「お待たせしました」
湯飲みと皿を銀時の前にコトリと並べる。
湯気の立ち上るほうじ茶とお茶請けの塩大福。
昨日妙が客に貰ったと六個持ち帰った品物だ。
「おう、あんがとな」
湯飲みを取った銀時が、一口啜ってホッと息を吐いた。
「うめぇ……けど緑茶じゃねーの、珍しいな」
にやりと笑ったその口で大福を頬張る。
えっと思って銀時を見ればしたり顔。
「いっつも緑茶、飲んでんだろ?」
見ていてくれた。
そんな単純な事に心は弾みそうになる。
「あの……姉上が、好きなんです」
大福を食べてお茶を飲む。
単調な作業を繰り返す銀時の横顔を、新八は緊張を籠めて見つめた。
妙を、ひき合いに出してしまった。
「ふーん」
返ってきたのは拍子抜けするほど気のない相槌。
それに少しホッとして。
ホッとしてしまった事に軽く自己嫌悪する。
誤魔化したくて湯飲みを口元へと運んだ。
「き、今日は、何かあったんですか?」
湯飲みと皿を空にして、後ろ手をついて庭を眺める銀時に声をかける。
休みを貰ったのにわざわざ出向いてくるなんて、何か用事だろうか。
「ん? 別に。なんもねぇけど?」
答えは簡潔だ。
「それ、食わねぇの?」
質問を意に介した風もなく、銀時の指が形だけ用意した手付かずの新八の皿を差す。
生菓子だから早く片付けないと、と半分ずつのノルマを課して、結局妙は一つ食べただけ。
頑張ってノルマを果たした新八は、正直もう見るのも嫌だった。
「食わねぇならくれよ」
糖尿の気があると言っていたから少し戸惑ったけれど、新八は自分の前にある皿を銀時に差し出した。
「どうぞ」
礼を言って銀時が口へと運ぶ。
新八は空になっている銀時の湯飲みに二杯目のお茶を注いだ。
「はは、お前の姉ちゃんすげぇのな」
大福をいらない理由を話すと銀時は可笑しそうに口元を緩める。
それを見たらここに来た理由は一つしかないんじゃないかと思った。
「あの、姉上は出かけてます」
妙に、会いに。
万事屋として新八に用がない以上はそれ以外に思いつかなかった。
「あ?」
「今日はおりょうさんと買い物に行くって。もう少し早く来てくれたら居たんですけど……」
銀時の目が新八を見る。
何故だか居たたまれなくて、半分中身の入った湯飲みを握り締めた。
冷めてしまったお茶のぬるさが手のひらに頼り無い。
「聞いてねぇし。そこで姉ちゃんが出て来る意味がわかんねんだけど?」
不機嫌そうに銀時の片眉が上がった。
「でも、だったら何しに……」
何故だか怖くて視線が下がっていく。
「お前の、顔見に」
耳を疑う言葉が聞こえて、新八は思わず下げた視線を銀時に向けた。
言った本人は新八を見もせず、何かを誤魔化すようにそっぽを向いて顎を掻いていた。
「なんかよ、お前最近元気ねぇじゃん? やっぱ上司としては気になるっつーかよ」
「あ……」
思ってもみなかった意外な理由に新八は言葉を詰まらせた。
銀時は、仕事の用事ではなく新八自身の事を気にして来てくれたのだ。
例え上司としてでも新八にとっては嬉しくて。
さっきから嬉しい言葉ばかりをくれるから、抑えようとしている気持ちがどんどん積もって溢れそうになる。
諦めようとしていたものについ手を伸ばしそうになった新八は、冷たくなってしまった湯飲みにまた縋った。
「休みとってまで掃除したいなんてよ、どんだけ忙しいのかと思ったら寝てるしよ」
「……ごめんなさい」
「や、別に謝る事じゃねぇけど。お前さ」
膝に肘をついた銀時が前屈みに顔を覗き込んでくる。
「ちゃんと寝てっか?」
労るような眼差しに、鼻の奥がツンとした。
「何言ってんです……寝てます、よ」
声の震えを抑えると、息が詰まる。
この震えがどうか伝わりませんようにと、祈るようにゆっくりと息を吐いた。
「ぐっすり眠れてんのかって事。なんか悩んでんじゃねぇの?」
銀時の言葉は図星だけれど。
白状できるものではないから、新八はただ否定に首を振った。
「悩んでなんか……」
「けどよ、姉ちゃんが嫁に行っちまったって、さっき泣いてたぞ?」
心臓が、とくんと跳ねて。
夢の欠片が、胸を刺した。
「おい、新八……」
「え?……あ」
