流しっぱなしのテレビ画面がどこかの寺の鐘を映す。
坊主が綱を持ち数回の反動を付けて大きく鐘を突く。
それに連動するように俺の部屋にもどこからか重い鐘の音が聞こえてきた。
場所は違えど、今全国の鐘という鐘が一斉に鳴り響きだしてるんだろう。
古い年が去り新しい年が来る。
それは今日が終わって明日が来る変わらない毎日の続きに過ぎないのに。
日付がリセットされるというだけでこうも感覚が違うもんなんだな、と。
今日、この日だけはさすがの俺も神妙な気持ちになる……10分くらいは。
テレビ画面は初詣に出かけた親子連れや恋人同士、友人同士、いろんな人達を映す。
その映像を俺は炬燵の天板に顎を乗せて眺めてる。
勿論一人寂しく、だ。
夜の闇に吐かれた息は白く広がり寒さを強調するだけなのに、雪化粧の地方が映ってもそれは何故だか温かく見えて、少しだけ羨ましい気がした。
そんな気持ちになっちまうのは多分……会いたい相手がいるからだろう。
会いたいけど会えない大晦日。
たった二人きりの姉弟の、水入らずの団欒を壊す気にはなれなかった。
だから。
約束も、しなかった。
ほぼ等間隔で鳴らされる鐘の音を俺の頭は無意識にカウントする。
響く鐘の音が新年を連れてくる。
年が変わったからって煩悩は消えねぇけどな。
大体鐘で煩悩が払えたら誰も苦労はしねぇだろが。
年が明けたところでおめでとうを言い合える相手はここにはいない。
天板の上には転がり散らばってる蜜柑が数個と食べ終えた三個分の皮。
食べかけのカップの蕎麦は既に冷め切って、食う気も失せる代物に成り果てた。
掛布を捲って炬燵の温度を「強」にしてから蜜柑を一個手にとって寝転んだ。
新年を祝うテレビの声を聞きながら皮を剥く。
はいはい、おめでとさん。
テレビの声に相槌を打ちながら口に入れた一房はやけに酸っぱかった。
ハズレだ。
甘そうな篭を選んだつもりだったのに、その中にハズレがあって。
よりによってその一個を新年早々引き当てちまう俺のくじ運はいいの?悪いの?どっちなの?
これっておみくじで大凶を引くより切ねぇんだけど。
目頭がほんの少し熱いのを酸っぱさの所為にして一房だけ欠けた蜜柑を天板に戻して俺は不貞寝を決め込んだ。
やたらと明るいテレビの音が癇に障る。
新年誰もが幸せだと思ってんじゃねーぞ、このやろう。
消しちまいたいけどリモコンを探すのも面倒くさい。
すぐそこに脱ぎ捨ててあった半纏を頭から被って目を閉じた。
くぐもって聞こえるテレビの音。
そこに別の音が混じるのに気が付いて俺は半纏から頭を出した。
聞こえているのはドアチャイムの音だ。
つけてあるけど殆ど使われることのない代物。
こんな音がするんだなとしみじみ思ってしまうほど自分の部屋なのに馴染みのない音だった。
にしても、こんな時間にチャイムがなるなんて一体何事。
尋ねてくるような心当たりもないし、荷物の配達なんてありえねぇ。
ピンポンダッシュですか。
無視だ、無視。
居留守を決め込む気満々で放置、してたらチャイムが止んで控えめなノックの音が聞こえた。
「先生、あの……新八です」
聞こえた声に俺は自分の耳を疑った。
し、んぱち……マジで?
気が付いてないだけで実は俺は寝てて夢を見てる、とかじゃなくて?
ほんとに新八?
