金魚ゼリー
神楽ちゃんが新八を好きな話、です。
神楽には最近気になっている事がある。
扉を開閉する度ひらひらと揺れるレシートが一枚、万事屋の冷蔵庫にずっと貼ってある。
新八が簡単な在庫管理の為にぺたぺたと貼り付けているせいで最初は気にも留めなかったけれど、在庫の変動と共に貼り替えられていくレシートの中でその一枚だけが剥がされることなく残っている事にある日ふと気がついた。
内容は至ってシンプルだ。
氷イチゴ×1
氷マッチャ×1
氷レモン×1
ロックアイス×1
食材ではなく嗜好品。
しかもスーパーではなくコンビ二だから新八の買い物ではない気がする。
神楽は基本酢昆布しか買わないから購入者は多分銀時だろう。
冷蔵庫の中にこのレシートのアイスが入っている筈はない。
感熱紙の文字もいい加減薄く色褪せて、在庫管理の意味があるとも思えないレシートを何故いつまでも取っておくのだろう。
他のレシートは在庫と共に変わっているから剥がし忘れではない筈だ。
「神楽ちゃん、涼しいのはわかるけど冷蔵庫を冷房の代わりにするのは駄目だよ」
背後から新八の声が聞こえて神楽ははっと我に返った。
扉を開ける時レシートが目に入り、この頃ずっと気にしていた事をつい考え込んでしまった。
「ごめんアル」
「あはは、いいよ……あ、ついでに卵3個出してもらっていい?」
「了解ヨ」
神楽は本来の目的のゼリーと追加の卵を取り出すと急いで扉をパタンと閉めた。
「ありがと。それにしても暑いね、うちには扇風機しかないからキツイよね」
神楽が卵を手渡すと新八は受け取りながら額に浮いた汗を拭った。
夏場の台所はとにかく暑い。
一応扇風機は回っているが気休め程度にしかならなくて、着物の上に割烹着をつけている新八にとっては余計に辛いだろう。
「これも全部銀ちゃんが不甲斐ない所為アル」
「うーん、でも最近は結構頑張ってくれてると思うよ」
「むー、またそうやって甘やかす。新八は銀ちゃんに甘すぎネ」
「そうかな」
「そうアル」
自覚のない新八に呆れたようにそう言って神楽は手にしたゼリーを宙に翳した。
ソーダの薄い青が綺麗なゼリーの中に赤い金魚が泳いでいる。
スーパーの売り場で見つけて一目惚れしたそれを、お手伝いのご褒美にと新八が買ってくれたのだ。
冷蔵庫の中にはもう一匹、銀時の分の金魚が冷えている。
「新八は金魚、いらないアルか?」
「うん、僕はどうしてもって程甘いものが好きなわけじゃないし」
「ふーん」
上からも覗けるように透明になっている蓋を神楽はぺりっと引き剥がす。
立ったままでは行儀が悪いと叱られるかと思ったがちら、と目が合った新八は特になにも言わなかった。
さっき新八はああ言ったけれど、このゼリー1つで3個入りプリンのパックが1つ買える事を強請った神楽は知っている。
「新八」
「何?」
「……ありがと」
「ふふ、神楽ちゃんこそ、荷物たくさん持ってくれてありがとね」
「べ、別に、あれくらいの荷物、この神楽様にかかれば大したことないネ」
「うん、今日は広告に載ってないサプライズセールがあったから凄く助かったよ」
買い物に出かけた新八が、入荷した商品に傷物が出たとかで急遽開催されたセールに手荷物一杯で後ろ髪を引かれていたところに偶然神楽が通りかかったのだ。
「お手伝いのお礼だから遠慮しないで食べなよ」
「うん」
新八の笑顔に促された神楽はスプーンを水面にヒタリとつけた。
ツルンとした表面は崩してしまうのが惜しいくらいに綺麗だけれど、中で泳ぐ真っ赤な金魚はとても魅惑的。
掬い挙げる瞬間を想像するだけでわくわくする。
覚悟を決めた神楽は思い切ってスプーンを刺し込んだ。
フルリと揺れる透明は舌にのせると仄かに甘くて少し檸檬の味がする。
「甘いけどちょっと酸っぱくて美味しいアル」
「へぇ、夏にぴったりだね」
軽やかにまな板を鳴らしながら新八が優しく答えてくれる。
神楽はたたたと近付いて新八の隣に並んで立った。
「ん」
「え?」
ゼリーを掬ったスプーンをくっと新八の口元に寄せる。
「一口食べていいアル」
「くれるの?」
きょとんとする新八に頬がカッと熱くなる。
「は、8月だから特別ネ!」
「8月って……あ、そっか」
不本意そうに頬を赤くした神楽の様子に新八は、それが自分の生まれ月であることを思い出したようでさらりと意図を汲み取ってくれた。
「ありがと」
包丁を一旦置いて嬉しそうにゼリーを食べてくれる新八の口元を神楽はドキドキしながら見守った。
「ホントだ、甘酸っぱくて美味しいね」
「でしょ!」
自分が作ったわけでもないのに、新八がにこりと同意してくれた事が無性に嬉しくて。
