「銀さん、お茶、入りましたよ」
座る銀時の前にコトリと湯飲みを置く。
「んー」
銀時は顔も上げすに生返事。
視線は膝の上のジャンプに注がれたままだ。
ちらり、と一瞬だけテーブルの上の菓子の位置を確認するために視線が上がるがすぐに戻る。
そのたった一瞬だけで銀時の手は正確に新八の用意した茶菓子に伸ばされた。
新八は気付かれないように、本当に小さく息をついてソファに腰を下ろした。
銀時の向かい側ではなく、あえて隣に。
一人分の隙間を空けて新八が収まると一瞬空気が強張った。
銀時の緊張が伝わってくる。
また一つ、息をついてお茶を啜る。
傍にいるのに銀時が遠くて。
新八は寂しくて仕方が無かった。
年越しに受けた依頼でどういうわけかゲーム対決になって。
バーチャル体験で冒険をするというゲームをしていた銀時に、新八は殴られた。
といっても、勿論銀時に悪意があったわけではなく。
突然暴れだした銀時を止めようとしてその手に当たってしまい、たまたま綺麗に入ってしまったため気を失ってしまった、という不幸な事故だったのだ。
同じくゲームに入っていた神楽、土方、沖田によって会場は壊滅的に破壊され、ゲームを発売中止に追い込んだ。
その辺りの記憶はほぼ無いに等しい。
新八の記憶は心配そうに自分を覗き込む銀時の顔からだ。
大丈夫か?とそっと聞かれて、頷いたら起こされた。
それから顔の傷を手当てしてくれて。
その間、会話は無かった。
手当てが済んだあと、唇の端の少し切れた傷跡に暫く親指で触れて。
キスを、してくれるのだと思ったのに。
離れた手は新八の髪をくしゃりと混ぜた。
もう寝ろ、と呟くみたいに小さな声。
目の前にいるのに、銀時の視線は新八を見ず、痣になってしまった傷跡ばかりに注がれる。
たったそれだけの事が無性に寂しくて、じわりと瞳が濡れるのがわかった。
一瞬だけ目が合った銀時がそれに気付いて。
ごめんな、とやっぱり呟くような声を残して出て行ってしまった。
夜の中に足音が響く。
階段を降りる音がして、下の扉の開閉音。
あれは銀時なのだろうか。
それともたまたま帰る客なのか。
原付のエンジン音は無い。
いずれにしても銀時は朝まで戻ってこない気がした。
新八は布団に潜る。
怒っていないし恨んでなどいない。
瞳が濡れたのは、責めているせいなんかじゃない。
そう伝えたかったけれど。
きっと今の銀時にそれを言っても無駄なのだ。
銀時は新八を傷つけた事を後悔している。
殴られた新八以上に、傷ついているのは殴った銀時自身なのだ。
だからその傷を、早く癒してあげられたらと思うのに。
そんな事で自分は傷ついたりしないし、壊れたりしない。
だから大丈夫なのだと教えてあげたい。
そんな事よりも。
銀時に触れてもらえない事の方が、見てもらえないことのほうがずっと傷つくのだと。
それを伝えるためには大きな勇気がいるけれど。
きっと頑張れると思った。
銀時の傷を癒すためならば、頑張れると思った。
布団の中に頭までもぐって目を閉じる。
そうして。
手当てをしてくれる間に触れた銀時の指先の温度を思い出して、少しだけ泣いた。
あれから今日で三日目。
少しずつ様子を見ているけれど。
銀時は自分に触れなくなった。
ふとした時、すれ違う瞬間。
以前ならごく自然に、当たり前のように伸ばされた手はただきつく拳を握る。
傍に寄れば空気は今のように硬く強張る。
視線が、合わない。
横で見ていると、銀時の膝の上のジャンプはさっきから同じ頁を何度も行きつ戻りつしている。
きっと内容が上手く頭に入らないのだろう。
暫く頑張って読もうとしていたけれど。
やがて諦めたように雑誌が閉じられ脇に投げられる。
「ちっと出てくるわ」
飲みに行くのかパチンコか。
そう言い置いて銀時が立ち上がり背を向けたまま去ろうとする。
「銀さん……」
新八の声に一瞬足を止めるけれど、その後に言葉が続くのが怖いのかすぐに足を前に出す。
行ってしまおうとする銀時に。
「待って……銀さんっ」
新八も立ち上がる。
数歩駆け寄り追いついて、着物の端を掴んだ。
ぎゅっと握って。
「行かないで、下さい……」
広い背中にそっと額をつけた。
筋肉が緊張に強張るのがわかる。
数日振りに触れる銀時の体温。
布越しに伝わるそれがただ愛しくて、泣きたくなる。
「銀さん……」
愛しいという気持ちに素直になったら身体は自然と動いた。
気持ちに逆らわずその身体に腕を伸ばす。
着痩せする銀時の身体は鍛えられていて、新八は気持ちでは抱き締めたいのに抱きつくみたいになってしまったのだけれど。
「僕のこと、嫌いですか?」
一生懸命腕を回してぎゅっとしがみ付く。
「な……に、言ってんの?……んなわけねーじゃん……」
「だって銀さん、もう三日も目を合わせてくれないじゃないですか」
会話すら、必要最低限な返事しかしてくれなくて。
