雨上がり





青空を覆い隠すように低く垂れ込めた鉛色の雲。
隙間なく詰まったそれは差し込む日差しの一切を遮る。
出てきた店の軒先で、薄暗い曇天を睨みつけた銀時はその色に負けないくらい重い溜息を一つ吐いた。
青を隠す雲の色は先程まで軽やかに弾いていた銀色の玉を連想させるのに、同じ鉛色に生じる差は大きい。
あまりにも違いすぎるそれが忌々しくて、視線の先の色の鈍さに小さな舌打ちをすると銀時はそこから目を逸らした。
立ち尽くす店の前。
背にした扉は来る者拒まず、去るもの追わず。
非情なガラス板から吐き出される人の背は皆一様に打ちひしがれて項垂れている。
けれど稀に蹴り倒したいほど浮かれたものも一つ二つあって。
埒もなく脳裡に浮かぶ愚痴は“ 世の理とはなんぞや ”
開閉の度に鮮明に漏れ聴こえる賑やかなBGMを、数時間前までは銀時も心地良く聞いていたのだ。
開店前に列に並び、開店と同時に戦闘を開始する。
直感で選んだ台に張り付いて、心が折れそうになりながらも粘り続けた。
台を替える事も考えたけれど粘っていればもしかしたらという微かな希望に踏ん切りがつかず、ついつい夢を追い続けてしまった。
だがしかし、夢の背中は遠かりき。
こない時は何をどう頑張ってみた所で無駄なのだった。
軍資金も底を尽き、更に追い討ちをかけるように両隣は大フィーバーで盛り上がる。
そんなところに挟まれた気分が宜しい筈も無く、潮時かと見切りをつけて席を立った。
昼を目前にしての戦線離脱だった。






軽くなってしまった懐に重石のように手を突っ込んで、扉を出れば視界に飛び込む鉛色。
傷口に塩を塗りこまれたような気分になって思わず立ち尽くしてしまった。
結果だけ見ればいつも通りといえなくもない。
だからここまで憂鬱になる必要もないのだけれど、銀時にはそうなるだけの理由があった。
玉を弾いていた軍資金の出所が、箪笥の中の封筒から抜いたものだったからだ。
当初の予定では抜いた分をきちんと戻し、残りを懐に収める筈だったのだがその結果は見ての通りの惨敗で。
誰も同情などしてはくれない、自業自得なのだと銀時自身わかってはいる。
けれど、万事屋に帰った時にどんな顔の新八に迎えられるだろうかと思うだけで気分はどうしようもなく重くなるのだ。
そこに追い討ちをかける鉛色の空があって。
正に行きはよいよい帰りは怖いを地で行く心境なのだった。
空から下ろした視線を通りに向けた銀時は、行き交う人を眺めながら空模様と同じく曖昧だった結野アナの天気予報を思い出していた。
『本日の降水確率は女心と同じでしょう。気が向いたらフるかもしれませんよ?』
ツッコミたくなるようなお気楽予報を聞いた後、何となく運試しのつもりで傘を持たずに外出をした。
降るかもしれない、けれど降らないかもしれない。
空はまだ答えを出さない。
いっそ降ってくれたなら、諦めて濡れる覚悟もできるのに。
かもしれない、なんて曖昧で残酷だ。
その言葉に振り回されて、傘を持たない人達は皆一様に降り出しそうな空に怯えて歩調を速めている。
そこに自分の姿を重ねた銀時は己の勝手な運試しを棚に上げ、曖昧な態度で焦らされるから性質が悪いのだと半ば八つ当たり気味に心中で毒づいた。
いっその事降り出すまで待って濡れていこうかと、思考にまで雲がかかってきたところに聞き慣れた声がした。
「銀さん?」
反射的に視線を向ければ閉じた傘と買い物袋で両手を塞がれた新八が立っていた。
重心がやや左に傾いている。
傾きの原因は右手に提げた最近愛用のエコバッグ。
ずしりと重そうな布製のそれは容量オーバー気味に膨れている。
締まりきらない口元からは徳用の醤油ボトルの赤いキャップが覗いていた。
その色を見た銀時はぎくりとする。
昨日、とっくに片付け終わった綺麗なテーブルで銀時が遅めの朝食をとっている時に新八は向かいでチラシのチェックをしていた。
