「お前明日からもういないんだよな」
腕に納めた体温は心地良過ぎて放し難く。
閉じ込めたままの状態で、銀時は言っても詮無い愚痴をぽつりと零した。
一年の頃から好きでいてくれていたという事実に、途轍もなく勿体無い事をしたのだと押し寄せる後悔。
己の迂闊さを呪いたかった。
「一年くらい留年しねぇ?」
耳元に唇を当てる。
せめて一年。
新八と夢のような学校生活を送ってみたい。
叶わぬ事など承知だが、夢見るくらいは許される筈。
新八が、銀時の胸元に置いた手を押した。
肘が伸びて二人の間に距離ができる。
伸びきってしまう半分くらいで留まって、少し困ったように銀時を見上げた。
「僕、先生が望む事だったらできるだけ叶えてあげたいですけど……それはちょっと無理です」
偽らない瞳。
銀時は瞬間呑んだ息をそろそろと吐き出した。
留年して欲しいなど、勿論冗談に決まっている。
馬鹿な事をと笑い飛ばせばそれで済む話を、そんなに律儀に返されたら。
銀時はずぶずぶと沈んでいくのを自覚する。
確実に、新八に溺れる予感。
「んじゃ留年しなくていいから俺ンとこ永久就職してくんね?」
「僕、就職決まってます」
腰をぐいっと引き寄せて開いた隙間をゼロにする。
「あっ」
新八の腕は間にきゅっと畳まれた。
冗談は、半分本気だからこそ冗談なのだ。
紛らわせてしまわなければ、怖くて本音など口には出せない。
それでも、新八にならそんな小細工は必要ないのだと教えられる。
鼻先をすり合わせ、愛しさのままに触れた唇は溶けそうに甘い。
「兼業にすれば?」
「……先生って我が侭ですよね」
「ホントにねぇ、知ってて好きになってくれんだから新八君も物好きだよな」
自分が所謂聖職者の規格から大きく外れている自覚はある。
人としてどうかと思うことも、無くはない。
そんな自分を。
「だって……それだけじゃないの、ちゃんと知ってますから」
銀時自身を見てくれていたのだという新八の想いが全て許してくれるような気がして。
腕の中、布を隔てた体温にもどかしさが募る。
「新八」
「はい」
「お前の事、めちゃめちゃ抱きたい」
「……はい?」
「新八の身体、抱きてぇの」
視線を合わせ、噛んで含めるように伝えれば新八の顔が見る見る赤くなった。
言いたいことの意味はきちんと理解したらしい。
「だ、だ、だってさっき告白したばっ……」
「落ち着け、新八」
抱き締めて、その背を叩き慰める。
新八にとって恋愛とは。
告白から始まり順序立て、ゆっくりと時間をかけて育むものなのだろう。
恐らく銀時とは正反対だ。
だが新八が望むのならそうしてやりたいと思う反面、待ちたくない自分がいるのも銀時は知っている。
「会ったその日にとかそういうの、お前すげぇ嫌いそうだけどさぁ……俺もう我慢できねぇのよ」
新八の体温をもっと直接感じたい。
「だから今日、俺ン家来ねぇ?」
下心を隠さないあからさまな誘いに新八は困ったように眉を下げた。
「でも……」
困惑が拒絶ではない事に銀時は口元を緩める。
「キスはさせてくれたじゃん」
「あれは……先生が優しくて、それで……」
流されただけだとしても。
「やじゃなかったんだよな?」
「……はい」
「んじゃ新八がもういいですっていうくらいすげー優しくすっからさ」
「……でも」
無理を強いていると思う。
キスすら今日が初めてだった新八に全てを強請るのは酷だとも。
それでも。
「お前に、触りたい」
抱き締めて伝える。
この気持ちを抑えることは難しい。
「先生……」
スン、と鼻を啜る音がする。
それが涙を伴うものだと気が付いて。
「悪ィ、新八」
顔を上げさせ頬を包んだ。
流れるほどではないが涙に潤んだ瞳。
「泣くほど嫌でも諦めてやれねぇ」
濡れたそれを覗き込んで口付けた。
「嫌じゃ、ないです」
「新八……」
「嫌なんじゃなくて」
新八の指が、ボタンを失くしてひらひらとする白衣の前をぎゅっと掴んだ。