目の前の銀時が急に慌てて、新八は頬を濡らすものに気付かされる。無意識を意識したらもうそれを止める事ができなかった。
妙の手を取ったくせに、隣で優しく笑っていたくせに。
夢の中の銀時に半ば八つ当たりみたいな理不尽な気持ちを止められなくて、新八は腰を浮かせた。
このままここに居たら、馬鹿な事を口走ってしまいそうだった。
「っ……」
立ち上がろうと浮かせた腰が、上がりきれず勢いの反動で引き戻される。
目をやれば銀時の手が腕を掴んでいた。
「離してください……」
片腕を取られたままどうする事も出来ず、新八はただ自分の膝を見つめる。
掴まれた肘の辺りから震えだしそうだった。
「ここに、来いよ」
新八の訴えは虚しくかき消され、俯いた視線の端で銀時の手が自分の膝をぽんと叩く。
「や……です」
「駄目。上司命令だから」
その言葉に、従う謂れはなかったけれど。
誘惑に勝てない浅ましい自分が顔を覗かせる。
「上司命令」を免罪符に新八は被害者のふりで身を起こす。
膝立ちになって銀時を見下ろせば、掴んだままの腕がそっと引かれた。
「膝、跨いで座れ」
銀時の真意が見えないまま、のろのろと身体を動かす。
浅ましさと、している事の羞恥に襲われ顔が燃えるように熱い。
目の前の顔を見る事など出来るはずもなく、ただぎゅっと目を閉じて俯いた。
軽く身体が圧迫されて銀時の腕が回ったのだとわかる。
鼓動が速まって、息が出来なかった。
意味さえ教えられない拘束はただ優しくて、指先一つ動かす事が出来ない。
好きになってはいけない人を好きになった事の、これが罰なのだろうか。
「お前、ホントに姉ちゃん好きなのな」
髪をクシャリとされた。
「あー、やっぱな。確定しちゃったよ、これ……」
耳元でボソリと銀時が呟いた。
その意味を考える余裕は新八にはない。
「あんさ、新八」
今度は意思を持って問いかけられる。
「は、はい」
「俺の今やってる事って、セクハラ?」
「は……?」
「こんなんされるの、やっぱ嫌か?」
銀時が指すのは恐らくこの抱き締められている状況の事なのだろう。
嫌ではない。
けれど、その本心を伝えたとてどうなるものでもない。
「上司が変態でも、仕事続けてくれたりする?」
「え……?」
ぐいっと身体を離されて。
「おっさん、十六歳に恋しちゃった」
見つめる瞳は真剣なのに、その言葉は俄かには信じがたい。
「う、嘘……ですよ、ね?」
「何で?」
心の底で望みすぎて、夢と現実が混ざってしまったのだろうか。
もしかしたらまだ眠っているのかもしれない。
「おら、新八。逃避すんな」
「んっ」
両手で顔を固定された。視線から、逃げ出せない。
「だって……だって、そしたら姉上は……」
「……お前さぁ、なんか変な勘違いしてね?」
「ち、違うんですか?」
銀時ががくりと項垂れる。
「何がどうしてそういう勘違いが生まれんの?おっさんに十代の思考回路を教えてちょーだい」
「……助けて、くれたじゃないですか」
そう呟いたらぎゅうぎゅうに抱き締められた。
「ばっか、おめ、ありゃ新八が姉ちゃん助けたいっつったからだろ?」
「そ……なんです、か?」
「そだよ。お前の不器用な意地っ張り涙に絆されちゃったの。姉ちゃんはありゃ、天敵。ハブVSマングースみたいなもんだ。俺、牽制されちゃったよ?」
初めて知る事実に新八は目を丸くして、つい銀時を見つめてしまった。
「俺が自覚する前なのに、なんか感じてたみてーでよ。悔しいけど、姉ちゃんのが一枚上手なのな」
抱き締めて、確信したのだと。
回した腕を強くして、銀時が教えてくれた。
叶う事のない、叶う筈のない望みだと思ったのに。
一生胸に仕舞っておくものだと思ったのに。
どうすればいいだろう。
「ぼく……僕、銀さんの事すごく、好きで。でも、銀さんは姉上の事、好きなんだって思ったし。僕の気持ちは間違ってるから……こんなの……こんなのあるはずないって……」
突然起こった奇跡みたいな事実に言葉を上手く綴る事が出来ない。
それでも何かを伝えたくて浮かぶ言葉を声にしていく。
「ゆ、夢だったら、どうしよう……」
手に触れた、銀時の着流しをぎゅっと握り締めた。
こんな風に銀時の温もりに触れられる日が来るなんて、夢でだってなかった事なのに。