あ、と声が聞こえた次の瞬間、中の一枚をすっと茶碗の横に差し出され今日の売り出しにつき合う事を約束させられた……という経緯を今思い出したのだ。
「よぉ……買い物か?」
思い出したからといって今ここに自分がいる現実がある以上じたばたしても事態は変わらない。
それでも拭えない気まずさはやっぱりあって、言葉は僅かに濁った。
「暇そうですね」
軽く挙動不審な銀時に新八は溜息と共に冷めた一言をかける。
約束はしたものの然程あてにはしておらず、今更何をか言わんやというところなのだろう。
本人よりも銀時をわかっている。
「どんだけ負けたんですか?」
色の薄い新八の声は非難ではなく確認。
選択肢のない問いかけに、非は自分にあるとわかっていても思わず文句が出た。
「おいおい、なんで最初からその問いかけ?この場合質問は二択じゃないとおかしくね?」
「聞くだけ時間の無駄ですよ、だって明らかに負けましたってオーラを着込んでるじゃないですか」
全てを見透かされている。
だがそれを素直に認めてしまうのはなんだか癪で。
「この物騒なご時世によ?懐が重いと逃げ足鈍るからどんな状況にもすばやく対応できるようにフットワーク軽くしとこうっつー銀さんの生活の知恵がわかんねぇかな」
思ってもいないでまかせはすらすらと口から流れ出る。
「知恵って言うならもっと利巧な事考えて下さいよ。大体こういうご時世だからこそ地に足つけてなきゃいけないんじゃないですか」
だがそんなハッタリが通用するはずもなく、呆れたように言い捨てた新八は袋の持ち手を握り直した。
それを目に留め銀時はその手から袋を取り上げる。
「持ってやるよ」
こんな事で己の所業は帳消しにはならないが、何もしないよりはましな気もする。
2リットルの醤油ペットに+αの買い物袋は銀時の手にもずしりと重い。
コレを一人で抱えて歩いていたのかと思ったら、流石に罪悪感が湧いた。
「調子いいなぁ、もう。でも、ありがとうございます」
僅かに膨れつつも新八は甘んじて受けてくれるようだった。
そっとずれて、店の邪魔にならないように銀時の隣に並ぶ。
「今日はどうして原付じゃないんですか?」
乗ってこなかった原付は建物脇の奥、定位置に停めたままになっている。
新八は出掛けにそれを見たのだろう。
重さで痺れた右手をぷらぷらと振りながら尋ねられた。
「燃料費も馬鹿になんねぇからよ、たまには歩くのもいいんじゃねぇかと思ったんだけども……ねぇ?」
空しく響くなと流石の銀時も思ったが、節約の為にと思って徒歩にしたのは嘘ではなかった。
だが行き先がここでは何を言っても説得力に欠けすぎた。
浮いた燃料費は銀の玉になって戻ってくるはずだった、という男のロマンは残念ながら新八には通用しないのだ。
案の定、銀時の弁解に返って来たのは言葉ではなく少しだけ呆れた視線と溜息。
果たして新八は薄くなった箪笥の封筒に気付いているのだろうか。
「あーーーーーと雨、降りそうだな」
真実を知るのが怖くて、話題を変えたくて。
銀時は慌てたように再び空を仰ぎ見る。
見上げた鉛色はさっきよりも色を濃くして、昼間とは思えないほどの陰りを作り上げていた。
もういつ降り出してもおかしくはない。
「そうですね」
新八も同じように空を見上げて話題転換に乗ってくれた。
こんな時、自分は甘やかされていると感じる。
「降り出す前に早く帰りましょうか」
当たり前のように帰宅を促して、一歩踏み出した新八が銀時を振り返る。
その姿は薄暗い世界の中でただ一点、銀時の視界に鮮やかに映る。
「銀さん、来ないんですか?」
動かない銀時を促すように新八の指が着流しの袖を引く。
軽く引かれたその力で一歩を踏み出した。
さっきまで降るかもしれない不安を抱えて軒下から出る事を躊躇っていたのに、新八に袖を引かれるだけで不思議とそんな気持ちは綺麗にどこかに消えてしまう。
銀時が一歩踏み出すと、並ぶのを待っていた新八も一緒に歩き出した。
