何も無い万事屋の午後。
お茶を啜る新八と、その隣で足を組んでジャンプを読む銀時と。
他には何もなく、今日は珍しくTVも付いていない。
室内は無音。
外からはかぶき町の真昼の喧騒が流れ込む。
開け放した窓から気持ちのいい風が吹きぬけて二人の髪をそっと揺らした。
銀時の白をふわりと。
新八の黒をさらりと。
それに乗って運ばれた何かがはらりと落ちて、銀時はページを捲る手を止めた。
ざらついた紙面に不釣合いな、薄紅色の鮮やかな一片。
粋な風の悪戯に銀時は微かに笑んだ。
摘み上げたそれは指先に隠れてしまいそうなほどささやかな。
「新八、手ぇ出せ」
ジャンプを閉じて傍らに置き、陽気の所為か珍しく眠そうにしている新八に声をかけた。
「手、ですか?」
眠気を振り払うような瞬きの後、新八は不思議そうに銀時を見上げた
「そ、手。いいもんやるよ」
「ただですか?」
「……お前ねぇ、なんちゅー情緒のねぇこと言うのよ」
「どの口がそういうこと言うんですかね。お給料を貰えないんで栄養不足で情緒が育ちませんよ」
「んじゃまひとつ、今月はこれでお願いします」
湯飲みを取り上げ新八の手を攫い、上向けた手の平に指先の色をそっと乗せた。
薄い肌に、雫のような桜色。
「……僕の時給は一体いくらなんですか」
花弁一片と銀時の顔を見比べた新八が眉をひそませる。
「まぁまぁ」
肩に伸ばした手で宥め抱き込めば新八は素直に身体を寄せた。
「そろそろ桜も終わりだな」
「そう、ですね」
手の平の、花弁を見つめる新八の横顔は柔らかい。
この世の春と咲き誇る、桜の見頃も盛りを過ぎて。
あとはただただ散りゆくばかり。
その一片が風に乗り、ここに来たのは偶然なのかもしれないけれど。
「うち、来ますか?」
少し見上げる表情に。
「……大胆なお誘いだねぇ」
にやりと返す。
新八の家にある立派な桜の木。
純粋な花見の誘いを色めかしく挿げ替えれば白い頬はほんのり色付いた。
「……如何わしい言い方、しないでください」
隠すように新八は下を向いてしまった。
「怒んなよ」
「怒ってなんか、ないですけど……」
手の平の花弁を新八が摘み上げる。
その指先から銀時はすっと薄紅色を抜き取った。
された事に釣られて銀時を見た新八の、唇にそれをそっと当てて。
「ぎ、ん……」
顔を近づけ舌先で器用に花弁を攫う。
無防備な唇は緩やかで、入り込む銀時を拒まない。
僅かな戸惑いをみせつつも受け入れる新八は桜よりも色付いて。
銀時は薄い花弁を挟んで舌を触れ合わせ、新八の上にそっと載せた。
甘く濡れた感触に、一時絡め取りたい衝動をやり過ごす。
名残を惜しみつつも唇を離せば困ったような黒い瞳。
困惑を指先で塞いでやればやがてそれは諦めに変わった。
開けない唇を閉じたまま、新八はもごもごと口元を動かし嚥下する。
銀時を見詰めたままなされた仕草は可愛くて、ご褒美のように口付けた。
「いつもお仕事ご苦労さん」
労えば、ほんの僅か頬が膨れる。
「……駄目上司」
「ははは」
口で何を言おうとも、新八は自分の元を決して離れる事はない。
そう信じさせてくれる確かな温もりが愛しくてたまらない。
「お前ン家行く前に金平糖寄って団子でも買ってこうぜ」
くしゃりと黒髪を混ぜれば新八の呆れ顔。
「結局花より団子なんじゃないですか」
「んなことねぇよ」
花より団子は勿論だけれど。
それよりも何よりも、一番に愛でたいものがある。
「俺にとっちゃ花より団子より新八君、だよ?」
新八の、小さな顔を両手で包んで上向かせれば桜色の頬が温かい。
散りゆく花を愛でる事。
それは長く銀時の気持ちを滅入らせるだけのものだった。
散り際は逝く人を思わせるから。
心安らかに眺める事が出来るようになったのは傍の温もりのおかげだ。
散る事は終わりではなく再生。
繰り返す命の美しさなのだと新八が教えてくれた。
この温もりに触れてみたいと思った時はもう手遅れで。
「花見の前に新八君を堪能しとこうか」
新八を抱き締めて、そのまま身体を傾けた。
「はっ?ちょちょちょっ、銀さんっ」
組しいて尚、背凭れにしがみ付く往生際の悪い手を剥がして取り込み頭上に留める。
間近で笑えば新八は軽く涙目だった。
「花見……行くんですよ、ね?」
捲くれた袖口から覗く円やかな肘が胸をざわめかせる。
でも。
