「先生……」
「んー?」
繁華街を抜けて100m位だろうか。
そこはもう普通の住宅街で、通りは途端に寂しくなる。
時間が時間だけに明かりの付いた建物は皆無に等しくて、もちろん歩いてるのなんて俺達だけだ。
「あの……逃げたりしないんで……。手、痛いです」
「ああ、わり」
志村に言われて俺はずっと掴んだままだった手首を離してやった。
ささやかな体温はいつの間にか俺の手に馴染んでいて、その喪失は俺を寂しくさせた。
立ち止まって、一歩遅れて後をついてくる志村に手を伸ばす。
同じく立ち止まった志村は俺の出した手をただ見てる。
「手を繋ぐ。ほれ」
いつまでも見てるだけで動かない志村の、力なく垂らされた手を勝手に掴んで繋いでしまうと俺はさっさと歩き出した。
やっぱり。
こいつの体温は何故だか俺に心地よく馴染む。
「あの……はなしてくださ……」
しばらく歩いたら急に志村が立ち止まった。
「いーじゃん、誰も見てねーって」
「でも、あの……」
「やなの?」
「そうじゃなくて。あの、僕の家あっちなんです……」
志村が指差したのは通り過ぎてしまった四つ角。
あそこを左に曲がっていくんだそうな。
ああそうか。
俺は、帰るといってこいつを連れ出したもののその先の事を考えてなかった。
止められなけりゃ勢いで自分の家まで引っ張ってってたね。
けど考えてみりゃそれからどうすんの?って話で。
かといってこいつの家にこの時間に上がりこむってのもおかしな話……だよな。
もちろん疚しい気持ちなんてないんだけども。
まあ一般常識としてってことで。
それくらいの分別はちゃんとある。
なんにしても、だ。
このままこいつと別れてしまうことだけはしたくなかった。
「お前ん家どこ?送ってってやるよ」
繋いだ手はひどく頼りなくて、きっと俺が離したらすり抜けてしまう。
だからぎゅっと握りなおした。
聞きたい事はいろいろある。
けど今はまだ、俺自身自分の気持ちにもやもやしてるなんとも中途半端な状態。
だから急ぐことはないんじゃないかと思うわけで。
正直、自分がこんなに気の長い性質だとは知らなくて驚いてる。
けど、ゆっくりでもいいから志村の事知りたいって思う。
これってやっぱあれ。
「恋」ってやつですか?
自分の学校の、しかも男子生徒に?
教師として、以前に俺は人として大丈夫なのかと思わないでもないけども。
欲望には正直にいきたい性質なんで。
家の場所を聞いたら意外にも味噌汁が温くなる程度のご近所さんだった。
「冷めない距離」じゃない微妙な遠さが道でばったりってな偶然を回避してたわけだ。
姉ちゃんの担任だけど家までは知らなかったもんな。
ただ、家は知らなくても家庭の事情は多少知ってる。
志村家は早くに親をなくして姉弟二人きりらしい。
今回の事がそれに起因するものかもしれないと思うのは強ち間違いじゃない気がした。
志村の歩幅は当然俺より狭い。
必然的に幅のある俺のほうが合わせる形になるわけで、歩く速度はいつもより遅くなる。
でも、こういうのも悪くないもんだな。
それとも隣がこいつだからなのかね。
誰一人出会わない夜道はひたすらに静かだ。
闇に包まれたその静寂は不思議な穏やかさがある。
時々犬の遠吠えがしてびりびりと空気を震わせた。
片手が冷えてきて、多少マシかとポケットに手を突っ込んだらカサッと何かに触った。
掴んで出すとイチゴ模様に包まれた塊が二個。
丸くてちっちゃくて三角って文句が売りの飴だった。
ピンクの甘酸っぱいいちご飴で真ん中に甘いのが入ってる……って思い出したら涎が。
「一個やるよ」
志村に差し出す。
この俺が、他人に甘味をやるなんて天地がひっくり返る勢いの奇跡だ……なんてことは俺だけが知ってる事実。
そして俺自身も驚いてる現実。
何この気持ち。
やっぱ恋?
恋でいいの?
「ありがとうございます」
志村は素直に受けとってくれた。
それからじっと掌の飴を見て何故か笑った。
あんまり綺麗に笑うから、俺は一瞬言葉を失った。
「ホントだったんだ」
「え?」
「姉に、坂田先生は授業中でも常に飴をなめてるくらい甘いものが好きだって聞いたことがあるから」
「ああ、志村がね……って、碌な事いわねーな」
常備してるんですか、とか言いながらおかしそうに包みを解いた。
初めて見た志村の笑顔。
俺がそうさせたのだという事実は奇妙な満足感を呼ぶ。
「お前、下の名前なんての?」
「名前……ですか?新八です」
「新八、新八ね……あのさ、新八って呼んでいい?」
「別にいいですけど……」
「志村はもうクラスに一人いるからさ、紛らわしーじゃん」
「……はぁ」
名前を知りたがる理由がぴんとこないらしくて新八は曖昧な相槌を返してきた。
けど、一つこいつを知ることができて俺は満足だった。
しばらく無言のまま歩く。
口の中にはいちご飴。
甘酸っぱい外側が溶けて少しずつ甘いところに近づいていく。
その甘さを早く味わいたくて、さくっとした外側を噛み砕いてしまいそうになる衝動を咄嗟に抑えた。
自分でも馬鹿らしいけど、それをしたら本当の新八にたどり着けない気がして怖かった。
迷信とかジンクスとか、そんなもん頭を掠めたこともなかったのに。
舌の上でゆっくりと舐め溶かしてたらだんだんと甘さが染みてきた。
「何にも……聞かないんですか?」
戸惑うような新八の声。
俺は一人の人間として新八の事知りたいと思い始めてる。
けど新八にとっての俺は今はまだ、ただの一教師でしかない。
「すげー聞きたい。でもま、無理には聞かねーよ。もちろん、聞いて欲しいならいつでも聞いてやるよ?」
過去に付き合った女にさえこんな丁寧なアプローチしたことねぇのにこいつ相手なら苦にもならない。
「でも、あれはもうやめろ。な?」
「……はい」
拾った猫がやっと少し懐いてくれたらこんな感じなんだろうか。
頷いてくれたことが嬉しかった。
「あ、この角を曲がったら直ぐです」
新八の言葉通り、曲がり角から二軒目の家に「志村」の表札がかかってた。
繋いだ手を離したくない、なんて感情が自分の中にあるなんて知らなかった。
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