「あ」
しばらく歩いていると新八が空を見上げた。
「降ってきちゃいましたね」
新八が確かめるように上向けた手の平に透明な雫がぽつぽつと落ちるのが見えた。
銀時の頬にも雨粒が当たる。
乾いた地面にも色濃い点がつき始め、濡れるに従って辺りに雨の匂いが立ち込め始めた。
少しずつ強くなる雨足に通りはたちまちに騒然としだす。
「わー、待って待って」
新八が走り抜ける人波に当たらぬように傘を開こうと悪戦苦闘しているのを待ってやる。
人を避けながらやっとの事で開いた傘を銀時にもかかるように天にかざした途端、それを待っていたかのように雨はシャワーのコックを強へと切り替えた。
点だった地面の染みが見る間に面へと広がっていく。
「危なかったー、間一髪でしたね」
傘の布地に叩きつける雨音が新八の声を掻き消そうとする。
よく聞こえなくて耳を近付けたら“ 間に合ってよかったですね ”と嬉しそうな声が耳を打った。
次々に開き出す傘の花で通りが華やかに彩られ、防ぐ手立てのない人々はその合間を縫うようにして足早に駆けていく。
中には店の軒下に避難する姿もあったが、その着衣は今更避けたところでというほどに濡れているのが殆どだった。
「最近こういう雨、多いですよね」
滝のような雨は強く地面を打ちつけて、跳ねる飛沫が容赦なく足元を濡らす。
銀時はともかく、草履に足袋の新八の足元は見るも無残なものだった。
降りは視界を翳ませるほどに本格的で、傘はあっても足元は濡れる。
それでも、二人を守る緩やかな覆いの下の空間に銀時は心地良さを感じていた。
「銀さん、傘と荷物交換しません?」
自分より背の高い銀時に合わせて不自由そうに伸ばされた新八の腕。
緩い袂から覗く肘の白さが銀時の目を楽しませてくれる。
「交換?」
「銀さんの方が背が高いから手が疲れちゃうんですよ、駄目ですか?」
「えー」
「銀さんがさした方がバランスがいいじゃないですか。代わりに荷物持ちますから、ね?」
新八の申し出に銀時は暫し考え込む。
傘を持つのは吝かではないが、袂から覗く肘の観賞もかなり捨て難い。
だがきらきらとした新八の目には勝てなくて。
「仕方ねぇなぁ」
渋々という態を崩さずに返事をすると新八の顔が綻んだ。
「ありがとうございます」
どうという事はない遣り取りの、仄かに甘いむず痒さ。
つい口元が弛みそうになって銀時は慌てて引き締めた。
新八の手から傘を受け取りかざし持つ。
「じゃあ僕荷物持ちますね」
新八が空いた手を伸ばす。
だが銀時は届かぬようにやんわりと荷物を遠ざけた。
「いーよ、今日は銀さんが持ったる」
「でも……」
持たせてもらえない事に困ったように下がる眉尻。
傘も荷物も、では新八も気が引けるのだろう。
「帰ったらサービスしてくれたらこんなん帳消しだし。期待してっからさ」
気分を軽くしてやろうと半分くらいは冗談のつもりで発した言葉に新八がさっと頬を染めた。
「さっ、サービスって何ですかっ」
何をと言った訳でもないのに新八のみせた反応に、銀時は日頃の己の所業を思い知らされた気がした。
意識してはいないのだがどうも普段から銀時のちょっかいはそちら方面が多いらしい。
「や、別に膝枕とかでいいんだけどよ」
「う……」
銀時の答えに自分の勘違いを悟った新八は返す言葉を探しきれなくて、まるでなかった事にするように咳払いを一つした。
「き、今日は朝から曇ってたのにどうして傘持って出なかったんですか?結野アナも降るかもしれませんって言ってたじゃないですか」
おかしな勘違いをさせてしまったのは銀時の日頃の行いの所為もある。
可愛いく誤魔化す様子も見られて寧ろ役得だったと、銀時は誤魔化しに乗ってやることにした。
「俺の計算じゃ帰るまでは降らない予定だったんだよ」
「予定って……現に今降ってるじゃないですか。しかもこんな土砂降りだし。僕が来なかったらずぶ濡れでしたよ?」
