夕方の。
まだ暮れ切らぬ薄闇を蝋燭を灯した提灯が照らす。
新八の手の先でゆらゆら揺れる仄かな明かりに妙は口元を和らげた。
歩調に合わせて揺れる火が和紙の内側でちらちらと陰る。
燃える炎を優しく包むその様は、まるで新八そのもののようだと感じながら妙はぼんやりとした温もりを見詰めて歩いた。
「父上と母上、ちゃんと着いてきてくれてますかね」
自分の手にある提灯をちら、と見た新八が少し不安そうに背後を振り返る。
衿にかかる癖のない黒髪が動きに合わせて綺麗に流れた。
少し前まで旋毛ばかりを見ていた気がしたのに。
父母の墓参りをするようになってもう10年以上。
蝋燭を灯した提灯を掲げて先を歩くのはいつも妙だった。
その役目を新八に渡したのは15を迎えた去年の盆。
今年で二度目の務めにまだ慣れないその様子は妙の目に可愛らしく映る。
もう16だというのに。
「新ちゃん、心配しなくても父上と母上の方がきちんと道を知ってると思うわよ」
「それはそうですけど……」
墓参りの後の、迎え火を焚いた家までの道案内は勿論形だけの儀式でしかない。
それでも、自分が先に立つのだという責任感が新八を緊張させるのだろう。
男勝りの妙と、もどかしいほどに優しい新八と。
父母がよく、性別を交換すれば丁度いいだろうにと冗談交じりに笑った幼い頃が思い出される。
妙自身、それを強く望んだ事もあった。
そうであればいつまでもこの懐に入れたまま守ってやれるのにと思ったから。
いつも自分の後ろに隠れていた新八が、この頃少し頼もしくなってきたと感じるときがある。
その理由を考えたくなくて、妙は脳裏にちらつく目障りな銀色を追い出した。
その背について行きたいのだと請うたのは新八で、それを赦したのは妙自身だったけれど。
今では少し後悔しているかもしれない。
新八の中を、少しずつ占めていく鈍い光が気に入らない。
「新ちゃん」
「はい?」
前を歩く新八に追いついて。
「手を、繋ぎましょう」
返事を聞く前に、妙は新八の自分よりも優しい指先を掴む。
その感触は記憶の中の父よりも、寧ろ母と繋いだ柔らかさを思い起こさせた。
「急にどうしたんですか?」
手を繋ぐなど数年振りではあるけれど、新八は嫌がる事もなく受け入れてくれる。
どころか様子の違う妙を心配する素振りさえ見せる。
無邪気に慕ってくれた幼さはもうないけれど、その心の中にはまだ自分がいるのだという安堵に妙は胸を撫で下ろした。
「暗くなってきたでしょう?少し足元が覚束ないの」
家を出た時よりは幾分深くなった闇の中。
「大丈夫ですか?気を付けて下さいね」
新八が気遣うように足元を照らしてくれた。
幼い頃は墓参りの行き帰りが怖かった。
両親の魂を迎えに行くのだという形のない逢瀬が、子供の妙にはまだ理解できなくて。
夕暮の、墓地まで続く道はただ果てしなく、闇に沈んでいくような真っ直ぐな向こう側に小さな心が竦んだ。
いくら妙が男勝りで気丈とはいえ、十にも満たない子供の頃は脚の震えが止まらなかったものだ。
姉上、と不安そうに自分を見上げる新八の、自分よりも幼い温もりがなければ歩を進めることはできなかっただろう。
守るべき存在がすぐ傍にあったからこそ、妙は恐怖に打ち勝てた。
一人では決して歩いて行く事はできなかった。
新八を守るのだと心に強く誓ったのは確かこの頃のような気がする。
自分よりも弱い新八を、誰よりも何よりも大切にしてきたつもりだったけれど。
本当は新八がいなければ立っていられなかったのは自分の方なのだと、繋いだ手の平の温もりに妙は強く感じていた。
闇の中に浮かぶ灯り。
門柱に吊るした迎え火の提灯が薄い風に吹かれてゆらりゆらりと左右に振れる。
視界に入る、帰ってきたのだという安堵と手の平の温もりに妙は満たされた。
「あ」
新八が微かな声を立て繋いだ手をピクリと揺らす。
妙は提灯の照らす影に不意に気付いてぎくりとした。
よく見れば門柱に人が凭れている。
傍には見知った形の銀色の車体。
人影は新八の姿を見つけ壁に預けた身体を起こした。
