姉を慕う弟と。
弟を慈しむ姉と。
たった二人きりの姉弟に、銀時の脳裏に浮かぶのは黒髪の。
愛車にまたがり風を切る、そんな気分には到底なれず銀時は疲れた身体を車体に預け、人影の絶えた夜の通りをのろのろと歩いていた。
“友人として姉に会ってほしい“
それだけのはずだった沖田の依頼は思わぬ事件を呼び込んで、遣り切れない気持ちを残して解決を迎えた。
病弱だったという沖田の姉。
成り行きで最後まで関わった銀時だったが、ほんの僅かとはいえ言葉を交わした存在の喪失は心を重くする。
彼女の最後を銀時が知る術はないけれど。
たった一人の姉を送ってしまった青年に銀時の中で重なる姿があった。
原付を所定の位置に止め、スナックお登勢の煌々と輝く看板を横目に階段を上る。
足は引きずるように重かった。
明かりの無い玄関は住人の不在を主張する。
がらりと戸を引けば案の定、中は静まり返っていて人の気配は無い。
何をする気力も湧かなくて靴も脱がずにたたきに寝転ぶ。
沖田の依頼があってから暫くここには帰っていなかった。
数日振りの我が家。
けれど心は安らがない。
在るべき者がいないからだ。
その存在がいなければ、ここは自分の場所であって自分の場所ではない。
客が来たのか帰るのか、スナックお登勢の戸が開いて閉まる。
今夜は多分眠れない。
下で酒でも飲ませてもらおうか。
ぼんやり考えていたら足音が階段を上ってきた。
銀時の耳はこの音を良く知っている。
聞き違えるはずはない。
けれど、この時間にいるはずがないことも知っている。
足音が止まると玄関のすりガラス越しにぼんやりとシルエットが浮かび、続いて戸が開かれる。
薄闇に紛れているけれどシルエットだけでも銀時にはわかった。
新八だ。
「うわっ」
開けて、閉めて。
履物を脱ごう、という段階で転がる銀時に気付いたのだろう。
新八が驚く。
「ちょっ、銀さん?」
かちり、というごく小さな音がして玄関の明かりが灯る。
常夜灯とはいえ闇に慣れた目には眩しい。
「ビックリした。……具合悪いんですか?」
手に抱えていた皿らしきものをカタリと脇に置き、しゃがみこんで銀時を覗き込む。
額に当てられた掌はひやりと冷たかった。
「冷てぇ」
「あ、ごめんなさいっ」
離れそうになる掌を上から押さえるように銀時は留めた。
「いーよ、冷たくて気持ちいい」
「熱はなさそうですけど……気分悪いですか?」
「良くないかも」
それは体調的なものではなかったけれど。
「えぇっ?もー、だったらこんなとこで寝てたら駄目でしょ。今布団敷きますから」
銀時の手と額の間からするりと抜けた新八の手。
今度は正面に回って腕を掴む。
片腕を両手で引っ張られて。
「起きてくださいよ」
上半身を起こされた。
「早く上がってきてくださいね」
銀時の上半身を引っ張りあげると新八は奥へと行ってしまった。
のそのそとブーツから足を抜く。
立ち上がってリビングへと向かう足は少し軽くなっていた。
「布団敷けましたよ」
リビングに入ると寝室にしている和室から丁度新八が出てくるところだった。
「おう」
返事はしたけれど銀時は寝室には向かわずにソファに腰掛けた。
テーブルの上には皿に乗ったおにぎりが二個、ラップに包まれている。
「寝ないんですか?」
「ん?……うん。これなに?」
向かいに座ろうとする新八を手招いて自分の隣に座らせる。
「銀さんのご飯」
「俺の?」
銀時は今日帰るとは言わなかった。
いつ帰るとも言わなかった。
沖田の依頼は一日で済むと思っていたものが不測の事態で進展し、新八たちに連絡することさえ怠っていたのだ。
「銀さんが食べなかったら神楽ちゃんの朝ごはん」
抱えた膝に頭を乗せて新八が銀時を見た。
自分が帰らない数日間、きっとそれは繰り返された作業。
自分が朝に帰ったなら新八はいつもどおりに出迎えて、多分ずっと知ることがなかっただろう事実。