「駄目だと思ってたのに先生とこんな風になれて、頭の中ぐちゃぐちゃで……どうしていいのかわかんないんです」
涙の理由は拒絶ではなく、性急過ぎる銀時に対する戸惑いだった。
わかって安心すると同時に愛しさが募る。
「要するに、困っちゃって半べそかいたって事なわけね」
可愛いと、丸い頭を引き寄せぽんぽんと叩いた。
「なら俺ン家、来てくれる?」
耳元への問いかけに。
抱えたままの小さな頭がコクリと一度頷いた。






「あっ」
カツンと微かな音がして新八が慌てて足元を見まわした。
「どした?」
「先生の指輪が……」
新八の指に嵌めてやった緩すぎる指輪がどうやら抜けてしまったらしい。
「あ、あった」
「いいって」
取りにいこうとする新八の腕を掴み、腕の中に引き込んだ。
腹の前で手を組んでそのまま拘束してしまう。
「いいんですか?」
「うん、もういらねぇから」
腕の中に本物がいるのだ。
いないものをいるように見せる偽装などもう必要はない。
「これからは、偽装じゃなくて本物つけっからさ」
「えっ?」
驚いて振り向こうとする頬に唇を当てた。
「今度お揃いのやつ買いに行こうな」
「あ……はい」
頬に当たる耳たぶが瞬時に熱を帯びた。
新八の熱。
銀時に対する三年分の想い。
「新八……ありがとな」
新八が勇気を出してくれたからこそ、今それを感じていられるのだ。
「今日お前が言ってくれなかったら俺、気付かないままお前の事手放してた」
きっと、知らなければそれでも良かったのだろう。
けれど、知ってしまった今はもう手放す事など考えられないのだ。
「ンでも、三年間勿体ねぇ事したなー」
今更いっても遅い事を、それでも諦めきれずに愚痴にする。
「僕はよかったです」
「何でよ」
「だって……今だってこんななのに」
新八の言葉に改めて気付かされる。
気持ちを自覚してからずっと新八に触れ続けている自分に。
こんな状態でまともな学園生活を送らせてやれたかどうかは怪しかった。
だがそれでも諦めきれない。
「これから三年分ちゃんと取り戻すからな」
子供染みた銀時に新八はただ笑った。
「先生……」
「ん?」
「先生の体温……三年前と同じでした」
新八が腕の中で身体を返す。
「先生の事、ずっと好きでいてよかったです」
そうして貰えた事を、感謝したいのは銀時の方だったけれど。
触れた部分から十分に、それは新八に伝わっている気がした。
目尻にそっと口付けて、制服のポケットから引き抜いた眼鏡を新八の顔に戻してやる。
「俺の前以外で眼鏡取るの禁止だかんな?」
そう言うとフレームに指で触れた新八が不思議そうな顔をする。
「眼鏡キャラが眼鏡外すって事は人前でパンツ脱ぐようなもんだろが」
「ぱっ……」
「パンツ脱ぐのは俺の前だけにしなさい」
「……先生だって眼鏡してるじゃないですか」
「そーよ?だから俺も新八の前でしか脱がねぇよ」
「ぬ、脱がないじゃなくて外さないでしょっ?」
「いやいや、だってこれパンツだから。トイレ行ったら眼鏡も脱ぐからね、俺は」
「…………前言撤回したくなってきました」
説得力のないほど優しい声。
「いいよ。そしたらうんって言ってくれるまで今度は俺から口説きまくるから」
そう言ったら新八は可笑しそうに笑った。
離さない、離したくない、離れないで欲しい。
そんな気持ちになったのは初めてで。
眼鏡を避けて顔中に口付ける。
この温もりを二度と忘れたりはしない。
「新八さ、裁縫得意?」
しっかりと腰を抱いて。
「そんなに上手ではないですけど、一応できますよ?」
「んじゃさ、白衣のボタン付けてくんね?」
銀時の羽織ったそれには一つもボタンが残っていない。
新八は糸の名残に指で触れ、複雑な表情で銀時を見上げた。
「それでまた来年、女の子達にあげるんですか?」
「なに、ヤキモチ妬いてくれんの?」
「だって……先生がモテるの、知ってますもん」
微かに拗ねる口元が可愛い。
「新八が付けてくれんなら絶対死守するし」
「ホントですか?」