その髪を蝋燭の明かりが銀色に浮かび上がらせる。
「銀さん」
「よぉ」
呼びかけに男は軽く手を上げた。
新八の声が人影に名を与えた途端男の姿は鮮明になる。
灯りの元に完全に照らし出されたのは新八の勤める万事屋の主、坂田銀時。
まるで引き寄せられるようにするりと抜けてしまいそうな手の平を繋ぎとめたくて、妙は指先に力を込めた。
「姉上?」
無意識に銀時の元に駆け寄ろうとした新八は離れぬ妙の指先に微かに戸惑う様子を見せた。
けれど無理に離れようとはせず、そのままそっと傍らに寄り添う。
「あら銀さん、ご訪問のお約束にはまだ早いんじゃありません?」
心持、新八より前に出た。
今日は町内で盆踊り大会の練習があり、万事屋はその後片付けの依頼を受けているらしい。
墓参りの為に一旦家に帰った新八を頃合を見て迎えに来るという事は承知していた。
けれど。
「嫌だわ、万事屋の社長さんは時計も読めないのかしら」
予定時間よりも随分早い訪問に妙は軽い苛立ちを覚えた。
笑みを湛えた妙の問いかけに銀時は軽いため息をつく。
「相変わらず容赦ねぇのな」
癖で髪をかきながら銀時が一歩ずつ近付いてくる。
途端全身を駆け巡る、新八を隠してしまいたいという衝動。
妙はぎり、と奥歯を噛み締めてそれを必死に堪えた。
無駄なのだと、わかっていたから。
「最近話題だっつー蛍がたくさん飛んでる川っぺりが近くにあるらしくてよ、神楽がそこ行ってんだよ」
傍に来た銀時が見下ろして。
それを見上げた新八と視線を繋げた気がして妙は唇を小さく噛む。
「探しに行かねぇと、あいつ多分時間までに帰ってこねぇと思うんだよな」
「だったら、ここに来る前に銀さんお一人で探してきたらいいじゃありませんか」
「ものはついでだし、新八連れてきゃそのまま仕事に行けんじゃん」
見え透いた嘘だと手に取るようにわかる。
こんな時間に来られるのなら神楽を探してから迎えに来てもさして違いはないだろうに。
探しに行くなど口実で、この男はただ新八を攫って行きたいだけなのだ。
そう思いはしたけれど。
妙は喉まで出かかった言葉を辛うじて飲み込んだ。
「あの……」
落ちた沈黙を、新八の柔らかな声が優しく揺らす。
気遣うように自分を見る新八の寂しい微笑みに、胸の奥がちくりと痛んだ。
銀時と新八の仲が普通ではない事に妙は薄々勘付いていた。
新八も、多分それに気付いている。
確信ではないけれど、時折見せる辛そうな視線にそう感じる。
それでも、均衡を崩したらこの手が離れてしまうかもしれない恐怖に打ち勝てなくて、妙もまた見て見ぬ振りを続けている。
そうして吹き溜まっていく感情は、はけ口を求めてただ一つの場所に向かう。
呼吸を整えて、妙はゆっくりと銀時を見据えた。
目の前の男に一目置いている。
認めてしまうのは悔しいけれど、それは嘘ではない。
だらしなくて甲斐性のないどうしようもない男だけれど、信頼に足る人間だと確信できる片鱗を何度も垣間見せられた。
時折関わる妙ですらそう感じるのだ。
ずっと傍にいる新八の心が傾いてゆくのは仕方のないことかもしれない。
ましてやそれを恋心だと錯覚してしまうのも、16なら無理からぬ事なのだろう。
けれど、だからこそ赦せなかった。
銀時の胸倉を締め上げて、どうしてなのかと問い詰めてしまいたくなる。
新八の想いを知った時、何故突き放してくれなかったのかと。
16歳の、錯覚かもしれない恋心を諭す事など銀時になら簡単にできたはず。
分別のある大人ならそうしなければいけなかったはずだ。
何故そうせずに受け入れたのか。
新八を想うなら突き放す事こそ真実、愛ではないのか。
そう憤りながらも、妙はそれがそのまま自分の胸にも突き刺さるのを感じていた。
欲しいと思う気持ちのままに手を伸ばす事が赦されるなら、自分こそがこの手を放したくないと望んでいる。
「とにかく家に入りませんか?このままじゃ父上と母上が立ち往生しちゃいますよ」
場を和ませるように新八が促して、妙の手をそっと引いてくれる。