「きっと銀ちゃんはもっともっと甘い方がいいっていうかもナ」
「あはは、酸っぱいのが余計だって言いそうだね」
「文句言ったら私が銀ちゃんの分も貰うアル!」
「喧嘩にならないようにね」
「ラージャ!」
「ここは暑いし、残りは向こうで食べてきなよ」
勿論ちゃんと座ってね、と笑われて神楽はえへへと誤魔化した。
踵を返すと扇風機の風が視界の端でレシートを煽る。
ひらひら揺れる白い紙片。
その意味を新八に聞いてみようと思った神楽はある事に気がついた。
薄くなった感熱の、レシートの日付にはっとする。
新八に問いかける事は止めにして神楽は居間へと移動した。
扇風機のスイッチを入れると首の向きを調整し、束の間の独り占めを満喫しながら改めてレシートの内容を思い出す。
買ったものはかき氷。
買った日付は8月の12日。
それは新八の誕生日だ。
そのキーワードで欠片だった記憶がだんだんと繋がってきた。
あれはまだ自分達が新八の誕生日を知らなかった頃。
一日掛りの仕事依頼の帰り道、あまりの暑さに耐えかねた銀時がコンビ二でアイスを奢ってくれた事があった……と言っても依頼料で懐が潤っていたというのが大きいけれど。
カキ氷を買った帰り道、土手に座って皆で食べた。
神楽は黄色のレモン味だった事を思い出した(因みに定春はロックアイス)
きっとあれはその時のレシートだ。
知らなかったあの頃はただの偶然だけど、新八がどんな気持ちであのレシートを取っておこうと思ってくれたのかを想像すると嬉しくて堪らない。
毎日開ける冷蔵庫に貼って、それを見る度に微笑んでくれたのかもしれない。
形としては銀時の奢りだったから神楽は食べただけだけれど、まるで自分が大事にされているようで倖せな気持ちになる。
一口分のゼリーを掬いスプーンを近付け唇を開く。
食べようとして。
もしかしなくてもこれは新八と間接キスになるのでは、という事にはたと気付いた。
脳裡に一瞬銀時の顔が浮かぶ。
それをふーっとかき消して神楽はスプーンを口に入れた。
勿論新八は贔屓なんてしないけれど、触れ合う分だけやっぱり銀時は特別で。
神楽だって新八に構ってほしいのだからこれくらいは大目に見てほしい。
疚しい気持ちなんかじゃなくて、これは銀時には内緒の新八の独り占めなのだ。
それにしても。
「銀ちゃんずるいヨナー」
9割マダオの癖してさ、と神楽は銜えたスプーンを上下に揺らした。
銀時と意味は違うけれど神楽だって新八が大好きだ。
もう誕生日だってちゃんと知ってるのだから喜んでくれる事を何かしたいと思っている。
暫くうーんと考えた神楽は、掬った塊に入っている金魚を見て閃いた。
銀時に透明なボール一杯に、これなんかよりもずっと大きいゼリーを作ってもらうのだ。
レモンソーダの中に金魚をたくさん泳がせて、扇風機の風にあたりながら皆で囲んで食べればきっと楽しいに違いない。
一人では作れないのが悔しいけれど、教えてもらって中に入れる金魚を自分で作ってみたい。
上手く作れないかも知れないけれど、どんなに不細工な金魚だって新八は絶対に笑ったりしないから。
想像だけでこの計画が途轍もなく素晴らしいものに思えてきた神楽は早く銀時に持ちかけたくてソワソワし出す。
気もそぞろに残りのゼリーを食べていると玄関の戸が開く音がした。
気の抜けた銀時のただいまに新八のお帰りなさいが重なる。
思わず浮き上がりかけた腰をソファに納め神楽は深呼吸を繰り返した。
焦ってはいけない。
銀時が居間に入ってくるまでもう少し辛抱しなければ台無しになってしまう。
だってこの計画は新八には絶対に内緒なんだから。
空のカップを目の前にして今か今かと銀時を待つ。
なかなか来ない銀時は多分台所で新八にちょっかいをかけているのだろう。
疲れて帰ると銀時はまず新八を補充する。
それを知っているから少しは待つけれど、これはとても重大なミッションなのだ。
早く来い来い天然パーマ。
心の中で召喚の呪文を唱えているとようやく銀時が顔を覗かせた。
手にはゼリーを持っている。
「たでーま神楽、これってオメーのお手柄なんだってな。ありがたく頂くわ」
既に数口分減っているところを見ると台所で新八とイチャイチャ食べたに違いなかった。
なんだか口の中が甘酸っぱい。
これは倖せの味なんだろうか。
銀時が向かいのソファに行くと座るのを待つのももどかしく神楽は身を乗り出した。
ゼリーで満ちたボールの水槽。
中で泳ぐ不細工な金魚。
新八は喜んでくれるだろうかと想像しただけで倖せな気持ちになる。
「お帰り銀ちゃん!あのネ、あのネ……」
終