「神楽ちゃんが一杯食べるもんだからご飯足りなくなっちゃって。お登勢さんの所で分けてもらってきたんです」
少しいびつな形で、それが不器用な新八の握ったものだとわかる。
不恰好だけれど、丸みを帯びた優しい三角。
「食ってもいい?」
新八が笑う。
「今お茶煎れますね」
冷めてしまったはずのおにぎりは、銀時を身体の中から温めた。
「今更ですけど。お帰りなさい、お疲れ様でした」
二杯目のお茶を銀時の湯飲みに注ぎながら新八が労いの言葉を告げた。
「ん」
「寝なくて大丈夫ですか?」
玄関で寝転んでいた銀時の事を気にしている。
「へーき、へーき。ちょっと疲れてただけだって。銀さんまだまだ現役だよ」
「そうですか?」
「まだぴちぴちの二十代だもん」
「そうですね」
いつもなら簡単に出てくる冗談みたいな軽口も今日はどこかぎこちない。
多分新八もそれを感じている。
新八もまた今日は多くを語らない。
銀時の横で膝を抱え身体を全て預けてくる。
「姉ちゃんのとこ、帰らなかったのか?」
ソファの上に足を乗せてしまい、膝を弄りながら新八に尋ねる。
右側の温もりが心地いい。
「おにぎり置いたら帰ろうと思ってたんです。今日は神楽ちゃんも行ってるから」
「そっか。タイミング悪かったな」
新八が銀時の右腕をぎゅっと抱きこんだ。
「いきなり居るからビックリしたんですよ?」
エンジン音がしなかったから気付けなかった、と。
「悪かった。まだそんなに遅くねぇし、今から送ってやろうか?」
腕の力が強くなって。
「銀さんもうちに泊まってくれるなら帰ります。そうじゃないなら……ここに居ます」
沖田の姉、ミツバの事件に関わって、たった一人の肉親である新八を妙から奪っている事実を自覚させられた。
二人きりの姉弟を、自分が裂いているという事実。
妙から新八を奪うことは罪深い。
それでも。
きっと、もう手放せない。
「新八」
身体を向ければ気付いたように新八が腕を放す。
両肩を掴みそっとソファに押し倒す。
足の間に膝を割りいれて。
「銀さんっ?」
少したじろぐ新八は、けれど逃げたりはしなかった。
銀時の着流しの袖を握り締めた手が少し震えている。
両手で細い首筋を辿り、指先で浮いた鎖骨をなぞって襟の合わせを掴む。
そうして、そのまま強引に左右に割り開いた。
「っ……」
新八の身体が緊張に強張るのが見て取れる。
肌蹴られた少年の肌はあまり日の光を知らず、甘く白い。
そこには女のような柔らかな膨らみも丸みもないけれど。
銀時にとって一番暖かくて優しい胸だった。
かしづくように顔を寄せる。
唇が触れると白い肌が震えた。
背中に腕を入れ細い身体を両手で抱きこむ。
それは縋るようにも見えたかもしれない。
自分はいつかこの身体を欲望で穢す。
人はそれを背徳と呼ぶのだろう。
けれど。
新八の腕がそっと銀時の頭を抱き締めた。
髪を撫でる指先が擽るように優しくすべる。
耳元の鼓動は早鐘を打っているけれど、肌はもう震えてはいなかった。
「銀さんが……好きです」
たとえただ一人の姉から奪うことになるのだとしても。
新八の、この声とこの腕が許してくれるのなら、銀時にとってはそれが全てだった。
どのくらいそうしていたのか。
新八が身じろいで。
「……っくしゅんっ」
肌を震わせた。
腕を解いて改めて見た新八は、辛うじて腕に袖が引っかかっている程度でほとんど前が肌蹴た状態だった。
銀時は慌てて着物を整えてやる。
「あー、なんつーか……その、悪かったな」
きちんとして居住まいを正してしまうと少しばつが悪い。
銀時は頭をかきながらぼそりと言う。
向かい合うように正座している新八は袴をぎゅっと握り締め、銀時の言葉にぶんぶんと首を横に振る。
「僕……ずっと銀さんの傍にいたいです」
銀時の心を見透かすような新八の言葉。
気持ちは伝染するのだろうか。
「銀さんが、僕のこと好きだと思ってくれてるなら、凄く嬉しいです」
銀時はミツバの叶わなかった恋を思う。