拒みはしないけれど、陽光の中で身体を開く事に抵抗のある新八を知っているから。
「行くよ」
「だ、だったらこんなことしてないで早く……」
狭いソファで器用に身体を回転させ、銀時は新八を自分の上に載せた。
分かっているけれど少しだけ。
「新八」
恥ずかしさに視線を彷徨わせる新八を指で留める。
「五分でいいからさ……銀さんの腕ン中、いてくんね?」
本当は、一分一秒だって離したくないのだけれど。
甘えの匂いを含ませる自分の声に新八が弱い事を知っている。
ずるい大人を自覚して、銀時は瞳の黒をじっと見つめた。
額の髪をかきあげて、丸い後頭部を撫でながら背中へと降りる。
ゆっくりとした一連の動きに新八の唇から微かな息が零れた。
「……ホント、駄目なおっさんですよね」
「ホント駄目なおっさん、ですねぇ」
素直に観念すると眼鏡の奥で瞳が笑った。
「自覚ありなのが腹立つんですけど」
珍しく、新八の方から触れる唇。
「銀さんだから仕方がないですね」
「仕方ないってお前ねぇ……」
「あはは」
屈託なく笑う新八の、笑顔の向こうにあるものが光ばかりではない事を知っている。
それでもいつも、自分より他人。
気遣える優しさと強さを持っている。
時に空回るけれど、銀時にとってはそれも愛しさの彩だ。
載せた身体にふくよかな柔らかさはない。
16才、男、地味でダメガネ。
己の過去を顧みて。
どう考えても恋愛対象になる要素は一つもない、のに。
新八はこんなにも煌めいて、その存在は銀時を捉えて離さない。
背中を手のひらで辿れば口元からは甘い息。
重なり合った下腹の、欲望にはまだ届かない仄かな温もりが心地よい。
布が包むのは自分と同じ形をした身体。
承知の上で、膨らみのない胸の色付きが脳裏を掠めた。
「諸々我慢すっからさ……乳首、舐めさせて」
「……はい?」
平らなそこに手の平を当てるとトクンと鼓動が伝わってきた。
舌先に蘇るのはポツリとした控えめな突起の感触。
男の胸を弄る趣味などなかったが、舌で触れる度腕の中で耐えるように悶えるのが新八ならば膨らみは無くとも十分に楽しい。
未知の扉を開けてしまった気もするが後悔はしていない。
勿論、開けた扉は新八にしか通じておらず、後にも先にも他の平らな胸への興味は全く無い。
弄ってやるといつも耐えるように髪に潜る指先。
恥ずかしいと拒む仕草。
抑えた声と吐息。
思い返すだけで銀時は己の溺れ加減を自覚できる。
新八であるのなら。
それは紛れもない本心。
けれど最近ではこの平らな胸でなければ駄目なのだとも思っている。
多分この胸が膨らみを備えていたのならこうはなっていなかっただろう。
新八が“志村新八”でなかったのなら、恐らく自分達はすれ違う事すらなかったのだと思うから。
「新八君の苺味の乳首が舐めたくて堪んねんだけど」
「い、いちっ……あ、味なんかしませんっ」
「そうだっけ……確かめないとわかんねぇな」
「……セクハラで訴えますよ」
本気を込めない銀時のからかいに新八は最近免疫ができてきた。
けれどまだまだ詰めは甘い。
それが頬の赤さだと、新八が気付く日はくるだろうか。
「そ、そろそろ五分くらいじゃないですか?」
照れ隠しに髪を引く、その手をつかまえて口元に寄せた。
「坂田時間じゃまだ三分だよ」
「……自由人」
ため息交じり。
それでも。
呆れ顔のその眼差しはとても優しい。
それに初めて気付いた時の、鳥肌が立つような感覚を今でもはっきりと覚えている。
「もう少し、ここに居ろよ」
縛り付ける気など毛頭ない。
「言われなくたって、居ますよ」
少しだけ赤い目元。
けれど新八は居てくれる。
それが新八の意思だという事がどうしようもなく嬉しかった。
望んだ気持ちが相手から返る。
新八が容易く叶えてくれるそれは本当なら奇跡のような確率でしか叶わないものだ。
「倖せ過ぎて怖いって、ホントにあんだな」
TV画面から聞くだけの陳腐な台詞が、よもや自分の口から出る日がこようとは。
「何言ってんですか、僕は明日のお米代すら危うい事の方が怖いですよ」
はぁ、と脱力した新八は銀時の胸元に懐いた。
万事屋の家計を預かる新八がそう言うからにはかなり切迫した事態なのだろう。
実際ここ数日依頼のあった記憶はない。
それでも口元が微笑んでしまうのは腕の中の温もりの所為。