「ええ、そうね」
嘗ては自分だけのものだった温もりが、今はもうそうではなくて。
それだけでも腸が煮えくり返るというのに。
「俺も手ェ合わさせてもらって構わねぇ?」
銀時の申し出に新八の顔が綻ぶのがわかった。
「勿論です、是非お参りしてあげてください……姉上、いいですよね?」
嬉しさの中に混じる少しの遠慮。
妙の言葉を新八が待つ。
まだ自分よりも少し下にある黒い瞳。
それを曇らせる事など望んではいないけれど。
「銀さんにもそういう良識がおありになるなんて意外でしたわ」
言葉の上にちくりと刺さる棘を纏わせる。
それが新八を悲しませるのだとわかっていても気持ちを抑える事ができなくて。
「いい機会ですから両親の前でこれからはきちんと給料を払うと誓っていただこうかしら」
笑顔でそう告げる事が、今の妙にできる精一杯の譲歩だった。
チンと鳴らした仏壇の鈴が長く尾を引き部屋に響く。
焚いた線香が緩やかな煙を立ち昇らせた。
終焉の香りが揺らめいて銀時の身体に纏いつく。
睨みつけた、手を合わせる背中は無防備だ。
それは銀時なりの妙に対する覚悟の表れなのかもしれない。
この背を斬り付けても、きっと銀時は避けないのだろう。
それが無性に腹立たしくて、妙はそっと席を立った。
入れ違いに盆を持った新八が現れる。
「姉上?」
「少し疲れたから先に休ませて貰うわね」
茶を用意してくれた事に軽く詫びて妙は部屋を後にした。
廊下を渡って自室に入る。
後ろ手に襖を閉め、そのままずるずると座り込んだ。
姉の後ろに隠れて泣いてばかりだと、幼い頃はよく苛められていた。
そんな弟をずっと守ってきたつもりでいたけれど、本当は妙こそがこんなにも新八に依存している。
それを銀時に見抜かれているであろう事が悔しくて堪らなかった。
新八の倖せを願っている。
けれど、その隣に居るのがあの男である事が赦せない。
でもきっとそう思うことは全て言い訳で、多分誰が隣に居ても自分は赦したくないのだろう。
新八の倖せを願いながらも、それを退けようとするのもまた自分なのだ。
どうしたら手放してやれるのか、妙にはまだわからなかった。
静まり返った邸内の、廊下の奥から足音が近付く。
聞き慣れたそれは新八のもの。
部屋の前でぴたりと止まり、遠慮がちな声をかけられた。
「姉上、大丈夫ですか?」
少しの間を置いて襖が開く。
「具合が悪いようなら僕、仕事休みましょうか?」
傍らに座り込んだ新八が心配そうに妙を覗き込んだ。
「大丈夫よ、少し寝てればよくなるわ」
「でも……」
「ちゃんとお仕事して、あのクソ天パからお給料ぶん取っていらっしゃい」
「は、はい……あの、じゃあ」
「ええ、いってらっしゃい」
新八の中にはまだ自分がいる。
そう思うだけで救われてしまう妙はまだ当分新八を手放してはやれないだろう事を自覚していた。
心配そうな顔をまだしていたけれど、笑顔で送り出して襖を閉める。
傍らに寄り添ってくれた新八の身体から線香が仄かに香った事が少しだけ悔しくて、妙はそっと唇を噛んだ。
20100828UP
N様からいただきました「万事屋銀新とお妙さんの話」です。
線香の香りと坂田を絡めてみたくてお盆になりました。
新八は坂田がお盆の時期は自分の家を避けてる気がしていて、自分の両親に手を合わせてくれた事が嬉しくて堪らないんですよね。
妙は坂田が少しずつ自分のテリトリーに入ってくる事が赦せない。
でも新八が喜んでるのがわかるからどうする事もできないもどかしさがあって。
かなり暗い雰囲気になってしまったかなとも思うんですが、自分では気に入ってます。
あんまり(というか殆ど;)イチャイチャしてなくてごめんなさい。
私の中ではかなりいちゃこらしてる部類なんですけど(こう、精神的に:笑)
N様のお気に召すかはわかりませんが、どうぞお受け取りください。
リクエストどうもありがとうございましたv
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