「ちげーって、これは新八が来たから降っただけで、来なかったら降ってねぇの。銀さん、運強いのよ?」
「降ったのは僕の所為だって事ですか?」
「そうなんじゃねぇの?」
「だったら何であんな所で突っ立ってたんですか」
「……」
痛いところを突かれては黙るしか術がない。
けれど新八は銀時を黙らせた事で溜飲が下がったらしく、その後の追及は無かった。
銀時は隣を歩く新八の、肩口に届く丸い頭を見下ろした。
真っ直ぐに前を見て歩く綺麗な姿勢は首筋から肩、背中へと繋がって、猫背の自分とはまるで対照的な線を描く。
人の姿はその心を映すというけれど、新八を見ているとなるほどなと納得してしまう。
店の前で会ってから軽い小言はあったものの、新八は銀時を責める言葉を発していない。
箪笥預金を勝手に持ち出した時点で互いの立ち位置は既に対等ではない筈だ。
新八が金の出所に気付いていないのだとしても、銀時がこの場所にいたという事だけで既に立場は確定している。
にも拘らずそこに付け込まない新八のこの善良さは何なのだろうか。
以前何かの折に攫いやすそうだと思った事があるが、新八には須らく“ ○○やすそう ”という表現が当て嵌まってしまいそうだ。
簡単に騙されて、知らない誰かの後をぽてぽてとついていく様が目に浮かぶようで銀時は内心で頭を抱えた。
「新八さ、その……何処までばれてんの?」
新八のこのある意味暢気な態度は自分の所業を何処までわかってのものなのだろうか。
「何がです?」
「だから……今日の軍資金、とかよ」
万事屋の通帳を管理しているのは新八だが、財布の紐を完全に握っているわけではない。
収入の中から銀時が小遣いを抜き取って、その残りで新八がやりくりをしてくれている。
給料の事で散々文句を言われてはいるが、全てを渡した中から小遣いを貰うという形に納まってしまったら社長としての立つ瀬がないと銀時が譲らないでいるからだ。
少ない中から頑張って貯めている事を知っていた。
箪笥にあったのは新八の努力の賜物なのだと。
それに手をつけた自分は最低だったと銀時は今更ながらに反省した。
「……悪かった」
「何がですか?」
ボソリとした小さな謝罪を新八はちゃんと拾ってくれた。
でもどうしてか返ってきたのはとぼけたような返事。
「何がって、箪笥の金……」
戸惑いながらも銀時は己の罪を暴露する。
知っていたのか初耳なのか。
銀時を見上げてにこりとした新八の笑顔から判断するのは難しかった。
「近所で買い物してると色んな人が声をかけてくれるんですよ」
「は?」
突然の新八の言葉に脈絡を見つけられず、返す言葉の間が抜ける。
新八は特に怒っている風でもなく、淡々と言葉を綴る。
「お年寄りから小さな子まで、それこそ色んな人が声をかけてくれて」
「なにそれ、いきなりナンパ自慢?」
新八が色んな店の店員や常連客と仲がいいのは知っている。
時々買い物についていくと如何に新八が気に入られているのかがよくわかるのだ。
何処で買い物をしても、いつも何かしらおまけをしてもらっている。
親しげに話す様子を内心ヤキモキしながら見ている事は知られたくないけれど、つい言葉が尖ってしまう。
「違いますってば」
銀時のおかしな言いがかりに新八が笑った。
「銀さんに宜しくねって言われるんです」
「俺?」
「そうです」
新八の言わんとする事がよくわからない。
しかもさっきの自分の反省が放置常状態なのも妙に落ち着かない。
困惑する銀時を見る新八はどこか楽しげだ。
「仕事が軌道に乗ってようやく余裕ができたからとか、頑張ってお小遣い貯めたとか」
話し続ける横顔から伺える新八の表情はとても柔らかい。
「銀さんがお金を貰わないで助けてあげた人達が少しでもって、報酬を支払いにきてくれるんですよ」
「けど、誰もそんなの一言も……」
慈善事業のつもりはないが、已むに已まれぬ事情のある者や成り行きで関わってしまった者から金を貰わない事はたまにある。