俺が自分の耳と頭を疑ってる間にドアの外では気配が立ち去ろうとしてる。
慌てて炬燵を抜け出した。
ちょ、待って新八っ諦め良すぎるって。
控えめ過ぎんぞ、かわいーけどもっ。
でっ。
あんまり慌てすぎて炬燵の出っ張ったとこで背中ガリってなった。
い、いてぇっ。
痛いけど、でも背中より新八っ。
俺は大急ぎでドアまで走った。
鍵を開けるのももどかしくノブを廻す。
「新八っ」
開いたドアの向こうにはちょっと吃驚した顔の新八がいた。
やっぱり帰ろうとしてたみたいだ。
間に合ってよかった。
多分俺はかなり必死の形相をしてたんだろう(裸足で半分外に出てるし)ちょっと驚いた新八に一拍おいた後笑われた。
「寒いだろ、取り合えず中入れ」
こんな真冬に玄関で立ち話もないから新八を中に招き入れた(第一新八が来てくれたのに玄関先ではいさよならなんてありえねぇから)。
「お邪魔します」
二人も立てば窮屈なコンクリートの三和土でドアを支える俺の横を新八がすり抜ける。
入ったところでドアを閉めて部屋に上がった。
三歩進んだところで新八が後に続かないことに気が付き振り返る。
新八は靴を脱ぐ気配も見せないで玄関に立っていた。
「上がんねぇの?」
ゆっくりと一つ頷いて。
「……帰りたくなくなると困るから」
ぼそりと呟いた。
えーとちょっと待って。
煩悩を消すという鐘は未だ鳴り続けてる。
新年早々なんだこれ。
お年玉?……ねえ、これ貰っていいの?
可愛さ超犯罪級なんですけど。
さっきの大凶みかんを補って余りあるって感じだよ。
一年の計は元旦にありってね。
俺は今年もやられっぱなしだと確信をした。
よく見ると新八は左手にコンビニの袋をぶら下げてる。
「買い物?」
小さい袋の中には緑っぽいボトルのようなものが透けて見える。
お茶だろうか。
「洗剤買ってくるって家を出てきたから、あんまり時間なくて」
握りなおした袋がかさりと音を立てる。
それで中で透けているのが台所用洗剤の緑なのだとわかった。
「先生、明けましておめでとうございます」
それだけいうとぺこりと頭を下げて。
「じゃあ、帰ります」
くるりと踵を返そうとする。
俺は言葉が出なくてとっさに新八の腕を掴むことしかできなかった。
そのまま引き寄せて靴のままだと気にする新八を無視して抱き締めた。
抱き締めずにいられるわけがなかった。
炬燵しかない俺の部屋は、外よりましってだけで身体が温まるはずもなく抱き締めた新八の身体からはまだ冬の匂いがする。
その冷たさはほてった俺の思考を冷ますのにはちょうどいいような気がした。
「それ言うためだけに俺ン家来たの?」
俺の家と新八の家は近いといえば近いし遠いといえば遠い。
歩いて15分程度って感じの距離だから「ちょっとそこまで」って言うにはやっぱ遠いだろう。
なのに新八は、買う必要のない洗剤をわざわざ買いに出てきたという。
コンビニに行くついでに俺の家があるわけじゃない。俺の家に来る間には少なくとも二軒はコンビニが存在する。
「それもあるけど……会いたくて……」
両手が俺の服をぎゅっと掴んだ。
俺たちは冬休みに入ってずっと会ってなかった。
終業式当日はばたばたしてて会えずじまい、そのまま冬休みに突入しちまったから最後に新八と会ったのは終業式の前日。
休みに入ったら入ったで新八のバイトだったり俺は大家に大掃除手伝わされたりですれ違いまくりだった(暇だったとしても実際会うのは難しい)。
もう新学期まで会えねぇのかなって思ってた。
学校があると意外に意識しないけど、休みになると思い知らされる。
俺たちは気軽に外では会えない。
特にこういう行事関係のときは新八には姉ちゃんがいるから尚更会うのが難しい。
それなのに新八は会いに来てくれた。
「嬉しくて涙でそうなんだけど」
冗談じゃなくてマジで鼻の奥がツンとした。
「大袈裟じゃないですか?」
笑いながらも新八の腕がぎゅっと抱きついてた。
新年早々こんなに幸せで俺の今年は大丈夫?
