坂田君と志村先生 3




放課後の調理室に銀時が通うようになってもう数ヶ月。
倶楽部は毎日あるわけではないが、志村は大抵ここに居る。
通う事はもう銀時の日課になっていて、今では倶楽部がない日でもちょっとしたおやつを作ってもらうほどになっていた。

今日のメニューは焼きプリンで。
少し苦味の利いたカスタードの甘さが舌に濃厚な絶品だった。
「スプーン逆さまに咥えるのって、坂田君の癖なの?」
調理室の無機質なテーブルの、向かいに座って頬杖をついた志村が柔らかく微笑む。
その笑顔が好きだなと思いながら銀時は自分の口元を意識した。
今まさに、銀のスプーンの窪みに舌を当てるように咥えている。
言われて初めて気付いた、おそらくは無意識の癖なのだろう。
「あー、多分な。意識した事ねーけど」
「なんか、可愛いね」
「はぁ?可愛いとか言われても嬉しくねーんだけど」
自分のほうが可愛い癖して何をいっているのだろうかと。
銀時は呆れながらまたプリンを掬って口に運んだ。
今度は意識して。
口に入れる直前にくるりと回るそれ。
やはり自分はスプーンをひっくり返して舌に当てる癖があるようだ。
多分、掬ったものの味を直接舌にのせたいからなんじゃないかと適当な分析をしてみた。
志村がまた楽しげに笑う。
「甘いものを美味しそうに食べてくれる男の子って、なんかいいね」
銀時くらいの年代だと、気恥ずかしさが先に立つのかあまり甘いものを好んで食べてはくれないのだという。
「この世に甘味がなくなったら俺は人生終わりだと思ってっけど?」
「大袈裟だなぁ」
眼鏡の向こうの楽しげな黒い瞳。
それがとても好きで……好きで。
「なぁ」
「うん?」
「俺、あんたの事……好きなんだけど」
存在を知って数ヶ月。
会う度に想いは募るばかりで。
いつ言おうかと、ずっと思っていた。
それが今口を吐いて出たところで困る事は何もなかった。
好きだという突然の告白に志村の頬杖の手が外れる。
少し見開かれた瞳が二度、ゆっくりと瞬きを繰り返した。
驚いて、でもそれは一瞬の事で。
すぐにいつもの表情に戻る。
ふんわりと、笑みを湛えた柔らかさ。
「ありがとう……凄く嬉しいよ」
当たり前の、感謝を伝える言葉。
返った返事が拒絶でない事に、銀時の方が驚かされた程で。
「って……あんた驚かねーの?」
「好きって言ってもらえるのって、凄く嬉しい事じゃないのかな。僕は、嬉しいよ」
「じゃあ、付き合ってくれんの?」
「それは、駄目」
「何でだよ」
「毎日僕の作ったもの食べてくれて……きっと餌付けされちゃってるだけなんだよ」
錯覚だと、思い込みだと言われたようで腹が立った。
「馬鹿にすんなよ。俺はんな単純にはできてねーよ」
机を回り込んで傍に寄れば、見上げてくる困り顔。
もどかしくて。
椅子に座る身体を強引に引き上げて机に押し倒す。
弾みで倒れたパイプ椅子が耳障りな音を立てた。
「い……った」
硬い板の上に無理やり押し倒され、押し付けられ、志村の表情が苦痛を訴える。
銀時はそれに構う事無く自分の身体で膝を割り、足の間に入り込むと志村の両手首を顔の脇で拘束した。
「さ、坂田君……」
見つめてくる志村の黒い瞳は困惑で彩られていた。
「これの所為?」
掴んだ志村の左手首、薄い皮膚を親指でなぞると肩が小さくぴくりと揺れた。
指の腹に伝わる、歪な違和感。
滑らかなはずの皮膚の上には一筋の傷跡。
志村の細い手首の上で、似つかわしくないそれに気づいたのはいつだったか。
隠さないから、かえって聞けなかった。
けれど、いつも気になっていた。
多分、白い肌を赤く染めたであろう傷跡。
薄れてはいるけれど、それはきっと消えないほど深かったのだ。
なぞる銀時の指の感触に耐えるように一度黒い瞳が隠れる。
白い喉がコクリと鳴って瞼が、開いた。
真っ直ぐに黒い瞳が銀時を射る。
さらりと流れる黒髪が、普段見せない白い額を惜しげもなく晒して。
引き寄せられるように銀時は唇を寄せた。
軽く触れて、すぐに離す。
見下ろした、受け止める視線は酷く静かだった。
「僕ね……男の人しか、好きになれないんだ……」
硝子越し、瞳に濡れた膜が張る。
それが綺麗で銀時は見惚れた。
「それが……何だってんだよ」
自分も男で、志村も男で。
男しか好きになれないのだというのなら、それに何の問題があるというのか。
「誰も、倖せになれないんだ……」
呟いた志村の拳が握られて。
指を当てていた傷跡の、脈の辺りがピクリとした。
「あんた、死にたかったのかよ」
「……違うよ……」
微笑みながら涙をこぼすその表情は諦めにも似て。
「自分が、嫌いで。身体の中にある汚いものを全部、流せたらなって、思ったんだ……」
囁きのような告白に、止まらない涙は流れ続ける。
「汚いって、なんだよ……あんた、なんも汚くなんかねーよ」
伝い落ちていく雫はどこまでも透明で美しい。
自分の目に映る、あるがままを伝えたかった。
志村の過去は、銀時の知るところではないけれど。
それでも、諦める気など更々なかった。
「あんた馬鹿じゃねーの?」
顔を近づける。
「駄目だよ……」
拒絶しながらも、志村は逃げない。
「材料が違えばできる菓子だって違うだろ?俺とあんたなら大丈夫かもしれねーじゃん」
触れるほどに唇を寄せた。
「あんたが、汚れてるって思ってて血を流したんだとしたら」
手首から滑らせて、手のひらを広げて指を絡める。
「空っぽになったあんたの中、俺でいっぱいにしてやるよ」
「坂田君……」
「絶対にやだってんなら力の限りで抵抗しろよ」
「だめ、だよ……坂田く……ん」
志村の唇は小さく震えていた。
それを止めてやりたくて、銀時はゆっくりと漏れる吐息を塞いだ。
初めて触れる唇は甘くやわらかい。
男に口付けているという認識は全くなく、ただ愛しいと思うだけだった。
開かない唇を、根気よく慰める。
やがておずおずと開かれて、中に触れる事を許された。
絡む舌はまだ臆病で。
過去の傷を癒してやるなどと大それた事は、勿論言えないけれど。
少しずつ許されるこの口付けのように、頑なな心を解いていけたらいいのにと。
志村の甘い舌を味わいながら、銀時は心で深く感じていた。