「生きてりゃ何とかなるって」
「……暢気でいいですね」
「そりゃ、できた嫁さんがいっからな」
「真顔で馬鹿な事言わないで、ください」
赤くなった耳たぶをきゅっと摘んだらピクリと肩が跳ねた。
「顔見せて」
「やです」
「けちくせぇの」
ぼやくけれど。
当然口ほどには気にしておらず、銀時は新八の黒髪に指を絡めてゆっくりと滑らせた。
気持ち良さそうに、載せた身体から力が抜ける。
「ふぁ……」
銀時の体温と呼吸のリズム。
心地良さに胸元で上下に揺られながら新八が小さな欠伸をした。
そのまま寝入るかと思い、外してやろうとそっと眼鏡にかけた手に新八が気付いた。
「寝てろ」
「でも……」
「いいから」
呼吸に合わせ新八の背中を叩く。
「一眠りしたら神楽も帰ってくんだろうし、そしたら花見、行こうぜ」
「遅くなっちゃいますよ?」
申し訳無さそうに、結局上げられてしまう新八の顔。
銀時はぽんと頭に手を置いた。
「んじゃいっそ日ィ暮れてから出掛けて今日は夜桜見ようぜ。んでお前ン家泊めてもらえば明日昼間の花見もできるし、一石二鳥だろ?それに……」
「それに?」
黒い瞳が傾ぐように問いかける。
飛び込みたくなるような清廉さに銀時はすっと目を細めた。
指の甲で頬に触れる。
「花は毎年咲くもんだ、今年が駄目なら来年見りゃいい」
「来年……」
新八の黒が銀時の赤をじっと見る。
唇が、躊躇いに一度引き結ばれて。
「来年も……一緒、に?」
触れたら壊れてしまいそうな声。
「来年も一緒に、な」
頬を包めば一瞬掠める泣き笑い。
言葉にすれば縛られる。
叶える術も分からない。
脳裏を過ぎるのは、叶わぬばかりの失くした日々。
だから、口約束は苦手だった。
少しずつだけれど言葉にできるようになったのは新八のお陰だ。
叶わないと最初から諦めてしまうのではなく、そうなるべく努力をする事は無駄ではないのだと、今はちゃんと思える。
「銀さんと、ずっと一緒に居たい……な」
願うような、新八の呟き。
「俺もお前と居てぇよ」
居てやると、言い切ってはやれないけれど。
そうありたいと口にする、それだけの事でも新八は嬉しそうにしてくれる。
「銀さん、嘘と髷は結った事ないですもんね」
「そうそう、俺はサラッサラのストレートパーマしかかけねぇから……って、それを言うなら“坊主の髷”だろ」
「どっちだっていいじゃないですか」
「よくねぇよ。俺が髷を結うか俺の髷を結うかってとこに関わってくっからね、意味違ってくっからね」
「もう、銀さん細かい」
「デリケートと言ってくれ」
「頭がですか?」
「新八君ねぇ……」
「あはははは」
人は不確かで曖昧。
“絶対”などありはしない。
そう知っているのに。
新八となら簡単に思い描ける。
次の年も。
桜の下で笑っている自分たちの姿を、当たり前のように想像できる。
“一緒に居たい”
新八の両手が優しく掬いあげたささやかな願い。
その手の平はきっと取りこぼしたりはしないのだろう。
新八の手の中にあるのならきっと叶うと確信すら持てる。
花に嵐というけれど。
新八の存在が、花を落とした枝木に芽吹く命を信じさせてくれる。
繰り返す確かな命を信じさせてくれる。
腕に納めた温もり。
傍らにずっと。
傍らでずっと。
それを誰よりも願ってやまないのは自分自身なのだという事を。
銀時は知っている。
20090429UP
ギリギリ四月に滑り込み。
という訳で花見です。
してないですけどもね(笑)
いつもの如くラストを締めるのが難産でここまでずるっと延びたのですが、今回締めを救ってくれたのは花に嵐のイメージです。
有名なあれ。
「明日ありと/思う心の仇桜/夜半に嵐の/吹かぬものかは」親鸞○人
攘夷戦争を生き抜いた坂田ならこういう心持で生きてるのもありなんじゃないかと思いまして。
それと対照的なのが新八かなと。
まあ坂田のイメージはやっぱ井○鱒二ですけども。
有名な訳です。
坂田はくるもの拒まず去る者追わず、なイメージではありますが一期一会を大事にしてそうです。
そんな坂田が初めてずっと一緒に居たいと思える相手との出会いが新生万事屋(プロトタイプがあるからね:笑)なんだったらいいなと思います。
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