵にされたって引かねぇけど。
とりあえず新八になんていうかなーとか、そういうことが頭を過ぎる。
姉ちゃんの事、泣かせたくねぇだろうしなぁ。
志村には引く気皆無だけども、新八に泣かれたらどうすりゃいいのかわかんねーかも。
あ、予鈴。
まぁなんだ、ここで考えてても始まんねーし。
まずは新八の見舞いが先決だよな。
それ考えたらめちゃくちゃ時間が長げーけど、いっちょ頑張んべ。
教室にちらほらと予鈴を聞いた生徒達が戻り始めてる。
立ち上がって手始めに。
この日誌を誰に押し付けようかと教壇からゆっくりと教室を見回した。


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