その時の相手に行き会う機会も何度かあったがそんな素振りは一切なく、正に寝耳に水の報告だった。
「銀さんに直接言っても受け取らないでしょ?」
「そりゃ……一度いらねぇって言ったもんを今更受け取れねぇじゃん」
「だから、皆さんそういうのをわかってるから僕に渡してくれるんですよ」
気持ちでくれるものを貰わないのは返って失礼だからと有難く受け取って、それを内緒で箪笥に貯めていたらしい。
「パチンコに使っちゃうのは正直どうかなって思いますけど、まぁ覚悟はしてましたし……それにあのお金は銀さんのした事が気持ちになってかえってきたものだから銀さんのお金なんですよ」
貯めている間はとても楽しかったのだと新八は笑った。
「どうしようもない人だなぁって時々凄く思います」
容赦のない駄目出しは、何故か微笑み混じり。
「でもやっぱり、銀さんについていきたいなって思う気持ちは変わらないんです」
隣から見上げてくる新八の顔はどこか誇らしげに見える。
照れ臭くて堪らないのに、傘と荷物で両手を塞がれた銀時には感情を誤魔化す術がない。
「……俺は、そんないいもんじゃねぇよ」
ボソリと呟いて、新八から顔を背けるように横を向いた。
まるで空から落ちる雨のように、新八の素直さが降り注ぐ。
それを防ぐ傘はなくて、銀時は全身で浴びるしかなかった。







「おーい、銀ちゃーん、新八ィ」
聞き慣れた声に背後から呼びとめられて二人は歩みを止めた。
さした傘の下で器用に振り向くと、そこには定春の背に乗った神楽がいた。
神楽は何故か傘をさしておらず、空から落ちる雨粒を余すところなく受けて全身濡れ鼠だった。
「ずぶ濡れじゃない神楽ちゃん、傘はどうしたの?」
「壊れたネ、買ってくれアル」
日差しを嫌う夜兎族である神楽は特殊な傘を愛用している。
だが最近では女の子らしく気分に合わせて可愛い柄の傘を持つ事も多かった。
「傘買ってくれじゃねぇよ、おめぇはずぶ濡れでなにやってんの。この間買ってやったやつもう壊したのかよ」
「軟かったアル」
腕を組んでしみじみと悪びれない告白。
「おめぇなぁ……今月何本目だよ。どんだけ昇天させたら気ィ済むわけ?」
見た目に反してかなりの怪力を有する神楽は結構な頻度で物を壊す。
傘はその最たるものだった。
普段神楽がさしているのは日も避け雨も避け更に攻撃もできるという三拍子揃った特別仕様の優れもので、普通の少女が持つには些か物騒な代物だ。
店で売っているような小洒落た傘は当然ながら神楽が持って耐えられるようには作られていなかった。
「私の所為じゃナイネ、傘の根性がなさ過ぎなだけヨ」
神楽の言い分も尤もかもしれないが、傘だって夜兎族仕様には出来ていないのだから仕方がない。
「ねぇ銀ちゃん、新しい傘買ってくれよぅ」
定春の上で脚をばたつかせ、神楽は銀時に傘を強請った。
買いたいものがあれば新八に強請る方が手間もかからず効率もいい。
銀時自身ですらそう思うのに何故か二人は食関係以外の買い物はまず銀時に伺いを立て、許可が下りると新八が財布の紐を緩めるという手順を踏む。
それが基本的には銀時に対して容赦のない二人の、社長として立ててくれているらしい密かな甘やかしだという事に最近気付いてしまった。
二人の手の平の上という気もするが、その心地よさを銀時はいたく気に入っている。
「もしもし神楽ちゃん、百円の傘でも十本買ったら千円になるって計算、できますか?」
「……どの口がそういう事言うんですかね」
神楽に諭すような銀時の隣で新八の呆れたような声がする。
「そうアル。銀ちゃんが一回パチンコやめれば毎日柄違いで傘持てるネ」
「ホント、そうだよねー」
二人で同時に頷かれては銀時の形勢は不利だ。
けれど少しも不快ではない。
顔を見合わせて笑い合う二人の笑顔はとても晴れやかで、雨に煙る暗い世界を鮮やかに照らす。