「いやいやいや、これ夢だったら俺が暴れるからね」
少し焦るような色を含んだ銀時の声が可笑しくて、つい肩が揺れてしまった。
「おい、新八君……って、お前……」
「……?」
抱き締めた腕を解いて見つめられる。
銀時の指が瞼の淵をそっとなぞった。
「新八、眼鏡してねーとすげぇ無防備だな。今日はお前の涙、たくさん見た」
知らず流れていた涙を指摘されて思わず顔が熱くなった。
きっと今日は今まで我慢していた涙を全部流してしまったのかもしれない。
だって、本当に夢みたいで。
今だってまだちょっとだけ疑っているのだ。
「本当に、僕の事……好きなんですか?」
目の前にあるのはいつもと変わらない茫洋な表情。
少しだけ目が真剣かもしれないな、とは思うけれど。
「好きなんですよ」
「僕が……銀さんの事好きでも、いいんですか?」
口に出す事のできない望みだと思っていた。
「勿の論。寧ろ、お願いします」
銀時が頭を下げる仕草をして、互いの額が軽くぶつかった。
嬉しくて緩んでしまう口元を、取り繕う事は難しかった。
「やっと笑ったな」
額をつけたままで視線が絡む。
「最近ずっと元気ねぇからホント心配してたんだって。まさかこういう展開になるとはな。日頃の行いですかね」
それはどうかと思ったけれど。
目の前で銀時の瞳が柔らかく溶けて、その眼差しに新八も溶かされる。
気が付けば胸の中の黒い塊はどこにもなかった。
「銀さん」
「ん?」
「あの……」
「何よ」
瞳が近すぎて、口から心臓が飛び出しそうだった。
額を銀時の肩に落とし強く瞼を閉じる。
「あのっ……キッ、キスしたいんですけどっ」
耳が、燃えるように熱かった。
銀時が身じろぐ衣擦れの音がやけに大きく感じた。
耳が何かに覆われて、顔を上げられた事でそれが銀時の手のひらだと知れる。
「俺あんまさ、幸せ慣れしてねぇから。こんなん続くとちょっと怖いんですけど」
幸せ≠口にしながらも、困ったような銀時の顔。
「こんなにたくさん、貰った事ねぇからよ」
赤茶色の瞳の中で、包み込む優しさと抱き締めたくなる寂しさが交じり合う。
この時の銀時の瞳の色を、新八は一生忘れないだろうと思った。
叶わないかもしれないと、気持ちを胸に抱えて丸まっていた自分はなんて馬鹿なんだろう。
貰う事ばかりを考えて、諦めながら怯えていた。
でもそうじゃない。
与えたい。
何もくれなくていいから、ただ目の前のこの人に何かをあげたかった。
自分の持っている全部をあげてもきっと後悔はない。
最初から、それに気付けば何も怖くなかったのに。
でも気付く事が出来て、良かった。
「キス、したいです、銀さん……」
長い指が髪の隙間を撫でていく。
赤味の強い茶色い瞳が優しく緩んで、まるで気のせいだというように薄っすらと濡れた。
それを自分だけの秘密にして、新八は自分を甘やかしてくれる唇にそっと触れた。
生まれて初めての口付けをこの人と出来る事がとても嬉しかった。
緩やかに触れる唇は、焦る事無く新八を濡らして。
赤く熟れた薄い皮膚を優しく齧る。
長く短い口付けを終えると、銀時の唇が確かめるように頬を滑った。
「なぁ」
「は、い……」
頬から続いた唇は迷う事無く耳へと向かう。
耳の下辺りをそっと吸われ、しがみ付く手に意識しない力が篭った。
「今日これから昼出勤しねぇ?」
「え?」
「折角気持ちが通じ合ったんじゃん? ここじゃなんか落ちつかねぇんだよ」
そう言いながら脈に歯を立て、手が緩やかに襟元を寛げるのに新八は慌てた。
「ぎ、ぎぎ銀さんっ?」
「んー?」
鎖骨を舌で辿られて肌がぞわりと粟立つ。
想いが通じ合って、ここでは落ち着かなくて、万事屋に来いというその意味は。
「あ、あのっ、僕まだ覚悟っていうか、その、嫌とかじゃないんですけどっ、な、なんていうかその……」
脳裏に浮かぶあられもない想像に新八の頬は赤くなるばかり。
どもりながらも言葉を綴る新八は、首元に埋まったままで微かに震える銀髪に気付いた。
暫くみていると肩まで震え出して、やがてぎゅうっと抱き締められた。
「もー、お前すげぇ可愛い」
「じ、冗談なんですか?」
「いんや」
下唇を緩く吸われた。