「信じてくんねぇの?」
「先生が優しいのも、知ってますもん」
強請られたら嫌とは言わないのだろう、と。
胸の奥がムズムズする、くすぐったいような倖せな感覚。
体温を隔てるこの布を、一刻も早く取り去りたい。
「取られんのはさぁ、何かもう仕方ねぇ部分ってあんじゃん?けど、俺が自分からやりてぇって思うのは新八だけ……ってんじゃ駄目?」
自分からなんてのは生まれて初めてかもしれない、そう告白したら新八は嬉しそうだった。
「駄目じゃ、ないです」
首元に新八が額を寄せた。
「ボタンよりも思い出になるもの、貰いましたから」
手元には残らないけれど、ずっと心に残るもの。
新八はそれが何とは言わなかったけれど。
与えて、きっと同時に銀時も新八から貰っている。
「俺もお前から貰ったよ」
髪を撫で、さらりと揺れる旋毛に口付けた。
「お揃いだと、いいですね」
「そだな」
冗談みたいに呟くけれど、銀時と新八のそれはきっと同じ形をしているのだろう。
「先生」
「んー?」
「名前、呼ばれてません?」
新八の指摘に耳をすませば微かに聞こえる校内放送。
連呼されているのは銀時の名前だった。
「ホントだ」
「ごめんなさい、半分は僕の所為ですね」
新八が申し訳無さそうに離れようとするのを引き止める。
「半分つーか、ほぼ新八の所為だよね」
「何でですか?」
「そりゃ、新八君が予想外に可愛過ぎたのが原因かと思われますが?」
「……言いがかりです」
「事実ですぅ」
ちゅっと、唇で音を立てると新八が噴き出した。
「早く行って下さい、もう」
腕から抜けた新八に、身体を回され背を押される。
手の平の温もりが心地よかった。
「新八、何かメモ持ってねぇ?」
「メモですか?生徒手帳なら」
唐突な質問に力を抜いた新八は生真面目に小さな手帳を取り出した。
受け取った銀時は白衣に差したペンを取り、メモ欄に数字をなぐり書く。
「俺の番号」
見えるように開いたまま新八に返す。
「後でかけて履歴残しといて。一緒に帰んの無理っぽいからさ、折り返して連絡するわ」
受け取った新八は番号を確認すると両手でそっとページを閉じた。
大切なものを仕舞う様に。
「言っとくけど、俺ボタン以外生徒にやった事ねぇからな」
新八だから特別なのだと、言外に言い含める。
「はい……ありがとう、ございます」
特別を噛み締めるように礼を言われ、銀時は柄にもなく照れた。
「万が一にも間違いがねぇように、留守電になるまで待ってちゃんと自分の名前入れとけよ?」
「はい」
少し乱暴になってしまった口調も新八には理由がわかるようで、返される返事の素直さに銀時は己の敗北を知る。
惚れた方が負け、を地でいきそうな自分に心の中で苦笑が零れた。
軽く頭をかく。
「先生、早く行かないと」
呼び出しの間隔がだんだんと短くなってきた事に新八が焦り出す。
「はいはい、今行きますってんだこん畜生」
人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ。
己の非を棚に上げた銀時は心中で毒づいた。
「鍵閉めっからお前もおいで」
「はい」
返事をした新八は落ちていたものを拾い集めて銀時の元に戻る。
証書と花と指輪。
銀時はその中から指輪を取り上げて。
「これはもういらねぇから」
「あっ」
空に向かって勢いよく放り投げた。
フェンスを越えた銀色は一瞬だけ太陽の光に煌めいて、そのまま見えないどこかに消えてしまった。
この屋上に来るのもこれで最後にするつもりだ。
最初で最後の新八との、ここでの思い出として封印しようと思う。
勿論新八には内緒でだけれども。
「新八」
扉に手をかけて、名を呼ぶと隣で新八が見上げてくる。
「卒業、おめでとう」
心から告げた。
「ありがとうございます」
返された笑顔は、二人の学園生活の一番の思い出になるほどに綺麗だった。






2009年2月オンリーコピー「喜びは君と僕のもの」
2014年2月加筆修正

もんぺ