「全く、世知辛い世の中だねぇ……」
愚痴りつつも銀時の心の雲間は晴れていく。
「おい神楽、いつまでも定春の上でずぶ濡れてねぇでさっさと傘入れ、とりあえず家帰んぞ」
構う事無く雨に打たれ続ける神楽に銀時は声をかける。
定春は無理だけれど、神楽一人なら三人固まれば気休め程度だが雨は凌げる。
「いいアル。ここまで濡れたらもういっそ楽しいアルよ。それより今度降った時にさす傘を買って欲しいネ。日傘と兼用のやつがいいアル。ユーブイけあのできるやつ希望ネ」
「傘はケアしてくれねーだろ、それを言うならUVカットだ」
「レディに向かってヌーブラパットなんて銀ちゃんセクハラアル」
「耳の穴をかっぽじれ」
「よしきた新八、帰ったら膝枕で耳掃除しろアルヨ」
「ちょい待て、新八の膝は俺ンだ」
「そんなの誰が決めたネ」
「決めたとかじゃねぇんだよ神楽。新八のものは俺のもの、新八の身体も俺のものっつー世の理があんの」
「そんな理ないですっ、道端で変な事言わないで下さいっ」
雨で皆足早に去っていくとはいえ、往来で固まる万事屋は酷く目立つ。
ちらちらと注目を浴びる中でおかしな遣り取りをする銀時と神楽に新八は頬を染めながら抗議をした。
「新八はシャイボーイアルな」
「僕は普通!二人が臆面なさ過ぎなだけでしょっ」
「新八はもっとメンタル面を鍛えるべきだな」
「そうアルな、銀ちゃんとつき合うっていうのは羞恥心を鍛える事アルよ」
「俺とのお付き合いを修行みたいな言い方すんのやめてくんない?」
「似たようなもんアル」
「んなわけあるかよ、なぁ新八?」
「し、知りませんよっ」
同意を求められた新八は耳まで真っ赤だった。
「そんな照れんなよ新八ー」
「照れんナヨー」
「う、うるさいなぁ……もう行きますよっ」
無駄な遣り取りを続けても自分が不利になるだけだと悟った新八は一刻も早く立去る事が無難だと判断し、促すように銀時の着流しを掴んで引いた。
「へーへー」
「ほーい」
新八に引かれて銀時が歩き出すと神楽を乗せた定春も後に続く。
どんなに呆れても、新八は自分達を見捨てたりはしない。
それを証明するように、歩き出しても布を引く新八の指先は離されなかった。
募る愛しさは触れたい衝動に変わるけれど、生憎と両手を塞ぐ傘と荷物がそれを阻む。
銀時は暫し思案して、傘の柄を持つ手で新八の肩をつんと突付いた。
「新八、顔に雨が跳ねたっぽいから拭いてくんね?」
「え、何処ですか?」
立ち止り、見上げてくる新八の視線が探すように銀時の頬を彷徨う。
「お前の側のほっぺ」
近付けるように少し屈んでやると新八は濡れている箇所を真剣に探してくれる。
「何処も濡れてないですよ?」
当然ただの口実である以上乾いた頬に水滴など有る筈もない。
けれど訝しがりながらも新八は手の平で拭うようにそっと頬全体を撫でてくれた。
本当は軽く閉じられたその唇に触れたかったのだけれど、それをしたら鉄槌が下るのは目に見えている。
残念に思いながらも、そんな小さなことに満足できてしまう自分も嫌いではなくて。
乾いた手の平の熱を覚えた頬が自然と弛んだ。
「銀ちゃん、顔が不埒アル」
生憎と二人のさしているのは透明なビニール傘で、定春から見下ろす位置にいる神楽からも全て丸見えだった。
「おっさんは常に不埒な生き物なんだよ」
「開き直ったアルよ、このマダオ」
「うるさいよ、お前は」
「ちょっと、二人でわかんない会話しないでくださいよ」
銀時の思惑に気付いている神楽との応酬は新八にとって意味不明のやり取りでしかない。
取り残された不満を隠さず微かに唇を尖らせた。
「……新八の羞恥心の判断基準がわからないアル」
「そーいう天然なとこが可愛いんだっつの」
「新八は深いアルな」
「だから二人ともわかる話をって……あれ、雨止んできてません?」
強かった雨足は一時的なものだったようで、傘を叩く粒の音はいつのまにか落ち着き始めていた。
