授業中の校舎内は怖いくらいに静かで、廊下を歩く足音だけがやたらと耳につく。
それは異様な背徳感を伴って俺の後ろをついてくる。
長い廊下をゆっくり歩いて「保健室」のプレートの前で立ち止まる。
白い引き戸には手作りの札。
保健医の在、不在がわかるようになっていて、今は「不在」の面が表になってこちらを向いている。
一応軽くノックをして、応答がないのを確認してから戸を開けた。
病院の診察室とは違うけれど、微かに薬品の匂いがする独特の空間。
窓は薄いカーテンが引いてあって室内は薄暗い。
二つあるベッドの片方は開いていて、奥のほうはレールカーテンが覆っている。
多分中にいるのは新八だ。
空いてるほうのベッドに荷物を置いて、俺はそっと厚手の布を掻き分けてみる。
壁の方を向いているから背中越しだけれど、白いシーツに広がる黒い髪は新八のものだ。サイドボードには眼鏡が置いてある。
完全に身体を布の内側に入れてしまうと室内よりも更に一段暗くなる。
ベッドに近付いて覗き込む。
上着を脱いだ新八は、白のシャツ一枚で眠っている。
布団は腹の辺りまでを覆っていた。
横になって、身体を小さく丸めたその姿は寂しくて、一人で寝かせたくないなんて気持ちに俺をさせる。
端に腰を下ろして寝顔を眺める。
起きてもいいし、起きなくてもいいし。
この時間が永遠に続いても飽きない気がした。
髪に触れたくて、手を伸ばした反動でベッドが軋む。
その瞬間に新八の瞼がゆっくり動いた。
元から完全な睡眠じゃなかったんだろう。
「ん……」
寝返りをうった時緩めたシャツの胸元から綺麗な鎖骨が覗いてどきりとした。
ゆっくりと目が開くのを待つ。
他人が起きる瞬間をこんな風に待つのは初めてかもしれない。
瞼が開いて俺を見る。
視線に映るものを脳が認識するのに暫くかかるみたいで数秒間の沈黙。
「坂田先……生?」
黒い瞳がゆっくりと瞬きをした。
「おはよ、新八。昼休み終わっちまったよ」
寝起きの頬は微かに熱くて色づき始めた桃みたいな綺麗なピンクをしてる。
そっと触ると指先に熱が移った。
「新八に振られちゃったなと思いながら一人で昼飯を食べました」
柔らかな頬をきゅっと抓む。
「ご、ごめんなひゃい」
抓んだ場所を掌で撫でてそのまま髪に指を通した。
「大丈夫か?」
ボールが当たった部分だろう、米神の少し赤くなった部分を親指でなぞる。
「……ごめんなさい」
「ごめんなさいはいらねーって。不可抗力だろ?」
「でも……約束……」
両肘を顔の脇につけて新八に覆いかぶさる。
「坂田先生大好きって言ってみ」
「え……」
「大好きって」
「さ、坂田先生、大好き」
「ん、キスは?」
「きっ……?!」
唇が触れるぎりぎりまで顔を近づけて新八の顔を覗き込む。
黒の瞳が忙しなく動くのを間近で見つめて鼻先をくっつける。
辛抱強く待ってたら、新八の顎がきゅっと上がって唇が羽根のようにそっと触れた。
欲望を伴わないこんな触れ合いは初めてで、でもこんなにも気持ちが満たされることに正直驚いてる。
ぎゅっと目を瞑って一杯一杯、みたいな新八に愛しさばかりが募って仕方がない。
白い額にちゅっとして俺は上体を起こした。
「新八もう起きても大丈夫か?」
身体を起こした俺に気付いて新八も目を開けた。
差し出した手を素直に掴んだから寝ている身体をそっと引き起こした。
「せ、先生はどうしてここに?」
さっきの余韻なのか新八は目を合わせ辛いみたいで布団の端っこを弄ってる。
「姉ちゃんに聞いた」
「そ……ですか」
「倒れたって聞いたからすげ吃驚した」
「ちょっとぼーっとしてて……」
「怪我がなくてよかったけど、気を付けろよ?」
「……はい」
布を弄ってる手をぽんと一つ叩いて俺は立ち上がる。
ベッドを囲むレールカーテンを片側へと寄せて視界を開いた。
「タナボタ的ラッキーでお前送っていけることになったから」
帰れそうかと聞くと新八は布団から出て支度を始めた。
向かいのベッドに座って待つ。
制服のボタンを留める新八の指先を見つめながら俺は少し気になってた事を聞いてみた。
「ボーっとするほどの考え事ってすげー気になんだけど、何考えてたの?」
「……これが終わったらお昼だなぁって」
新八の言葉が頭の中でグワンと木霊する。
それはつまり。
それはつまり俺の事を考えてたってことになりはしませんですか?
