「お前志村弟じゃねーの?」
時刻は午前零時過ぎ。
場所はかぶき町一番街。
いわゆる大人の歓楽街だ。
別にモテナイわけじゃないんだけども(ホントだって)金で割り切るビジネスライクな関係のほうが気が楽だから、偶にはお世話にな
ったりするわけで。
しつこいキャッチをあしらいながら俺は目的地に向かって歩いてた。
スカジャンのポケットに両手を突っ込んで冬の冷気を掻き分けながら人ごみを突っ切る。
そしたら、見つけちまった。
壁にもたれてぼんやり立ってたのはこんな時間のこんな場所にはまったく似つかわしくない人物。
「坂田先生……」
相手は少し目を見開いて、呟くように俺の名を呼んだ。





俺の名前は坂田銀時。
三十路のゴールテープが目前に迫った二十代後半。
雨の日が憂鬱な天然パーマネントです。
チャームポイントは死んだ魚のような目で、いざという時には煌めきます。
趣味は……え、興味ね?
あ、そ。
でも進めるから。
一応高校教師。
現国を、教えてみたりみなかったり。
どこでどう間違ったんだか受け持ちクラスまであったりするから自分でも驚きだ。
生徒にしたら大迷惑なんじゃね?と思わなくもない。
クラスは3年Z組。
憧れだとか理想とか、そんなもんは全くないが「3年=B組=金八先生」って感じの安易な連想で生徒には銀八先生と呼ばせてる(Z組だけどな)。
まあ大半は「先生」ですまされるんだけども。
と、そんな事はどうでもよくて。
今日俺が見つけた「志村弟」。
こいつは俺の受け持ちクラスの生徒、志村妙の弟だ。
確か1年生じゃなかったっけか。
よく姉ちゃんの忘れ物を届けに教室に来てるのを見かける。
特に印象深い目立つ容姿をしてるわけじゃない。
姉ちゃんの方は黙ってりゃかなりの美人で華やかな容姿をしてるけど、弟は眼鏡をかけたいわゆる地味キャラってやつだ。
教室に来てるのを何度も見かけたからって記憶に留まるようなタイプじゃない。
それでも。
何故かその姿は見かける度に俺の中に欠片を残した。
指先をするりと滑りそうな真っ直ぐな黒髪とか。
よく見ると姉ちゃんに負けず劣らず大きな黒目がちの目とか。
あまり笑わない横顔とか……笑ったらきっと可愛いんだろうなといつも思っちまうんだよな。
直接話をしたことはない。
ただ、こいつを見る度に俺の心に少しずつ積もっていくそれがなんなのか知りたくて。
だから多分俺は今教師じゃない。
ただの男だ。