耳を打つ雨音は既に柔らかいものに変わっている。
向こう側の空には雲間から薄っすらと光が射している部分もあった。
「おー、あっちの方はお日様も出てきたアル」
そうこうしているうちに雨音はどんどん小さくなり、やがてぴたりと止んでしまった。
「止んだアルっ」
差し込む光が少しずつ増え始め、辺りがだんだんと明るくなってゆく。
「銀さん、傘ありがとうございました」
「ああ」
新八が銀時の手から受け取った傘を閉じる。
柄を何度か回すように振って水滴を飛ばし、丁寧にビニールを巻き始めた。
手の平を使ってくるくると巻き上げる作業をしている途中で何かに気付いた新八がはっとして神楽を見上げる。
「神楽ちゃん、晴れてきちゃったら傘がないと駄目じゃない?」
今日の神楽は傘を持っていない。
空を覆っていた雲が晴れれば天敵である日差しが降り注ぐ。
今はそれを防ぐ手立てがない。
「あー、そういえばそうアルな」
「暢気にしてる場合じゃないよ」
新八達の持っている傘は透明のビニールだから貸してやっても意味がない。
「完全に晴れちゃう前に早く家に帰らないと」
「えー、でも新しい傘欲しいアルー」
「そんなの買ってきてあげるから」
「なら酢昆布って書いてある粋な柄のやつがいいネ」
「んなアホみてーな柄あるかよ、苺牛乳にしとけ」
「それこそありませんっ、それより神楽ちゃん早く」
「ぶー、だったら柄は任すアル……眼鏡柄はいやアルよ」
「だからそんなのないってばっ、神楽ちゃんは早く帰ってちゃんと濡れた服を着替えること、わかった?」
「ラージャアルー」
神楽がふざけているのをわかっていても新八は適当にあしらったりせずに真剣に取り合う。
その姿を見ているだけで開いた片手が伸びそうになって銀時は困った。
「神楽、その辺にしといてさっさと家帰れ。新八が心配すんだろ?」
「しょーがないアルなー。銀ちゃん、荷物貸すヨロシ」
「コレか?」
伸ばされた神楽の手に肩からかけたエコバッグを渡す。
「新八は傘貸すネ」
「え、でもこれ透明だから神楽ちゃんは使えないよ?」
「もー、だから新八はダメガネアルよ」
真面目にとぼけた新八の返答に神楽は呆れた顔をした。
「荷物持って帰ってやるから二人で手ぶらデートでもしてくればいいアル」
「ででででーとってかぐらちゃんなに言って……」
銀時と新八の関係は万事屋内では公認のものだから当然神楽も知っている。
けれど、新八はそれに関して神楽に弄られる事があまり得意ではない。
恥ずかしさが先に立って、どう対応していいのかわからないらしいのだ。
からかわれただけでも頬が染まってしまうのに、堂々とデートを勧められて挙動不審だった。
「さっきまで平気で銀ちゃんと相合傘してたくせに今更ネ」
意識をせずにしていた事も意識させられてしまい、新八の顔は茹蛸のようだった。
「何だよ神楽」
頭から湯気を出しそうな新八の髪を指でくしゃくしゃとかき混ぜて、銀時はそのまま慰めるように抱え込んでやる。
ここが往来だという事よりもその温もりの安心感が勝るのか、新八は真っ赤になった顔を隠すように大人しく身を預けていた。
「珍しく気ぃ利くじゃねーの」
(あんま新八いじめてやんな、可愛過ぎて俺の歯止めが利かなくなんだろが、と目で訴える)
「銀ちゃんに甲斐性がないからお膳立てしてやってるアル」
(銀ちゃんはちょっと我慢を覚えるべきアル、と目で返して舌を出した)
「そりゃありがとよ」
銀時は苦笑するしかなかった。
「銀ちゃん、傘」
「おう」
銀時は新八の手から傘を抜き取り構えた神楽に向かって放り投げた。
「新八」
「あ……な、何?」
銀時の腕の中できゅう、となっていた新八は、神楽に呼ばれて慌てて正気にかえる。
熱を確かめるように手の平を頬に当てる姿が妙に可愛らしい。
「今日の夕飯何アルか?」
「え、えと豆腐ハンバーグ」
「おおっ、付け合せは?」
「ブロッコリーだよ」
「えー」