詳しいことは知る由もないが大方の想像はつく。
相手を想い突き放してしまうことも決して間違いだとは思わない。
不器用な優しさだと笑う人間もいるのだろうが新八に出会う前だったら、きっと自分もそういう選択をする。
でも。
もう出会ってしまった。
この存在を知ってしまった。
まっすぐに向けられるこの気持ちを跳ね除けることができるだろうか。
ましてやそれが欲して止まない相手ならば尚更だ。
もう二度と失くさないと決めたから。
最初から持たないのではなく、守ることの幸せを知ったから。
この手を離すのは、きっと命が終わる時だ。
柄じゃないからなんて変なプライドが邪魔をするから言葉にしてはやれないけれど。
身を乗り出すように近づいて、銀時は愛しい唇にゆっくり深く口付けた。
「11時か。微妙な時間だけど、今から送ってやっから帰るか?」
「銀さんは?」
「もちろん泊まらせていただきます」
「じゃあ帰ります」
「おっしゃ、んじゃ鍵とってくっから先下降りてろ」
「はい」
新八を先に降ろして鍵を手に取る。
取られるようなものは何もないけれど一応戸締りをして階段を降りた。
帰ってきたときはあんなに重かった何もかもが今はすっかり軽くなっている。
自分は思いのほか単純にできているらしいと銀時は笑う。
それを新八に見られ不思議そうな顔をされた。
「人様の家を訪問していい時間じゃねぇだろ?お妙にぶっとばされっかなと思ってよ」
納得したように新八も笑った。
「覚悟しといたほうがいいかもしれないですね」
「そん時は一緒に怒られてくれな」
「えー、やだなぁ」
「ちょっと新ちゃん酷くない?泊まってけっていったのは新ちゃんでしょ。ちゃんと責任とってよ」
「なんでオカマ言葉になってんですか。わかりましたよ。姉上から守ってあげるなんてのは無理ですしね。一緒に説教くらいますよ」
「俺たち運命共同体だもんな」
「変な事言わないでくださいよっ」
真っ赤な顔で怒る新八にどんどん心が解されていくのがわかる。
「馬鹿なこと言ってる間にも時間は過ぎてるんですから。早く行きましょうよ」
「了解、了解」
スタンバイした原付に新八が跨って、後ろから回された腕が腹の上で繋がれる。
その手を上からぽんと軽くたたいて銀時はキーをまわした。
「ほんじゃま、行きますか」
「お願いします」
銀時が来るとは思っていないだろうからきっとエンジン音を聞きつけたら薙刀を構えたお妙が飛び出してくるのかもしれない。
結構酷い扱いをしているように感じるが、お妙がどれだけ新八を大切にしているかは嫌というほど伝わってくる。
銀時も種類は違えど同じ想いを抱いている。
だからそれは磁石の同極同士のように反発しあうのかもしれない。
新八という鉄があるからこそ隣に立っていられるのかもしれなかった。
このかぶき町の癖のある磁石どもを新八は引きつけながら歩く。
お妙に限らず障害は多そうだ。
でも、最後にこの手を掴むのは自分だと。
しがみ付く手にもう一度触れて。
「しっかりつかまってろよ」
背中に新八の鼓動を感じつつ、銀時は軽快なエンジン音で愛車をスタートさせた。
20061111UP
「ソライロ」様に捧げモノ第二弾(笑)
ミツバ篇の自分なりのフォローです。
新八のイメージはやっぱりおにぎりだなって。
原作もアニメもそんなエピソード出てきやしませんが(笑)
寧ろおにぎりつったら坂田ですかね、仔銀。
けど、これを書いたのは空知先生があれを書く遥か以前なので(笑)後付ですけども、坂田におにぎりが似合うからそれを新八に作って欲しい、と思うのかな。
万事屋も銀新も志村姉弟もみんな愛しいなって思うので、いろんなジレンマを抱えつつ坂田さんも私も(笑)頑張っていかないといけないよなと思うのでありました。
20100306 もんぺ
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