ネオン煌く夜の町にはおよそ似つかわしくない清潔そうな佇まい。
明かりを避けるように壁に凭れるうつむき加減の横顔、首に巻いたクリーム色のマフラーに半分埋まったそれが何故か泣いているように見えて。
「こんなとこで何してんの?」
ナンパよろしく壁についた両手で小柄な身体を囲むように閉じこめた。
ほんの冗談のつもりだったのに。
見上げてくる瞳に心臓がはねた。
「雰囲気違うと思ったら、今日は眼鏡してねーじゃん。コンタクト?」
はねた心臓をごまかすみたいに細い顎に指を添えて小さな顔を持ち上げた。
志村は無言でふるふると首を横に振る。
すっと瞼が伏せられて黒い瞳が俺の視線から逃げる。
否定に振られた動きの弾みで長めの前髪が目にかかったのを、額から梳く様にかきあげて直してやった。
夜の外気に晒され続けてひやりと冷たい。
初めて触れた黒髪は想像通りの感触で、流れるように俺の指先をするりと抜けた。
「んじゃ、伊達なわけ?」
普段かけてる眼鏡はどう見ても実用性が高く装飾要素は皆無だ。
違うとわかりきった事を、それでも俺は問いかけた。
黒髪がまた横に揺れて。
「……ま、いいけどな」
もとより返事は期待してなかったから俺は早々に諦めた。
視線どころか顔も伏せて俯いちまった志村は早く立ち去って欲しいという拒絶を全身に纏ってる。
それは思いがけず俺を不快にさせた。
「姉ちゃん、お前がこんなとこ来てるの知ってんのか?」
俺の質問に志村の身体が固まったのが空気でわかる。
その時メールの着信音が鈍く響いた。
多分初期設定のままいじってないシンプルな電子音。
志村の身体がぴくりと反応した。
「メールだろ。見れば?」
零時過ぎの歓楽街。
こんな場所に10代の少年が存在する理由は多分聞くまでもなく明白で。
メールの内容はこいつが今ここにいる答えだろう。
志村の手がゆっくりとコートのポケットから携帯を取り出す。
ボタンを押す指は少し震えていたのかもしれない。
画面を開いて内容を読むその顔に表情はなかった。
携帯を持つ手を捕まえて。
「見てもいい?」
確認の形を取ってはいるけど拒絶を許すつもりはなかった。
志村もそれを察したようで掴んだ手首から諦めたように力が抜けた。
覗き込んだ画面にあった文面は思ったとおりの内容で。
相手が近くまで来ていることを知らせ、詳しい待ち合わせ場所を指定するものだった。
「……補導、するんですか?」
俺に腕を掴まれた志村の、俯いたままの静かな問いかけ。
吐き出される息の白さだけが唯一感じられるこいつの体温。
「俺ってそういうことしちゃうタイプに見える?」
「……わかりません。先生のこと、よく知らないから」
姉ちゃんの担任とはいえ、こいつにとっての俺は多分同じ学校の一教師という括りでしかないだろう。
でも「教師」ならこんな場面に遭遇して放置するはずはないと、多分思ってる。
「どうして欲しい?」
覚悟をしていただろう所に思いがけず選択権を与えられ、驚きに見開かれた瞳が見上げてきた。
漸くまともに合った視線の先でネオンの光が星みたいだった。
戸惑いにゆれる瞳は綺麗だけど寂しい。
「だったら……放っておいて欲しいです」
一瞬何か言いたげに開きかけた唇はすぐに閉じられて、再び開いた唇が紡いだのはやっぱり拒絶だった。
「放っておいて欲しいって?」
志村の顔が鼻の頭までマフラーの中にきゅっと埋まる。
「俺がいなくなったらお前はどうするわけ?」
見なかったことにして、俺がこの場を立ち去ったら。
携帯を握ったままの志村の手を持ち上げる。
「このメールの、どこの誰とも知らないおっさんに、身体中舐めまわされ
んじゃねーの?お前がやってんのってそういうことだろ?」
志村からの反論はなかった。
ただ、力の抜けた指先が落とした携帯が肯定の返事だったのかもしれない。
ストラップも付いてない濃紺のメタリック。
拾い上げて開いてみると幸い故障はしてないようだった。
操作をして胸糞の悪いメールを勝手に削除する。
そうしてから志村のポケットにそれを返して強引に手を引いた。
「帰るぞ」
「あ……あのっ」
「あん?」
「……どうして……?」
戸惑いを隠しきれない志村の声。
「俺は。自分が善人だと思った事はないけどな。ああそうですか、じゃあさよなら……ってこの場を立ち去れるほど人間腐ってもないわけよ」
掴んだ手を引っ張って歩きながらそう答えてみたけど。
多分それは本心じゃない。
俺だって自分がわからなかった。
援交なんて、馬鹿なおやじと馬鹿なガキで勝手にやってろって思ってた。
俺には関係ないことだし教師だって人間だ。
それに、見も知らない他人を思いやってやるほど俺はお綺麗な人間じゃない。
なのに。
勝手な言い草だって事はわかってるのに。
こいつが、志村がそれをすることは不快でたまらない。
こんな場所にこいつを一秒だって置いておきたくなかった。


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