「銀さんが僕を見てくれないのが、こんなに寂しいなんて、思わなかったです……」
見て、くれなくて。
話して、くれなくて。
触れて、くれなくて。
普段当たり前のように与えられていたそれらに、自分がどんなに銀時の事を好きなのか思い知らされた。
どんなに、愛されていたのかも。
「ごめんなさい」
「え?」
「避けられなかった僕が悪いから……だからもう、許してください」
同じ空気の中にいて、これ以上離れていることはもう嫌だった。
何よりも、銀時自身を許してあげて欲しかった。
伝える緊張に、腕に力が入る。
唾を一つ飲み込んで。
「……僕が……限界です」
言ってしまって、顔が熱くなっていくのがわかる。
今銀時に顔を見られたら、恥ずかしくて死んでしまうかもしれない。
そう思って背中に顔を埋めていたら、手を掴まれた。
「……新八」
ハッとして、組んだ手に力を入れる前に、あっさりと外されてしまった。
額から温もりが離れて、やっぱり駄目なのだろうかと鼓動が早くなる。
「銀さっ……」
「おめぇはよ」
反転した銀時の胸が目の前にきて、次の瞬間抱き締められた。
「何でそんなに真っ直ぐなんだよ……」
包む腕の力。
触れ合う胸から伝わる体温。
耳元で聞こえる声。
三日ぶりに感じられた銀時の存在に、新八は力が抜けていくのを感じる。
崩れ落ちてしまわないように、目の前の身体にしっかりと抱きついた。
「あん時、気ぃ失ったお前見て……すげー怖くなった」
一層強く抱き締められる。
「反省……しようと思ったんだけどよ」
「らしくないです」
「はい?」
「反省とか、銀さんらしくないです」
「……それって酷くね?」
少しずついつもの調子を取り戻してきた銀時が嬉しくて、新八はくすりと笑って肩口で緩く首を振った。
「あんなのは、寝相が悪くて布団を蹴飛ばすようなもんです」
「レベル、違わねーか?……」
「無意識だから仕方がないってことです」
「けどよ」
「態とじゃないでしょ?」
「ったりめーだろ」
顔を上げて間近から銀時を見上げると三日ぶりに視線がぶつかった。
それだけの事で満たされて。
「なら、それでいいです。あんなの……簡単に避けられるように僕、頑張って稽古しますから……」
ね、と笑って見せれば。
「なら、たまに稽古つけてやるよ」
銀時も笑ってくれた。
「お願いします」
「ん……なぁ、新八」
三日ぶりのキスは、優しく啄ばむように繰り返される。
「なんですか?」
唇が顎を辿って首筋に落ちていく。
「抱いてもいいか?」
「だっ……って、いいいい今からですかっ?」
首筋に当たる吐息で銀時が笑ったのがわかる。
「勿論……って言いてェけど」
一度、強く吸われて顔が戻ってきた。
「夜まで我慢すっから」
もう一度そっと口付けられて。
「新八の中、いっぱい触っていーか?」
触れた唇のまま告げられた。
見詰めてくる表情は、もういつも通りの銀時で。
嬉しいけれど、いつも通り過ぎて新八は顔が赤くなるのを止められなかった。
「ど……してあんたは、そんなにあからさまなんですかっ」
「新八好みだろ?」
「なんでですかっ」
「んじゃ、ムッツリスケベのがいーか?」
「どっちもいりませんっ。普通にしてくださいっ」
「またまた……」
真っ赤になって喚くけれど、結局回したまま解かない腕が全てを物語っていた。
銀時が銀時であってくれるのなら、それだけで良かった。
「新八の、頭ン中も身体ン中も……全部俺でいっぱいにしてェ」
銀時の指先が耳を辿る感触に新八は震える。
三日ぶりの腕の中でその匂いに包まれて、息のかかる距離でそんな事を言われて。
新八の中はとっくに銀時でいっぱいで、今にも溢れ出してしまいそうなのに。
これ以上銀時を入れられたら、どうなってしまうのかわからない。
それでも、欲しい気持ちは止まらなくて。
「銀さんで……もっと、いっぱいにしてください……」
少し声が震えたけれど、なけなしの勇気で瞳を見つめた。
「すげー殺し文句。銀さん死んじゃうよ」
ぺろりと顎を舐められた。
夜まで我慢すると言ったくせに、銀時の手は襟元から入り込みゆっくりと袷を寛げてゆく。
外気に触れた鎖骨に舌を這わされて、新八の手は銀時の頭に移動する。
埋められた銀髪をクシャリと掴んだ。
「銀さん……まだ、昼間……」
抗議に髪を引いても銀時の唇からは笑う吐息が肌に返されるばかりで。
気がついたら膝裏に何かが当たって、次の瞬間にはソファの上だった。
とっさに閉じた瞳を開くとそこにあるのはただ一つ。
「ちょっとだけ、新八に触らせて……な」
そんな瞳で言われたら。
もう、何も言えなかった。
強いけれど弱い人。
強いからこそ、弱い人。
この人の心が傷つかないように。
二度と後悔させたりしないように。
いつか背中を預けてもらえるように。
少しでも強くなりたいと思いながら、新八は全身で銀時の温もりを感じていた。
20070131UP