坂田君と志村先生 2
放課後。
部屋の前に立ち、扉の上部に掲げられたプレートを見上げる。
『調理室』
銀時には縁のない教室だった。
入学して3年目。
初めて訪れる場所だ。
扉を一枚隔てた向こうから、器具の当たる物音や女生徒の楽しげな声が漏れ聞こえてくる。
そして漂う甘い香り。
銀時は微かに鼻を蠢かせる。
玉子と砂糖とバター、クッキーだろうか。
甘い香りに誘われたふりをして、扉に手をかけがらりと開いた。
一瞬全ての音が止まり視線が集中する。
見られることには慣れていた。
銀時は気にする事無く室内に足を踏み入れる。
三角巾とエプロン。
淡い色で身を固めた制服集団の中にただ一人、水色の半袖シャツとベージュのチノパンがいた。
癖のない黒髪と洒落っ気のない眼鏡。
何事かと驚きに開かれた瞳は思いのほか大きかった。
こいつだ、と一目で分かった。
女生徒の中に男が一人、という時点でわかって当然ではあったけれど、そんなことには関係なくただ直感的に感じたのだ。
窓側、角のグループの様子を見ていたらしい志村の元へ迷わず歩を進める。
近付くと、志村は銀時よりも拳一つ分ほど背が低かった。
見回せばテーブルの上には鉄板に並んだ狐色。
丁度焼きあがったところだったらしい。
漸く止まっていた時間が動き出し、周りがざわめき出す。
坂田君だ、と囁きあう女子の嬉しそうな声が耳から入るが銀時は気にしない。
「あんたの焼いたやつは?」
我にかえって志村が口を開こうとしたのを遮るように問いかける。
「え……僕は指導だけだから、焼いてないけど……」
怒るどころか素直に質問に応える様に笑みが零れそうになる。
「んだよ、ねぇのか……じゃ、今度焼いてくれよ」
「今度って……」
「次は何作んの?」
「え、えっと、ババロア」
「へぇ……俺いちご味好きだぜ」
「はい?」
「い・ち・ご・味。決まりな」
「え?決まりって……」
「いーから。またくっから……じゃぁな」
何をいわせる隙も与えず、一方的に押し付けて銀時は踵を返した。
「って……ちょっと……君っ」
追いかける声が耳に甘く残った。
銀時は緩みそうになる口元を手で押さえながら廊下を歩く。
志村新八。
男の癖に家庭科教師なんて、どんだけヘタレなのかと思っていたのに。
やられた。
小さくて、柔らかそうで、甘そうで。
当然自分より年上のはずなのに、あの可愛さは反則なんじゃないだろうか。
何故今までその存在を知らなかったのだろうか。
今更ながらに悔やまれる。
クッキーの、甘い香りに包まれて。
自分を見上げたあの瞳が忘れられない。
まてまてまて、あれ男だから、教師だから……というツッコミもどうでもよくなる。
この腕に、抱き締めてみたかった。
これからは、調理室に通う事が日課になりそうだった。
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