「新八がいいなら俺はいつでもスタンバイOKよ?」
にやりと笑う口元は初めて見せる男の色気を漂わせ、口付けの、その先を仄めかす。
それだけの事に鼓動が早まる。
「う」
「ま、急がねぇから心配すんなって事だ、な?」
子ども扱いでは決してなく。
並んで歩く時、自然に歩調を合わせてくれるさり気無い優しさで銀時は待ってくれる。
早く大人になりたくて。
でももう少し、この人の隣で子供でいたくて。
「ぎ、銀さんがいいなら、僕はいつでも……いい、です」
委ねてしまう事はずるいと思ったけれど。
銀時が望むのならば、それがなんであろうと受け入れられる確信があったから。
今は居心地の良さに溺れていたかった。
「じゃあとりあえず、今から万事屋に帰んぞ」
抱き締められて、手のひらが後ろ髪を撫で下ろす。
指先に項を擽られて背筋が震えた。
「んで、今日は泊まってけよ?」
「は、はい」
「あと……」
ごそごそと銀時が動いて、ぎゅっと閉じていた目元に何かが触れた。
目を開けば見慣れた視界。
「基本眼鏡はかけとけな。無いとお前無防備過ぎっから」
笑う口元が楽しそうで。
新八は誘われるままにそっと唇で触れてみた。
一瞬だけ銀時の動きが止まって。
「誘惑しないでくんない?」
「だって、したかったんですもん」
身の内から湧き上がる、愛しいという感情を止められなかった。
素直に見つめれば、銀時は困った時の癖でガシガシと頭を掻く。
忍耐だとか努力だとか、口の中で呟いているのが微かに耳で拾える。
「新八君、おっさんの純情を舐めんなよ?ぜってー今日は我慢すっから」
我慢する必要なんて何もないのに。
真面目な顔でそう言うから、新八はつい吹き出してしまった。
大事にされている事が嬉しくもあり恥ずかしくもあり。
銀時が与えてくれるドキドキと安心が、交じり合って新八を満たす。
それは心の中までをも温めて、少しずつ新八の瞼を重くしていった。
「銀さん、今日はなんか甘い匂い、しますね」
肩口に頬を預け、ぼんやりとした意識の淵でふと気付く。
「ああ、忘れてた」
銀時が少し身じろぎ袖口から何かを取り出した。
途端に空気の甘さが一層強くなる。
銀時の手に握られているのは一枝の沈丁花。
「来る途中でちょっと貰ってきた」
袖の中に突っ込んでくる無頓着さがらしくて口元が緩む。
帰り道で、好きな香りだと言った言葉を覚えていてくれたのだろうか。
「いい匂い、ですね」
銀時の想いと沈丁花の甘い香り。
優しい二つが交じり合って新八をどんどん眠りの淵へと誘いこむ。
銀時の、腕の中で眠る日が来るなんて夢にも思わなかったのに。
目覚めた時にこれが夢でなければいいなと少し思う。
「新八、寝ちゃうの?」
「ごめ……なさ、い……少し、だけ」
「んー、じゃ俺も寝っかな」
新八を抱えたまま、銀時は器用に身体を倒した。
その胸が新八を受け止める。
「俺の傍で寝んだから、眼鏡はいらねーよな」
「ん……」
眼鏡を外した手がそっとこめかみを撫でて、新八はゆっくりと意識を手放した。
そのぎりぎりの淵で。
「なぁ、姉ちゃんが帰って来る前には頑張って起きてくれな」
という銀時の呟きを拾った気がした。
姉に勝つなど到底無理だけれど、せめて少しでも銀時を守れるようにと着流しを握り締めたところで新八の意識は途切れてしまった。
傍らに置いた一枝の、甘い香りが二人を包む。
重なり合い、同じ匂いに包まれて。
もしかしたら二人は一つの夢を見ているのかもしれない。
風が柔らかく吹き抜けて、花の香りを散らしても。
二人の夢の中は、甘い香りで満ちているに違いなかった。
終
20070702
20100106 改訂
沈丁花は雨の日にふと香る、というイメージがあります。
甘酸っぱいようななんともいえない優しい香りが昔から大好きです。
存在を主張はしないけれどふとした時に気付く感じとか、何となく新八っぽいですよね。
そう思うとこれまた一段と愛しい花に見えてまいります(笑)
読んでくださった皆様に少しでも花の香を感じていただければ幸いでございます。
どうもありがとうございましたv
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