一年分の幸せを全部消費してしまった気がしてちょっとだけ怖くなった俺は幸せが逃げないように抱き締める腕を強くした。
髪をかきあげて唇を付けた額はひんやりしていた。
「あんま遅くなれねぇんだよな」
でも俺ン家まで片道15分として往復で30分。
ちょっとお使いに行ってきます、ってかける時間にしては長すぎる。
「姉ちゃん心配すんじゃねーの?」
「置いてなかったらちょっと探してくるって言ってきたから、大丈夫です……」
俺は。
過去にお年玉なんて貰ったこと一度もない。
神様ってのがいるとして、そういうのちゃんと見ててくれて、それまでの分もまとめてご褒美あげますよ、とかってあるわけ?
俺今そういう物凄いラッキーを貰ってるの?
軽く震えがくるくらいたまんねぇんだけど。
両頬を包んで額を付ける。
眼鏡がカチャリと鳴った。
「新八」
「はい?」
鼻先に口付け、頬を滑って唇の端へ。
音を立てて軽く触れた。
「送ってく。ぜってー送ってくから。ちょお待ってろ」
新八を少し待たせておいて俺は急いで支度をした。
着ていたスウェットの下だけ履きかえる(新年早々新八と歩くんだからスウェットはねーよな)上はまぁ上着羽織るしな(大目に見もらおう)。
マフラー巻いて完了。
炬燵のスイッチを切って鍵を持つ。
それを新八がじっと見ているのに気付いて。
「どした?」
「スクーターで行くんですか?」
「だけど?……あー、音すると都合わりぃか」
夜の中では殊更エンジン音は響き渡る。
家の中に居たって志村には聞こえちまうだろう。
音が止まって新八が家に入ればそれを志村がどう思うかもわからない。
「やベーよな。止めとくか」
鍵をポケットに突っ込んだ。
「そういう意味じゃなくて」
「ん?」
「先生が嫌じゃなかったら、一緒に歩きたいなって思ったんです、けど」
姉ちゃんに見つかったらコンビニで偶然会ったって言えばいい。
少しでも一緒にいられる時間が作れたら。
だから。
15分間の道のりを一緒に歩きたいのだという意味で新八は聞いたんだ。
「どうすんだよ、断る理由が見つかんねぇ」
もっかいぎゅーっと抱き締めて。
「行くか」
新八を促して外に出た。
「寒ぃ」
キーンと音がしそうなくらいの夜の冷気が肌を刺して俺は思わず首を竦めた。
吐く息は見事に真っ白だ。
隣で新八もマフラーに鼻まで埋まってる。
「そのマフラーって俺がやったやつ?」
ざっくりと編まれた毛糸の端をちょちょっと引っ張る。
「はい」
コクリと新八が頷いた。
休み前に最後に会ったのは朝。
出かける時に見当たらなかったからってマフラーをしてなかった新八に俺が自分のをほどいて首に巻いてやったのな(勿論校舎の陰でだよ)。
今の新八の首に巻かれてるのはその時のやつ。
パステルの淡いソライロは新八の黒髪が綺麗に映える。
「適当に買ったやつだったけど、お前のが似合うな。やって正解」
「すごく温かいから、気に入ってます」
「そっか?安もんだけど」
って……ん?
新八はふいっと目を逸らして先に歩き出してしまった。
前を歩く新八の後ろについてゆっくり歩く。
丸い後頭部が歩調に合わせて小さく揺れる。
ブランドでもなんでもない、ただの安物のマフラーを新八が温かいと感じるのはつまり……。
これって調子に乗って自惚れてみても許される?
「新八君さぁ」
すぐ前を歩く新八の、冷えた黒髪をちょんと引っ張って。
「先生と手ぇ繋いでくんね?」
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