メインに高揚した神楽の気持ちは脳裡に浮かんだ茹でた緑の塊で急降下してしまった。
「ブッコロリーはあんまり好きじゃないアル」
「ブロッコリーね、好き嫌いは駄目だよ」
からかいに弱い新八も、お説教モードになると本来の自分を取り戻す。
「じゃあポテトサラダオマケにつけて欲しいアル」
「しょうがないなぁ」
「やったアル」
「えー」
神楽との取引が成立するとそれを聞いていた銀時が不満を漏らす。
「だったら俺もプリンつけて欲しいアルー」
「あんたは幾つですかっ」
「銀ちゃん子供アルな」
「年は関係ありませんー」
「銀さんまでそんな事言い出したらきりがないじゃないですか、もー」
これ以上は埒があかないと、新八は神楽と銀時両方の意見を取り入れる事を約束をして二人を喜ばせた。
配役が一部おかしかったが傍から見るとそれはまるで子供が二人いるようで、道行く人達の口元を柔らかくさせていた。
「じゃあ先に帰るアル。ちゃんと可愛い傘買ってくるアルよ」
傘で二人をビシッと指した神楽はそう言い残すと定春と共に颯爽と去っていった。
「おーおー男前だねぇ」
後姿が豆粒になるまで見送って、銀時は隣に立つ新八の顔を覗き込む。
「んじゃ新ちゃん、デートすっか」
「そうですね」
銀時の目を見た新八は少しだけ頬を赤くして微笑んだ。







「何処行く?」
「えっと、大江戸ストア」
「は?」
質問にあっさりと返って来た新八の答えに銀時は毒気を抜かれてしまう。
「新八君、今から銀さんとデートすんだよね?さっき赤いほっぺでうんて言ったよね?さっきすんげー可愛かったよね?」
「べ、別にいいじゃないですか」
「何でよ」
「だって、僕銀さんと一緒に歩けるだけで十分楽しいですもん」
「あ……そ」
確かに銀時もデートコースだなんだとちゃらちゃらしたことは性に合わないし、新八とならば何処に行くでもなく歩いているだけで満足できる自信はある。
何処に行きたいのかと聞いたのは銀時だし、新八には行きたい先がある。
それが何処であれ、一緒にいられるだけでいいという二人の意見が合うのなら、それは十分デートなのかもしれない。
「でも何で大江戸?さっき買い物済ませたんだろ?」
不思議そうに問えば得意げな顔で新八の手が袂を探る。
取り出されたのは程よく使い込まれたがま口財布。
年頃の少年が持つには些か風情がありすぎる気もするが、何故だか新八にはよく似合う。
「今日の買い物で大江戸ストアのポイントカードが一杯になったんですよ」
嬉々として新八が翳すのは名刺大の二つ折り。
小さな升目で仕切られたカードの中はスタンプでびっしりと埋め尽くされていた。
「このカード、一杯になると一枚で二千円分の買い物券になるんです。お釣りがもらえない代わりに有効期限がないからお誕生日用にしようと思って貯めてるんですよ」
これで五枚目なんですよ、と嬉しそうな新八に銀時の口元は自然と弛む。
「お前、色々貯めんの上手いよね」
愛情を貯めるスタンプカードがあったなら、銀時と神楽のスタンプで新八のカードはすぐに一杯になるだろう。
「万事屋にきて鍛えられました」
「なら銀さんのおかげだな」
「……銀さんはホント、口が上手いですよね」
「まあ、取り柄ですから」
取り柄なのかなぁとぶつぶつ言いながら新八が財布を仕舞うのを待って銀時はその手を取った。
「ま、デートだしな」
驚く新八にそう返すとそうですね、と嬉しそうな笑みが返って来た。




明日の。
来週の。
来月の。
他愛ない会話の中に織り込まれる未来への約束。
その中に当たり前のように居てくれるだろう温もりを離さぬ様に、銀時は繋いだ手をぎゅっと握り締めた。
見上げた空の雲は晴れて、青色を背にして太陽が輝く。
全てを濡らす雨粒にキラキラと光が反射して。
世界は色鮮やかに輝いていた。






20110213発行「はなうた」より
20150720加筆修正
もんぺ