言った新八は、何かを誤魔化すみたいに眼鏡に手を伸ばし気持ち乱暴に顔に戻す。
そうして自分の寝ていたベッドを綺麗に直していた。
その姿に気持ちがあとからどんどん溢れてくる。
幸せについて、なんて考えてみたことなかったけど。
これってかなりの幸せなんじゃないかと思ってみたりして、俺は息が詰まって死にそうになる。
「新八、俺死にそう」
上着のポッケに手を突っ込んでそのままベッドに倒れこんだ。
「先生っ?」
いきなり倒れた俺に驚いた新八が駆け寄ってきて覗き込む。
心配してくれるその表情はこのまま泣かせたいくらいに可愛くて。
やばいくらいに可愛い新八、そこにベットがあるこの状況で俺は彼岸を見そうになる。
鴨が葱背負ったこんな美味そうな据え膳をありったけの理性で我慢する。
学校だからとか、そういうことも勿論あるけど。
「大丈夫ですか?」
そっと額を撫でてくれた掌が優しかったから、我慢しなくちゃいけねーよなって思っちまったんだよね。
「キスしてくれたら治るから」
寝転んだままでお願いしたら、デコにちゅってされました。
よく見たら新八はベッドの傍に正座をしてて。
あんまり可愛いもんだから、なんだかもう俺は駄目だと思ったんでした(あれ、作文?)。
「そろそろ帰りますかね」
手がポケットだから、よっこらしょっと身体を起こして俺はその場に立ち上がる。
「はい」
新八も立ち上がる。
「原チャで風切ると寒ぃーから、ちゃんと着とけよ」
ダッフルを着込む横で新八の鞄を指に引っかけ肩に担いでしばし待つ。
マフラーを首にかけたところで俺は新八を止めた。
クリーム色の中に鼻先まで埋まってしまう前に。
「キスしていいですか?」
屈みこむように覗き込めば。
「ど、どうぞ」
ピンクの頬で許してくれた。
三秒間だけ触れ合わせて。
「明日はぜってー飯食おうな」
明日の約束をした。
廊下に出るとひやりと冷たい空気に触れる。
「裏の職員駐車場、わかるよな。そこで待ってっから」
コクリと一つ頷いて新八が鞄を受け取ろうと手を伸ばす。
「持ってってやるよ」
「ありがとうございます」
「んじゃあとで」
下駄箱が違うから、部屋の前で左右に分かれた。
職員用の下駄箱で靴に履き替える。
通用口を開けると冬の風が頬を撫でた。
この寒風の中を原付で突っ走れば少しは頭も冷えるんじゃねーかとちょっと思う。
なんてったって二人乗り。
新八が後ろからぎゅってくんだよ?
頭冷やしながらじゃなきゃもちませんて。
ホントもう今日一日でどんだけ理性を試されたことか。
大事にしてーなぁとかいう恥ずかしい感じの事を結構本気で思っちゃったりしてますからね。
新八ってすげー。
たどり着いた原チャにもたれて新八を待つ。
今日の昼は突発事故に見舞われたけど、今度はちゃんと新八が来る。
それが幸せなのだということに気付いて、俺は柄にもなく嬉しくなった。
校舎の影から新八が姿を現す。
俺を見つけて少し早足になる。
ちょっとずつ近付いてくる新八をぼんやりと見つめながら、幸せはああいう形をしてるんだなぁなんて事を思ってみたりした冬の午後なのでした、なんてな。
20061208UP
えーっと、3Z。屋上デートの続きっぽく。
基本私の書く新八は乙女(ぎゃー)ですが、3Zはとくに乙女度が高いみたいです。
だって新八が勝手に可愛いことばっかするんですもん。
キモかったらごめんなさい(汗)。
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